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「さわり」から「ぞっとしない」話

2017年09月24日 | 雑記帳
 文化庁の今年度「国語に関する調査」結果が公表され、ニュースになった。冒頭で報じられたのは「どちらの意味か」の設問、取り上げられたのが「話のさわり」「ぞっとしない」「知恵熱」の三つであった。一応教育に携わってきた者としては恥ずかしながら、一つ間違えて覚えていた。「話のさわり」…えっと思った。



 「話の最初の部分」と思っていて「要点」だったとは…「話のさわり」という言葉を耳にしていても、自分から話したことはないような…。若い頃バンドをやっていて演奏練習のときなど「さわりだけやってみようよ」と声をかけあって、その時にはイントロから始めた気がするが、どうだったろう、思い出せない。


 広辞苑には②として「義太夫節の中に他の音曲の旋律を入れた箇所。曲中で目立つ箇所になる」そこから転じて「最大の聞かせ所」さらに転じて「話や物語の要点」「最も興味を引く部分」ということになっている。「さわり」という解釈は、自ら直接何かに触れるではなく、ものを取り入れて良くなったという視点だ。


 もともと「触る」という動詞には「かかわりあう・関係する・近づく」という意味がある。それを肯定的にとらえれば「魅力・要点」につながっていくだろう。しかし「さわる」は、もう一つの漢字「障る」があるように消極的否定的な面もあるはずだ。そもそも「触」は「角のある獣が争う」が字源という説もある。


 そこからあの代表的なことわざ「触らぬ神に祟りなし」(ちなみに「障らぬ神~」は誤用である)が連想される。世の中を渡っていく処世術の一つだが、触らないわけに行かない現実のあまりに多い事よ。なんだか変な方向へ行き、「話のさわり」も何もなくなった。まあ、こういうのを「ぞっとしない話」と言うのだろう。