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Jアラートに何を聴く

2017年09月01日 | 雑記帳
 ミサイル騒ぎに何を見るかは、人それぞれ違うだろう。どうしても言葉に引っかかってしまう自分は、報道された声に素直に頷けない。首相の「発射直後から北朝鮮ミサイルの動きは完全に把握」という自信満々の語りには、どうしても違和感が残る。確かに2009年4月のテポドン2号時に比べれば、かなりマシだが。



 とはいえ、ではJアラートの時間や範囲は適正なの?いつもそうなの?と疑問は押し寄せる。「国民の生命と安全を守る万全な態勢を取っている」も実際の迎撃や避難体制に関しては、諸方面から不安要素いっぱいの声が大きい。2回もトランプ大統領と電話会談をしたけれど、「圧力」度合のやり取りだけではあるまい。


 グアム攻撃をめぐる駆け引きは結構明らかにされている。経緯をごく普通に考えれば、日本という国が餌のような状態なのかと想像できるし、大統領の語る「同盟国の日本と100%共にする」が建前であることは、誰しも思うだろう。とすると何が本当で、信頼するべきはどこか…ああ、本で読んだいつかの時代のよう…。


 「大本営発表」という嫌な言葉が浮かぶ。むろん、あの時代と比べるのは無謀だが「歴史は繰り返す」もかなりの箴言。最近読んだ本に、戦時中の日本軍のラッパ合図には、他国に当たり前の「全軍撤退」はなかったという記述を見つけた。それも「失敗」の理由であるはず。今こそどこへ向かうかの見極めが必須だ。


 Jアラートの嫌な響きに不安を覚えた人は多い。それを払拭するべく力強い発言は続く。しかし、その声に導かれて軍事的衝突容認へ向かうことを国民の大半は望まないだろう。問題はそこへの道筋が、ある時は強行に、ある時は緩やかに位置づけられていくような現況だ。その怖さを訴える声がなかなか拡がらない。