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宿題が買えちゃう時代かあ

2017年09月04日 | 教育ノート
 メルカリで読書感想文が数百円で買える 母親「一緒にやる時間がない

 「宿題が買えちゃう時代」という記事には、さすがに少し驚いた。しかし考えてみれば、この経済優先の時代には当然であり、とっくに始まっていたのかもしれない。そういえば、夏休みの工作物などは、結構前からこの辺りでも「市販物利用」があったことを思い出す。どのラインで認めるかどうか線引きも難しい。


 かなり昔だが、家人の勤めていた学校で「夏休みの作品として、習字1枚は認めない」と力説した教員がいるという話を聞いた。そこで思ったのは、担任ならば、仮に1枚だったとしてその背景を見抜くことが必要で、認める認めないの問題ではなく、全てふだんの指導に帰するはずということだった。根本が異なる。


 日常の宿題、長期休業の課題等はやはり教育観に大きく関わっていると思う。私自身は、岩下修実践に憧れて長く「自学」を進めてきたので、学校での「授業」と家庭での「学習」をリンクさせることを強調してきて、一定の手ごたえはあった。しかし下のページを見ると、またそれも「昭和的な教育」と区分されるか。

 「夏休みの宿題はいらない」 公立小学校の現役校長が変えたい“昭和的な”教育


 全国学力テストの結果が公表され、本県では地元紙が「学テ10年」と銘打って連載記事とした。報道内容はその表裏を含めて、教員ならば周知事項だろう。しかし当然ながら、語っている者、編んでいる者は全て全国テスト世代ではなく、昭和の教育の見方とつながっている。この政治的施行はそこを抜け出せない。