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この日、この聖人を

2017年09月21日 | 雑記帳
 「世界の四大聖人」とは、一般的に孔子、釈迦、キリストそしてソクラテス(マホメットを挙げる説もあり)とされている。歴史的に考えると、日本にはいないのが当然かもしれない。いや某巨大宗教団体の某会長を挙げる人もいるにはいるが…。個人的には「聖人」という言葉で思い浮かんでくる一人の人物がいる。



 それは宮沢賢治。かつて吉本隆明はこう書いた。「すべての命の幸せのために何のためらいもなく、我が身を投げ出した宮沢賢治というセイントがいた。その生き方を僕たちひとりひとりが心に刻んでおく。それが時に安易な日々を清新なものに立ち返らせ、困難に向かう勇気を与えてくれる」…名解説であると思う。


 様々な考えがあり、貧富の格差も開き、地球上に抱える問題は余多あるけれど、さらにここしばらく繰り広げられている不穏な世界情勢に心曇る。「対話ではなく圧力」という言い方が、このまま進めば最終的に何を意味するか、誰しも想像がつく。そんな時は煩い画像から目を離し、賢治の言葉に目を落としてみよう。


世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある
正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである
われらは世界のまことの幸福を索(たず)ねよう
求道すでに道である

 ~『農民芸術概論綱要』序論より~


 短い生涯ではあるが数々の資料から、賢治が生涯目指したのは「偉い人」ではなく「清らかな人」であると想像がつく。世界中の「偉い人」たちに、賢治の清らかさが少しでも伝われば、民衆は、環境の違うそれぞれの場所で見上げている空の青さを、素直に心晴れやかに感ずるだろう。今日9月21日は賢治忌である。