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土曜の鈴子の啖呵

2017年09月03日 | 雑記帳
 土曜『ひよっこ』の放送で鈴子役宮本信子が素晴らしい台詞を言った。アパートの大家である富に対して、昔の恋人が亡くなったことを若者たちに語りなさいと奨める場面でこう言い放つ。「わからなくたっていいんだ、わかってたまるかっていう話だろ」…これは染み入るなあ。さすが!岡田惠和。よくわかっている。



 「わかってたまるかっていう話」は、はたして自分にあるだろうか。これは、本当に苦しい時代を過ごしたり、辛い境遇で育ったり、そうした体験を持つ者が語れる類のものだ。あるいは、人並外れた努力や極めて特殊な経験といった場合も入るかもしれない。おそらく大枠ではわかっても、芯が捉えられないのだ。


 『ひよっこ』では、いわゆる戦前の花柳界の恋愛が対象、というより秘めねばならない恋の切なさや美しさとなるか。それは、時代や境遇という特殊要素が大きいので、若者には肝心の点が実感しにくい。客観的には語ることができても、けして同化できない。お湯が50℃であることとお湯に手を入れることは違う(笑)。


 「わかってたまるか」には、簡単にわかってほしくない、少なくとも「わかる」としたり顔で言ってほしくない、そんな意味合いが感じられる。脚本家は、戦前世代の話が戦後世代に伝わってほしくないと考えているのだろうか。いや、それは逆だろう。そんな話がまだまだある、語ってほしいと考えているに違いない。


 「伝え合う」「わかり合う」が強調される時代。それが生活を豊かにする糧ともいえるだろう。しかし人は、一面で「わかってたまるか」というレベルを求めるのではないか。そんな経験が全くないとすれば、いつでもどこでも代替可能な寂しい人生になる。打ち破るヒントは、伝わりにくい話の中にあるかもしれない。