INSIDE SORAMAME

私の頭の中のキオクを綴っていくつもりです・・

近い遺産(15)

2009年01月17日 |    ┣ 近い遺産
(つづき)
佐賀県鳥栖市の「鳥栖駅前」のうち、「10番」の久留米行きと「8番」の小郡行きが停車するバス停。

「甘木」と「端間」の文字を隠したテープが剥がれかけている。

考えてみれば、かつては「鳥栖~小郡~甘木」「甘木~田主丸」「鳥栖~基山~筑紫野」「久留米~北野~小郡~鳥栖」「鳥栖~小郡~大刀洗」「大刀洗~三輪」「久留米~鳥栖~筑紫野~飯塚」…などの、各自治体間を結ぶ西鉄のバス路線があったわけで、現在と比較すればかなり高度なネットワークが形成されていたといえる。

現在でも西鉄バスの営業地域は広範囲に及んでいるが、路線廃止やコミュニティバス等への移管により、エリアをダイナミックにまたぐような路線は衰退しており、特に中小都市間では、バス路線のネットワークはほぼ壊滅している。

「路線を廃止する」というのは、その沿線への影響だけにとどまらず、広域的にみた場合の「損失」も大きいのかもしれない。

もちろん、ネットワークが形成されていたからといって、それをうまく乗り継いで移動するという人もそこまで多くはなかっただろうし、そもそも採算が合わないのだから、ネットワークがなくなったって別に「損失」ではないという意見もあるだろう。

ただ、個人的には、路線が「つながっている」ということに、つい価値を見出してしまうのである…。
(つづく)


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4 コメント

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Unknown (ひろし)
2009-01-18 02:07:16
おっしゃる通り、「路線がつながっている」がゆえに、その路線に価値が生じると思います。
分断されてると、当然乗り継ぎという不便が生じ、価値は半減するでしょうし…。

福岡都心へどんどん人が流れていっている昨今、中小都市間でのバス路線のネットワークがなくなるのも止むなしだし、マイカー時代ですから、損失と感じる人はそこまでは多くないのでは?

なお、この鳥栖地区に限って言えば、バスの運転が特段荒い(乗客にやさしくない運転)のも衰退の原因の一つと考えます。
私はこの地区のバスに乗った時に軽いけがを負わされたことがあり、またその時の対応も悪く、当該バス会社での教育がなってないことをつくづく感じました。
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Unknown (Tokyo Chikushi)
2009-01-18 03:33:07
飯塚・久留米特急(以前は急行)は、鳥栖を通っていませんでした。久留米を出ると3号線を忠実に北上し、筑紫で200号線に入り飯塚に向かう、というのがオリジナルなルート。冷水道路が開通して乗せ換え、その後、JRとの接続を考えたのか、基山駅に立ち寄るようになったと思います。ただ、その他にもルート変更が行われたと記憶しているので、鳥栖まで大廻りした時期もあったのかもしれませんね。
それから鳥栖から甘木までというのも・・・小郡と甘木を結んでいたものと思いますが、確かにこの写真に甘木と書いてあるのでその通りなのでしょう。ひょっとしたら、鳥栖交通へ分社した後で、小郡・甘木線を鳥栖駅まで延長したのかも。
文章の中にある「三輪」というのは、「新町」のことですね。「筑紫野」というのはどこのことでしょう?停留所名で「筑紫野」というのは、高速バスのバス停しかないと思っていますが、それ以外に、新しくできましたか?鳥栖・基山・筑紫野という路線はいつ頃あったのですか?
鳥栖・端間・本郷線や、鳥栖・乙隈線など、これでもかというほど狭い道を通る路線でした。46番の竹下線など比較にならないくらい。
佐賀県内の西鉄営業所は、「佐賀」「鳥栖」「神埼」「目達原」。それぞれ略号は「佐」「鳥」「神」「目」でした。
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Unknown (Aokumo)
2009-01-18 18:23:28
こんにちは。
やはり、ファンとしては「路線がつながっている」というのは嬉しいものです。運賃表示がどんどん変わっていくのも個人的には見ていて楽しいですね。
「客が乗らないから減便、そして廃止」というコンセプトでは、衰退していく一方です。官民一体でいいから、「ネットワーク」は残して欲しいものです。
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Unknown (soramame)
2009-01-19 12:29:45
ひろしさん、こんにちは。
バスに乗ってケガとはたいへんでしたね。
かつては、乗客に喧嘩をふっかけるような運転士も見かけましたが、今はずいぶんおとなしく(?)なりましたね。

Tokyo Chikushiさん、こんにちは。
昨年7月3日の記事にも書いていますが、久留米~飯塚の特急は、末期には鳥栖市街地を通っていました(ただ、市役所と西鉄鳥栖のみで、駅にはとまっていなかった気もします)。
3号線を北上していた頃にも「田代」などに停車していたので、一応鳥栖市域は通っていましたね。
鳥栖から甘木は、おっしゃる通り、「8番」の甘木~小郡線が鳥栖まで延びたものです。
筑紫野とは筑紫野ニュータウンのことです(昨年2月4日の記事に書いております)。
なお今回、記事で挙げている地名は、バス停名ではなく自治体名を表していました(わかりにくくてすみません)。

Aokumoさん、こんにちは。
「官民一体でネットワークを残す」…ぜひやってもらいたいですね。
ただ、「官」のうち、「市町村」は、自分の自治体の中だけのことしか考えずあまり期待できないでしょうから、「県」や「国」の出番でしょうかね。
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