私が通っていた中学校の3階からは、はるか遠くに建設中の福岡タワーが見え、日々高さが増していくのを眺めることができた。
中学卒業~高校入学の頃にかけて(平成元年)、埋立地であるシーサイドももち地区において「よかトピア(アジア太平洋博覧会)」が開催され、福岡タワーはそのシンボルであった。
よかトピア開催を機に同地区に西鉄バスが乗り入れを開始し、開催期間中は、天神、博多駅や福岡市及び近郊の営業所から「博覧会会場」行きのバスが運行された。
学生時代を西新で過ごしたため、よかトピア閉幕後のシーサイドももち地区のまちとしての成長、成熟の過程をなんとなく肌で感じてきた気がする。
その成長、成熟の過程に走っていたのが「福岡ドーム・福岡タワー循環線」である。
(つづく)
中学卒業~高校入学の頃にかけて(平成元年)、埋立地であるシーサイドももち地区において「よかトピア(アジア太平洋博覧会)」が開催され、福岡タワーはそのシンボルであった。
よかトピア開催を機に同地区に西鉄バスが乗り入れを開始し、開催期間中は、天神、博多駅や福岡市及び近郊の営業所から「博覧会会場」行きのバスが運行された。
学生時代を西新で過ごしたため、よかトピア閉幕後のシーサイドももち地区のまちとしての成長、成熟の過程をなんとなく肌で感じてきた気がする。
その成長、成熟の過程に走っていたのが「福岡ドーム・福岡タワー循環線」である。
(つづく)