昨日NHKで宮崎駿監督のドキュメントを放送していたが、宮崎監督実に良い顔をしていた。
若いころの映像ではむくんだ冴えない顔なのだが、ドキュメントでは頬に深いしわというか筋が刻まれ髭と総白髪が似合っていて、苦みばしった笑顔が絵になっている。
仕事とか私生活がうまくいっているとこうなるのかな、と感じた(監督本人は体力が落ちて大変だ、といっていたが)。
しかし、風の谷のナウシカを製作した当時の映像も出ていたが、43歳だったという。
今の俺より若いのだ。
それでもう、大勢のスタッフを仕切って映画を作っている。凄い。
ところで、自分が一番好きな天空の城ラピュタの設定で一つ、ちょっとおかしくないかな、と思うところがある。
パズーとシータがラピュタにたどり着くとき、巨大な雷雲がラピュタの周囲を覆っていて、二人の乗った飛行装置は嵐と雷に散々翻弄される。
やがて、気を失った二人を乗せた飛行装置がラピュタの一角に不時着というか漂い降りていくのだが、すでに雷雲が消えてなくなっている。
ラピュタに張られていた結界が解けたため雷雲が無くなった、という設定だと思われる。
そこにムスカたち悪役が乗った軍艦が乗り込んでくるのだが、雷雲がないため大きな損傷を受けることもなく艦をラピュタに係留できているようだ。
だとすると、ラピュタはパズーたちに侵入されるまでは、雷雲にすっぽり包まれて周囲から隔離されたミクロコスモスであったはず。
雷雲が去ったあとは穏やかな陽光がふりそそぎ、花々が草木が咲き誇り生い茂り、その上を蝶や小鳥が舞う牧歌的とでもいうべき光景が描かれる。
しかし、それ以前、雷雲に包まれていた当時このような光景が有り得たのだろうか。
雷雲に包まれていたら、陽光が差し込まないから、雷雲が晴れた直後にこのような牧歌的な光景はありえない。これは設定ミスではないかと思うのである。
もちろん、雷雲は半球型であってラピュタの下半分を下界から遮ってはいたが、上半分は雲がなく陽光が降り注いでいたのだ、という事も考えられる。
しかし、そうだとすると雷雲の上辺を乗り越えれば、その高度を稼ぐことさえ出来れば、割と用意にラピュタに侵入することが可能となる。
ラピュタを雷雲で隠すことを設計した者がそのような中途半端なことはしないはず。
またラピュタは空中都市であり人が住むことを前提としていたのだから、そもそも雷雲にスッポリ覆われる状態などありえない、という事も考えられるが、人が住んでいるときは雷雲は発生しなかったが、人がいなくなった後、ラピュタを守るために雷雲システムが発動した、と考えることでその不合理性は除外できる。
齟齬のない設定を考えると、設計当初は人がいなくなるなどの異常事態に陥ると雷雲はラピュタを球形にスッポリ覆い隠す状態に設定されており陽光も中には届かなかった。
しかし、雷雲システムが何らかの不確定要素で完全に動作しなくなり、上半分が露呈するようになっていった。その過程で草木が繁茂し鳥や昆虫、小動物も増えていった。
しかし雷雲システムは安定して下半分状態だったわけではなく、侵入者を感知したときは上のほうまでラピュタを包んで守った、という設定にしたら良いのではないかと思う。
もしかして、なんかもっと良い設定が元々なされているのかもしれないけど。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます