我が国が指名をうけたような状況で環境アセスメントを行ったのだが、ジョコ大統領が費用がかかり過ぎる、などの理由で中国に発注した案件。
中国は我が国が何年もかけて作成した計画書とほぼ同じ内容で、金額のみディスカウントした計画書を提出して受注にこぎつけたらしいが、今この2022年5月になっても完成にいたっていない。
正直、お気の毒様、という感想しか湧いてこない。
元来、インドネシアは我が国とは長い友誼の歴史がある国家で、ジョコ大統領にそれをぶち壊されて残念としかいいようがないが、いまさらこちらが手伝うわけにもいかないだろうし、相手が中国となると下手に手を出すと我が国にまで累が及んで巻き込まれそうだし、傍観するしかないと思う。
この高速鉄道の両端が首都ジャカルタとバンドンという都市らしい。
ジャカルターバンドンは150㎞くらいらしいので、なぜそんなに手間取るのか良く分からないが、ジャカルタとかバンドンとかいう地名がでてきて、昔の詩のフレーズを思い出した。
「我が征くはバタビアの街、君はよくバンドンを衝け」
大木惇夫氏の
「戦友別盃の歌」
である。
忘れていたので、ネット検索しこちらからコピペさせていただいた。
http://yanagisawa.cocolog-nifty.com/salon/2008/04/post_4522.html
言うなかれ君よ別れを
散歩をしていて「言うなかれ君よ別れを」と口を衝いて出てきた。全文は以下の通り。
言うなかれ、君よ、別れを
世の常を、また生き死にを
海ばらのはるけき果てに
今や、はた何をか言わん
熱き血を捧ぐるものの
大いなる胸を叩けよ
満月を盃(はい)にくだきて
暫し、ただ酔いて勢へ(きほへ)よ
わが征くはバタビヤの街
君はよくバンドンを突け
この夕べ相離る(さかる)とも
かがやかし南十字を
いつの夜か、また共に見ん
言うなかれ、君よ、わかれを
見よ、空と水うつところ
黙々と雲は行き雲はゆけるを
-南支那海の船上にて-
という副題がついている。
この詩を知ったのは、産経新聞の産経抄だったと思う。
当時の我が国の若人の心意気が伝わってくる。
素晴らしい詩を残してくださった大木先生に深謝である。
この当時の若者たちが今の、インドネシアの苦境を目の当りにしたら、もしかしたらインドネシアを救うために立ち上がっていたかもしれない。
巻き込まれるかも、とか言ってる自分は彼らと比べると情けない。