九月十一日(水)晴れ。
「大吼」の編集作業が終われば「燃えよ祖国」の編集と休まる暇がない。しかしながら完成した時の喜びと感激は編集した者にしか分からない。機関誌は、もう少し野村先生の追悼特集が続く。
今年の群青忌の追悼講演は民族革新会議の犬塚博英議長にお願いをした。過去の群青忌のように我々の考えに近い大学教授やマスコミ関係者とも思ったが、最近の「保守ブーム」と言われる中で、いわゆるマスコミの言う所の「保守」と民族派との違いを明確にするために、私が尊敬し、民族派きっての論客との声が高い犬塚議長にお願いした。
犬塚議長には、今年の二月十四日に大宮で開催した野村先生の「生誕祭」(主催・群青の会・代表、正田暢鍵)でも講演をお願いしたが、参加した誰もが口を揃えて「感動した」と言っていた。その時のこともあり、私は、今年の群青忌は犬塚さんと心に決めていた。そのことを実行委員の皆さんに言った所、皆が私と同じ考えで嬉しかった。
犬塚議長は、理論的なことはもちろん、運動のコーディネーターとしてもとても才能がある。犬塚議長が関係している催しに、八月の尊攘義軍の慰霊祭、勉強会の「博友会」、民族革新会議や山口申先生の憂国青年同盟の勉強会での講師、伊勢神宮の五十鈴川での「禊会」、そして私たちが参加した式年遷宮での行事など、常に運動をリードし、かつ指導的立場にいる。
犬塚議長と知り合ったのは、昭和四十九年頃か。核拡散防止条約の反対闘争の折に、共闘したことがきっかけだった。大学は国立の長崎大学出身で当時から民族派の学生運動家として有名だった。以来、親しいお付き合いをさせて頂いている。そう言えば、一水会の機関紙「レコンキスタ」の創刊号は犬塚議長が発行責任者であった。是非とも群青忌にて犬塚議長の追悼講演をお聞きください。
夜は、名前だけ真面目な「蜷川政経懇話会」を同級生の経営する野毛の「弥平」にて開催。終了後は有志にて関内へ転戦。久しぶりに日にちをまたいで帰宅。