白雲去来

蜷川正大の日々是口実

大日本殉皇会の碑

2016-09-29 09:36:24 | 日記
九月二十五日(日)晴れ。

十一時に、古いお付き合いの同志らに迎えに来て頂き、大磯へ。戦後の神奈川県の民族派運動のレジェンドと言えば、大日本殉皇会の創始者である小早川貞夫先生であろう。もちろん神奈川には、戦前からの重鎮とも言うべき先輩たちがいた。元産経新聞や日本工業新聞の社長を務めた方をご子息に持つ、天照義団の山下幸弘先生や、日本同盟の保坂浩秀先生、あるいは時局対策協議会の柿本信司先生などである。

しかし、行動右翼としての第一人者は、小早川先生だと思う。その弟さん二人も民族派として活躍した。残念ながら三人とも亡くなってしまったが、後を継いだ若い人たちが、その名跡を汚さぬように努力している。その大日本殉皇会の野戦本陣(本部)の跡地をきれいに整地して、記念碑を建立したのが、小早川先生の門下生である齋藤雄一さん。彼のお世話で、神奈川県維新協議会の同志の方々と、バーべキューに招待された。

私が、初めて大磯の小早川先生宅を訪れたのは、昭和四十七年の秋のこと。当時、小早川先生が月に一度開催していた「尊皇攘夷街頭宣伝」に初参加した時だ。私は二十一歳。もう四十五年も前のことだ。この当時は、神奈川県に右翼の街宣車は、殉皇会の街宣車一台しかなかった。土日の二日間、湘南地方を街宣活動したことが懐かしい。その当時からの同志である藤田誠一郎さんとも久しぶりにお会いした。

至れり尽くせりのバーベキューで、こちらが恐縮するほどである。記念碑を建立した斉藤さんの依頼で、碑の裏に彫る人や言葉のアドバイスをさせて頂く。完成が待ち遠しい。二時過ぎにご挨拶をして帰宅。
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