白雲去来

蜷川正大の日々是口実

株取引のことは分からないけれど。

2021-02-15 12:13:20 | 日記

2月12日(金)曇り。

朝食は、久しぶりにマルシンのハンバーグ、マカサラ、目玉焼きに新ワカメの味噌汁。昼は、カップヌードル。夜は、カツオ、タケノコのから揚げ、糸こんにゃくの煮物。お供は、「黒霧島」。酔狂亭にて独酌。

株価がバブルの時以来好調とのこと。尤、株の取引など生まれて一度もしたことはないし、ナスダックだかキュウリダスかも分らん。しかし、マスコミではコロナによる経済の落ち込みが喧伝されているのに、株価だけが高騰・・・。果たして景気が良いのか、悪いのか、浪人風情には良く分からんし実感もない。

株と言えば、かつて兜町の風雲児と言われ、世に名高い「投資ジャーナル」事件を起こし、晩年は安アパートでタバコの火の不始末で焼死した中江滋樹のことを書いた『兜町の風雲児』(比嘉満広著・新潮社)を読んでいる。これが株などにも全く興味のない私が読んでも中々面白い。

中江が最初に株を買ったのは小学校の五年生のこと。(これも凄い)コツコツ貯めたお小遣いを減らさず、かつ楽しめる方法として映画会社の日活の株を二万円で千株買ったそうだ。二万円は当時の大学卒の初任給に近い金額とのこと。なぜ日活かと言えば『四季報』を読んでいて、(普通小学生で『四季報』を読むか)「株主優待」というものがあることを知る。毎月二枚の映画の優待券を貰える。年間二十四回もただで映画が見れるわけだ。さらに投資したお金も減らない。

父親が証券会社に勤めていたこともあって株を買い易かったこともあろうが、中江自身は、父親からの影響は受けていない。と言っている。株取引の何たるかも知らない私が読んでも、色々な意味で勉強になる本だ。

 


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懐かしい方の訃報。

2021-02-15 12:13:20 | 日記

2月11日(木)晴れ。建国記念の日、紀元節。

起床後、玄関に国旗を掲げ、神武天皇肇国の昔を偲び橿原神宮を遥拝。輝く皇紀は二六八一年の紀元節をお祝いする。

フェイスブックにアップしたが、当時、神奈川の民族派の指導者として活躍していた大日本殉皇会の小早川貞夫先生が主催していたのが、紀元節奉祝神奈川県大会である。私が初めて参加したのは、昭和四十八年の第二回大会からである。私は二十二歳だった。大日本殉皇会の本部のあった大磯は二宮から出発して流し街宣を行いながら、途中2キロ程を奉祝行進を行った。以後二十年以上も参加しただろうか。懐かしく思い出す。

懐かしいと言っては失礼かも知れないが、今朝の新聞の訃報欄に、元警視庁の捜査第一課長の寺尾正大さんの名前があった。オウム事件や奇しくも私の友人だった三浦和義さんの「ロス疑惑」や「トリカブト事件」と言った大事件の指揮を執ったことでも知られている。

もう二十五年以上も前のことだが、やはり当時の警視庁の公安三課長だった宮崎忠さんに誘われて神楽坂の小料理屋で食事を共にした折に、紹介されたのが寺尾さんだった。なぜ捜査一課長が、と訝しく思ったが、中々くだけた人で、名刺を頂いたときに驚いたのは私と同じ名前だったこと。寺尾さんもそれを意識して酒席に私を呼んでくれたのだろう。寺尾さんとは正に一期一会だったが、度々テレビで記者会見する姿をお見掛けしていた。最近体調を崩し、先月の二十四日に亡くなられたそうだ。享年七十八歳。合掌。※写真は昭和48年2月11日、。JR国府津駅前、紀元節奉祝神奈川県大会に参加した方々と。私は後列、左から三人目。

 


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