白雲去来

蜷川正大の日々是口実

梅はこぼれる、桜は散る。

2021-02-18 18:15:53 | 日記

2月17日(水)晴れ。

自宅の近くの公園に見事な白梅の木が花を咲かせている。もう少しで、私の好きな「雪柳」や「桜」が楽しめる。子供が小学生の頃から、南区の下町を流れる大岡川沿いの桜の名所でのほぼ同じ場所で定点写真を撮っている。今年は、下の子供が大学を卒業なのだが、上の子供の時もタイミングが悪く、桜の下で羽織袴での写真とは行かないのが残念である。卒業式の日に合わせて桜が咲いてくれないのである。

私が役員の末席を汚している民族革新会議の会歌は「梅と兵隊」。昭和16年に田端義夫の歌で発表された。「春まだ浅き戦線の古城にかおる梅の花。せめて一輪母上に頼りに秘めて送ろうじゃないか」。野村先生の句に「白梅を愛すごとくに 正義をも」がある。

我が国には、花が散ることには独特の表現がある。梅の場合は「こぼれる」。桜は「散る」、椿は「落ちる」、朝顔は「しぼむ」、菊は「舞う」、牡丹は「崩れる」、萩も「こぼれる」。

夜は、おでん。豚肉のしゃぶしゃぶを肴に酔狂亭にて独酌。お供は「三岳」。


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海苔罅(ひび)を知っていますか。

2021-02-18 18:15:53 | 日記

2月16日(火)晴れ。

私が中学生ぐらいの頃まで、京浜急行沿線には海が広がっていた。杉田を過ぎると富岡、金沢文庫に八景。皆遠浅の海で、富岡の海岸には、秋から冬には「のりひび」の竹が海に並んでいた。現在では、ほとんどのの海が埋め立てられコンクリートの護岸となり、海と言うよりも「ドブ」のようになってしまった。一度埋め立てたところを、また人工的に海に戻したりするアホなこともした。

海岸に海苔が干してある風景など、今ではほとんど見ることが出来ない昭和の風景だろう。まあ、ない物ねだりの子守歌か。

後輩が旅をかけてこちらに来ているのだが、まだ一度も酒席を持っていない。何といってもほとんどの店が時短営業で八時には閉まってしまう。昼間の酒はあまり好きではないが、近々一献と思っている。夜は、豚足、オイキムチ、タレントがやっているというから揚げ。すべて最悪だった。まあこんな日ある。おとなしく酔狂亭にて独酌。


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雨がお酒であったなら。

2021-02-18 17:40:02 | 日記

2月15日(月)雨。

一度起きて、仕事に行く家族を見送ってから、二度寝した。十一時過ぎに起きて、朝食を兼ねた昼食は、久しぶりにソース・チャーハン、マルシンのハンバーグ、目玉焼き。夜は、鶏肉のすきやき、カツオの刺身、小エビの天ぷら。お供は「黒霧島」。酔狂亭にて独酌。

夜中に激しい雨。昨年に屋根の雨漏りを直しておいて良かった。雨と言えば、昭和41年に橋幸夫が歌った「雨の中の二人」。日本が経済的に良い頃なので、歌詞は「雨が小粒の真珠なら」と貧しさは感じられないが、先日、BSテレ東の「酒の歌」特集で知ったのが、戦後間もない昭和23年に、市丸姐さんが歌った「雨がお酒であったなら」。まあ、雨を酒に変えて飲みたいという歌ではなく色っぽいものなのだが、何となく当時の庶民の気持ちを代弁しているようなタイトルで「戦後」を感じさせるタイトルではないか。

雨がドンペリであったなら、晴れたらダイヤモンドダストが見られるかもしれない。盟友のOが喜ぶに違いない。私だったら、雨が「森伊蔵」だったら。いや上等すぎるので「伊佐美」か「三岳」ぐらいにしとくか。梅雨時は毎日、酔っ払っていられる。いいなぁー。


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