避難所日記 4/27
東日本大震災、これしかないと思いました。
耳を疑う、悲惨な窮状、一日の食事が、おにぎり一個。
私は飛びつきました。
宮城県の避難所に到着出来たのは、3月18日でした。
「私に避難民としての生活を体験させて下さい」
そうお願いしたのですが、私がお願いすればするほど邪険に扱われてしまうのです。
精一杯お願いしたのですが、お願いすればするほど私の言い分を聞いてくれなくなってしまいました。
これって間違っていませんか。
誠心誠意を込めてお願いしているのに、無視されるのですよ。
私は悲しくって、どうしようもない気持ちで一杯でした。
しかし私も負けてばかりではいられません。
仕方が有りませんでした。
相手が私を無視するのであれば、相手を私に振り向かせれば良いのです。
だったらお金を払いましょう。100万円ではどうですか。
答えは、駄目ですとのことでした。本当におかしいとは思われませんか。
避難所にとっての、取りあえずの100万円は大金だとは思わないのでしょうか。
こうなれば私にも意地があります。
義捐金200万円を支払って、何とかボランティアの一員となる事ができました。
しかし避難所での共同生活は許してはくれませんでした。
本当に変ですよね。
しかし私は、困っている筈の避難所から私の存在を無視される事は、とても我慢出来なかったのです。
私は避難所へ出向いたのです。私にも出来ることはある筈ですよね。
こうして、私の避難所での生活が始まりました。