幸せの深呼吸

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鍵山優真、病の父思い「僕が強くなれば」とリンクに…中学時代のコーチ「想像以上の演技」

2022-02-12 | 徒然なるままに

何かが引っかかったのか

動きがおかしくなったので、他の記事は削除しました

https://news.yahoo.co.jp/articles/0e0364f2d402999a9926ac1ccddbf22cb4526e6c

京五輪は10日、フィギュアスケート男子シングルのフリーが行われ、ショートプログラム(SP)2位だった横浜市出身の鍵山優真選手(18)がフリーも2位となり、銀メダルを獲得した。初めての五輪で団体銅と合わせて二つのメダルを手にした。一時、横浜を拠点に活動した羽生結弦選手(27)は4位。五輪3連覇とはならなかった。 【写真】鍵山優真を「銀」に導いた父は日本人初の「4回転」挑戦者…並んで喜ぶ姿に「そっくり」の声

鍵山選手はこの日、最後から2番目に登場。ジャンプを次々と成功させる圧巻の演技を見せた。 中学時代から練習拠点としてきた横浜銀行アイスアリーナ(横浜市神奈川区)で指導してきた佐藤操さん(51)は、その雄姿をアリーナで見守った。「想像していた以上の優真。素晴らしすぎる演技で感動した。ありがとう」 中学1年のとき、初めて会った鍵山選手は、指導者としてアリーナにやって来た父・正和コーチの「オマケ」というくらいの、おとなしい少年だった。それまで鍵山選手を一人で指導していた正和さんは、現役時代からの仲間である佐藤さんに、「厳しくやってほしい」と息子の指導を頼んできたという。 膝が柔らかく、氷に傷をつけない良質な滑りは父親のDNAを感じさせた。だが、攻めの気持ちも目標もなく、のほほんとしていた。「スケートをなめるな!」。激しく怒ってしまったこともあるが、正和さんには「それでいいんです」と言われた。「成長して、強く、チャレンジできる選手になってほしい」。父の願いを受け、厳しい指導を続けた。 伸び盛りの中学3年のとき、正和さんが病に倒れた。不安はあったはずだが、鍵山選手は「僕が強くなれば、お父さんも元気になる」と自発的にリンクに向かい、プログラムの曲も自ら選ぶようになった。佐藤さんは、滑るたびに上達していく姿を動画に収め、正和さんに送った。 傑出した才能は、高校1年で花開く。四大陸選手権や世界ジュニア選手権で表彰台に上り、ユース五輪で優勝したときは一緒に涙した。「2年後の北京を目指さないといけないと思う」。鍵山選手が初めて、五輪を狙うと口にした。佐藤さんは、浅田真央さんらを指導した海外の名指導者に鍵山選手を託し、裏方に回った。

1年のうち360日はリンクに立つほどの「練習の虫」となった鍵山選手をサポートするのは正直、容易ではなかった。それでも、「あと10回やろう」と言うと、「10回じゃ無理だよ、20回じゃないと」と楽しそうに返してくる若者に、期待と尊敬の思いが膨らんだ。 そして北京――。夢の初舞台で羽ばたいた教え子に、佐藤さんは目を細めた。「自分を信じている男らしい顔だった。強くなったことを証明してくれた」

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