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旅行記、世相独言

歴史の重みに挫屈現象?-フィレンツェ-(異文化体験12 都市再生の旅6)

2011年04月12日 17時26分27秒 | 異文化体験_西欧
東日本大震災の被災者の方々にお見舞い申し上げます。
また、不幸にも亡くなられた方々に深く哀悼の意を捧げます。


(写真はクリックで拡大します)

歴史の重みに挫屈現象? -フィレンツエ-  1990.9.18~20

 花の都、ルネッサンスの都、芸術の都 フィレンツェ 

 花の都、ルネッサンスの都、芸術の都、この街ほどいろんな呼び方をされる街も珍しい。フィレンツェの偉大な華、ミケランジェロ(1475~1592)とレオナルド・ダ・ビンチ(1452~1519)が美を競い合った所である。しかし、2人のライバル意識とは別にお互いが目指したものはかなり性格が異なる。
 ミケランジェロは芸術一筋に彫刻・絵画・建築を通じて生涯のテーマ「聖母」を追及し、精神と肉体を総合した独自の理想を追求した人である。
 一方、ダ・ビンチは芸術家それも古典主義芸術の完成者であり、物理学、化学、植物学、解剖学等、近代科学の先駆者となった人である。

 
  (左)シティ・マップ             (右)街角のいたるところに名画?が

 この街の至る所に文化遺産が目に付く。市の都市計画責任者は、街の大きく遅れた近代化とこれらの歴史的遺産の保存という大テーマに頭を抱えているのが現状である。
 建物のコストの中に維持管理費が1/3必要だとか。平たく言えば通常コストの3割アップ。京都と同様の苦労がうかがえる。旧市民は観光客ばかり増えて一向に改善されない住環境に、郊外に逃げて行くいわゆるスプロール化現象がこの街でも出ているという。歴史の重みに耐えかねて、とならなければ良いが。
 ガンバレ フィレンツエ!


  
(左)アルノ川に架かるポンテ・ヴェッキオ      (右)橋の両側には金銀細工の店が

 アルノ川に沿ったホテルから、夜にヴェッキオ橋目指して散歩に向かう。ダンテとベアトリーチェが出会った場所として有名な2階建てのこの橋は、16世紀には金銀細工の店が軒を並べ、今も昔を偲べる夜でも人通りの絶えない橋である。

 街の中心 シニョリーア広場

 アルノ川から橋を左に折れて、真直ぐに行くとシニョリーア広場に出る。市の中心的広場であり、真中にメディチ家のコシモ1世騎馬像が立ち、斜め横にヴェッキオ宮がそびえている。共和国時代の政庁の跡で入口にダビデの像(コピー)が置かれている。その周辺には若者や観光客が路上パフォーマンスを楽しんだり、車座になって話し合っている。

    
(左)天空を突くドォウモ、東京都庁の原型説も    (右)ブルネレスキの巨大ドーム

 天国の門 日本人が金箔を寄贈したようだ

 更に真直ぐ行くと天を突くようなドォウモ(S. Maria del Fiore)に行き当たる。ルネッサンス時代の偉大の建築家ブルネレスキの作品である。ライトアップされた色大理石を巧みに使った華やかな印象は、強烈である。
同行のS氏曰く、「まさにこれは東京都庁の原型だ!」確かに似た所もある、真相や如何に?丹下さん。
 ドォウモの前に8角形の聖ジョバンニ礼拝堂がある。「天国の門」という浮き彫りの施されたブロンズの門が、日本の実業家の寄進で金箔の門になった。


 
    (左)ウフィッツ美術館              (右)入場チケット

   
  (左)ボッティチェリの「春」            (右)ミケランジェロの「聖家族」  
 
 ミラノで「最後の晩餐」を見ることができなかったM氏がいよいよ恋人に会う日がやってきた。 ウフィッツ美術館(Galleria degli Uffizi)は名実ともに世界第1級の美術館であり、ボッテイチェリの「春」、「ヴィーナスの誕生」、ダ・ビンチの「受胎告知」等々、ルネッサンス絵画の宝庫である。

 かつての牢獄を利用した「ホテル・ブルネレスキ」
 
 2日目の夜は、夜に弱いという女史も誘って街めぐり。初日来なかった人も加わって大勢の参加である。6世紀の牢屋をそのまま取り込んだ、その名も「ホテル・ブルネレスキ」というホテルがあり、皆で見せてよと支配人に迫る。多少のチップで中を見せてもらったが、雰囲気も味わおうとピアノ・バーで一休み。若い人はぼつぼつ欲求不満が出始める頃。それらしき女を見たの、見ないのと情報を交換し合う有様。
 今宵も若い人は更なる冒険に出掛けて行ったが、結果はさてさて如何に??


コメント
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