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キャプテン・クックは小人? -メルボルン- 1988.11.27~29
メルボルンのダウンタウンを望む
シドニーとメルボルンは、東京と大阪の関係に似ていて、お互いに相手の事を良く言わない。シドニーっ子は、メルボルンは落ち着き過ぎていて刺激に乏しく、お天気さえもぱっとしない曇の日が多いではないか、と言う。メルボルンっ子は、シドニーは海岸で日光浴するかヨットに乗るかであまり働かないから、経済を支えるために必要以上に我々が働かざるを得ない、と言う。
まあ、そんなこともあるまいが、首都キャンベラが丁度中間に位置し、機能分担がうまく働いているようで、どこかの国のように一極集中だの双眼構造だの議論しているのと次元が違うようである。とは言え、街の活気となるとやはりシドニーに軍配が上がりそうだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/b1/df589488e05be0a8e0a8188148621ff5.jpg)
(左)テラスハウスの原型と言われる「コモ・ハウス」 (右)厨房に残るオーブン
ヤラ川流域に発達したこの街の見所は、コモ・ハウス。ジョージア様式とコロニアル様式を折衷したテラスハウスの原型となる豪邸で、1840~75年にかけて建設された白亜の殿堂。建物の中には上流階級の人々が代々使用してきた調度品、生活用品が展示されており、商売柄当時の厨房に大いに関心を持ったところである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/e1/d7c618128fecba8352e7f4e8f2a541a9.jpg)
(左)フィッツロイ公園の「キャプテン・クック」の生家 (右)クックのベッド(意外と小さい)
一方、この国の人達にとって聖地とでも言えるキャプテン・クックの生家が、広さ43haのフィッツロイ庭園の一隅にある。1934年に英国ヨークシャーからこの地に移転されたもので、中にはクックのベッドも当時のままに置かれている。しかし、そのベッドたるや1.5m位の長さしかなく、当時の人間の平均身長がそうであったのか、それともクック自身が背の低い人であったのか、はっきりしない。もっとも100年で身長が10cm伸びたという調査もあるようで、クックがこの大陸を調査、英国領土と宣言したのが1770年だから、今日に補正すると170cm程度となる。英国人としては小柄な方であったのでは、と推察する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/ef/e9ea593de3ac3f26bf15774beafece12.jpg)
(左)Kings Domainの戦争記念館の建物 (右)ダウンタウン方面で大きな黒煙が!!
ヤラ川の南にKings Domainがあり、市内を一望出来る。おりしも先程訪問したWTCの方から大規模な黒煙が空高く上がり始めた。ホテルのTVニュースでコンビナートの化学製品タンクの火災であったことを知る。ちなみに今回の宿舎は「ハイアット・オン・コリンズ」。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/5c/137b1916b1e342c28af5a6a3779d8be7.jpg)
(左)昼食に訪れた「Island Trader」 (右)今回の宿舎「HYATT ON COLLINS」
結婚するなら豪州の女は避けたほうが良いと知らされたのは、メルボルン郊外の肌もあらわなムームー調ドレスのウエイトレスで有名なIsland Traderというハワイアンレストランでのこと。兎に角「男は女性の僕となるべし」という話を現地人妻となっている日本人ガイドのおばさんからとうとうと聞かされる。怖い話である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/f9/90b8eb6bf564069c826e97c5e9a323eb.jpg)
(左)夜ともなればレストランと化すメルボルンの市電 (右)市電の走る風景
メルボルンの市電には、火曜から土曜の夜に夜景を見ながらフルコース料理を味わえるツアーがあるらしい。残念ながら今日は月曜日。市電が数珠繋ぎになって街中を我が物顔で走っている様は、我々には懐かしい光景である。豪州を地球の真中に置いた地図を買おうとMYER百貨店に行く。かわいい店員が親切にも書籍、地図、玩具売り場等を探してくれるがSORRY。代わりにスイムウエアを買うことに。
威風堂々たるセントポール大聖堂
最後の夜は、某商社支店長宅にお招きをいただいての宴となった。わざわざ豪華な「刺身」を用意いただき、久しぶりの和食に感激である。ちなみにこのようなパーテイの時は、なじみの板場さんを呼ぶらしい。市の南の海岸通りに沿って南下し、少し入った所にある高級住宅街の一軒は、この日夜遅くまで賑やかな話し声が絶えなかった。小生も仕事上の有益な情報が入手出来た。
グレートバリアリーフ上を一路日本へ
目薬とヘアトニックを間違えて真っ赤な目をしたF氏。台北~シンガポール間で隣に座った尼さんの人生を変えるような話をしたK氏とS氏。帰国の機窓から見たグレートバリアリーフの美しい光景等々。
楽しかった、そして躍進著しいアジア・オセアニアの旅であった。
キャプテン・クックは小人? -メルボルン- 1988.11.27~29
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シドニーとメルボルンは、東京と大阪の関係に似ていて、お互いに相手の事を良く言わない。シドニーっ子は、メルボルンは落ち着き過ぎていて刺激に乏しく、お天気さえもぱっとしない曇の日が多いではないか、と言う。メルボルンっ子は、シドニーは海岸で日光浴するかヨットに乗るかであまり働かないから、経済を支えるために必要以上に我々が働かざるを得ない、と言う。
まあ、そんなこともあるまいが、首都キャンベラが丁度中間に位置し、機能分担がうまく働いているようで、どこかの国のように一極集中だの双眼構造だの議論しているのと次元が違うようである。とは言え、街の活気となるとやはりシドニーに軍配が上がりそうだ。
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(左)テラスハウスの原型と言われる「コモ・ハウス」 (右)厨房に残るオーブン
ヤラ川流域に発達したこの街の見所は、コモ・ハウス。ジョージア様式とコロニアル様式を折衷したテラスハウスの原型となる豪邸で、1840~75年にかけて建設された白亜の殿堂。建物の中には上流階級の人々が代々使用してきた調度品、生活用品が展示されており、商売柄当時の厨房に大いに関心を持ったところである。
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(左)フィッツロイ公園の「キャプテン・クック」の生家 (右)クックのベッド(意外と小さい)
一方、この国の人達にとって聖地とでも言えるキャプテン・クックの生家が、広さ43haのフィッツロイ庭園の一隅にある。1934年に英国ヨークシャーからこの地に移転されたもので、中にはクックのベッドも当時のままに置かれている。しかし、そのベッドたるや1.5m位の長さしかなく、当時の人間の平均身長がそうであったのか、それともクック自身が背の低い人であったのか、はっきりしない。もっとも100年で身長が10cm伸びたという調査もあるようで、クックがこの大陸を調査、英国領土と宣言したのが1770年だから、今日に補正すると170cm程度となる。英国人としては小柄な方であったのでは、と推察する。
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(左)Kings Domainの戦争記念館の建物 (右)ダウンタウン方面で大きな黒煙が!!
ヤラ川の南にKings Domainがあり、市内を一望出来る。おりしも先程訪問したWTCの方から大規模な黒煙が空高く上がり始めた。ホテルのTVニュースでコンビナートの化学製品タンクの火災であったことを知る。ちなみに今回の宿舎は「ハイアット・オン・コリンズ」。
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(左)昼食に訪れた「Island Trader」 (右)今回の宿舎「HYATT ON COLLINS」
結婚するなら豪州の女は避けたほうが良いと知らされたのは、メルボルン郊外の肌もあらわなムームー調ドレスのウエイトレスで有名なIsland Traderというハワイアンレストランでのこと。兎に角「男は女性の僕となるべし」という話を現地人妻となっている日本人ガイドのおばさんからとうとうと聞かされる。怖い話である。
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(左)夜ともなればレストランと化すメルボルンの市電 (右)市電の走る風景
メルボルンの市電には、火曜から土曜の夜に夜景を見ながらフルコース料理を味わえるツアーがあるらしい。残念ながら今日は月曜日。市電が数珠繋ぎになって街中を我が物顔で走っている様は、我々には懐かしい光景である。豪州を地球の真中に置いた地図を買おうとMYER百貨店に行く。かわいい店員が親切にも書籍、地図、玩具売り場等を探してくれるがSORRY。代わりにスイムウエアを買うことに。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/80/b7c70c568905029b7fbf23bebeccf64e.jpg)
最後の夜は、某商社支店長宅にお招きをいただいての宴となった。わざわざ豪華な「刺身」を用意いただき、久しぶりの和食に感激である。ちなみにこのようなパーテイの時は、なじみの板場さんを呼ぶらしい。市の南の海岸通りに沿って南下し、少し入った所にある高級住宅街の一軒は、この日夜遅くまで賑やかな話し声が絶えなかった。小生も仕事上の有益な情報が入手出来た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/f1/4d818e28563ee6387476447a794e52c8.jpg)
目薬とヘアトニックを間違えて真っ赤な目をしたF氏。台北~シンガポール間で隣に座った尼さんの人生を変えるような話をしたK氏とS氏。帰国の機窓から見たグレートバリアリーフの美しい光景等々。
楽しかった、そして躍進著しいアジア・オセアニアの旅であった。
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