東京キューバンボーイズ 2010.01.17
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東京嫌いの私が唯一好きな東京がある。それが見砂直照と東京キューバンボーイズ。
かれこれ50年ほど前のこと。大阪フェスティバルホールで「ザ・プラタース」の労音公演(なんと入場料500円の時代)があり、高校生の私は姉に連れられて聞きに行きました。その公演でバックを務めたのが見砂直照率いる東京キューバンボーイズ。
当時、ザ・プラタースは「オンリー・ユー」や「煙が目にしみる」「16トン」等の世界的大ヒットを飛ばしていた人気グループで、その歌声も素晴らしかったが、それ以上に私を虜にしたのは、強烈なラテンビートでした。以後、このフルバンドの大ファンとなり、大阪公演の際には必ず出かけて行きました。
貧乏学生だったので、今はなくなりましたが心斎橋のミヤコ楽器店等でアルバイトをして、お気に入りのLPレコードやオープンリールのテープを買いあさったものでした。もちろん再生するためのステレオやテープデッキもせっせとアルバイトして揃えました。
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ダンスホールのバックヤードから、華々しいステージへとフルバンドのあり方を模索され、二度と同じ編曲で聴衆に聞かせず、組曲「祭りの四季」や「黒い太陽」で芸術祭奨励賞を受賞するなど、私の青春時代に豊かな感性をはぐくんでくれたバンドでした。
そんな東京キューバンも1949年の結成後31年の活動を経て、1980年解散コンサートを打たれました。見砂氏71歳の時です。大阪フェスティバルホールでのさよならコンサートは、ダフ屋が出るほどの盛況で、私も女房共々最後のキューバンサウンドを聴きに行きました。冬の寒い折りしも珍しく残雪が残る道を自宅に戻る時には、何故かうっすらと涙が出てきました。
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マエストロ見砂氏は解散コンサートの10年後に永眠され、その遺骨は日本とキューバに眠っていると聞いていますが、昨年「見砂直照生誕100年、東京キューバンボーイズ結成60周年を記念して「TOKYO CUBAN BOYS」というパンフレットが発行されました。懐かしい写真が満載され、その輝かしい活動の歴史が改めて思い起こされます。ちなみに1部1500円(送料込み)で東京キューバンボーイズのホームページから申し込むことが出来ます。
(参考:info@tokyocubanboys.com )
2005年、息子さんの和照氏が再び東京キューバンボーイズを再結成され、活動されています。本ブログの「イベント」でも紹介したように、当時日本の2大ビッグバンドであった「原信夫と#&♭」のさよならコンサートにゲスト出演したり、新たな活動を始められています。が、残念なことに東京中心の活動に止まっています。関西にも沢山のキューバンファンがいます。是非、また大阪で強烈なラテンリズムを再現して欲しいものです。
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