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今回の旅は19日間といささか長い。欧州から中国を巡る出張である。一度日本に戻って、とも考えたが、欧州から戻って翌日また中国へというのであれば直行する方が楽と判断し少し長い出張となった。異文化体験20「童話の国の旅」と同じく21「改革解放の国の旅」として紹介する。
人魚姫との再会 -コペンハーゲン- 1994.9.6
(左)コペンハーゲンMAP(JAXAより) (右)シェラトン・コペンハーゲン
9月5日に成田を発ち、ロンドン経由で夜の10時過ぎにコペンハーゲンのシェラトン・ホテルにチェックイン。オデンセで開かれるIGU(世界ガス連盟)理事会への出席が目的である。
(左)マルガレーテ女王_1992(右)ストロイエ通りをコンゲンス・ニュートー広場へ向う近衛兵の行進_ポール・フィッシャー1925
13年前の1981年に初めてコペンハーゲンを訪れた時には、JALの直行便があったが今は飛んでいない。デンマーク皇室は、日本の皇室とも親交があり、国民からの愛され支持されている。
平坦な国土、省エネと健康づくりで自転車通勤
朝のホテルの窓から見える街の通りには、リュックを背負った沢山の若者達が自転車を結構なスピードで走らせている。山のない国だけに省エネと健康を兼ねた交通手段として見直されているのだろう。
午後のオデンセ行きの列車まで、コペンハーゲンの街を散策、タクシーの運転手に主要な名所を効率よく周ってもらうように交渉する。
(左)北欧神話の女神ゲフィオンの噴水 (右)市庁舎前Dragon_Fountain(1981年訪問時)
最初に立ち寄ったのが、城塞の中にあるゲフィオンの噴水。北欧神話の女神ゲフィオンはスウエーデンの大地を掘ってシェラン島を創ったという言い伝えがある。
噴水といえば、市庁舎前にも噴水がある。初めて来た時はストロイエ通りでの大捕物騒ぎと、この噴水(Dragon_Fountain)が非常に印象深く残っている。
人魚姫の像(思った以上に小さな像)
ランゲリニエ埠頭近くの波打ち際の岩の上に、世界的に有名な人魚姫の像がある。見落としてしまうほどの小さな像である。1837年に発表されたアンデルセンの「人魚姫」の物語を題材に1913年に彫刻家エドワード・エリックセンが製作、ビール醸造業者が市に寄付したものだそうだ。スンド海峡へと続く港の入口の方を物悲しそうな顔で見つめている人魚姫は、デンマーク人の国民性を表しているとも言われているようだ。
(左)王宮として使われているアマリエンボー宮殿 (右)16世紀のローゼンボー城
(左)ローゼンボー城 ルイーゼ王妃の像を掲げる間 (右)現国会議事堂のクリスチャンボー城
市の中心部の方に戻り、1794年以来王宮として使われている八画形の内庭を持つロココ調のアマリエンボー宮殿を経て、広大な王立公園の中にあるローゼンボー城に立ち寄る。クリスチャンⅣ世が建てたルネッサンス様式の建物で、16世紀に建てられ今日まで外観をそのままに残している唯一の建物である。王の庭を散策すると椅子に腰掛けて見る者に語り掛けるようなアンデルセンの像にもお目にかかれる。その後、アマリエンボー宮殿以前に王宮として使用され、現在国会議事堂となっているクリスチャンスボー城を経て、チボリ公園前でタクシーを捨てる。
1843年開園のチボリ公園 TIVOLI 逆は I LOV IT
チボリ公園は欧州随一の公園で、TIVOLIのスペルを逆に綴ると「I LOV IT」となる。1843年8月15日に開園されたこの公園は、ゲオー・カーステンセンによって創設されたが、創設当時は必ずしも評価されず、文化人仲間にも入れて貰えなかったとか。開園後は海外に身を置き、母国に戻った時には一入園者として入場料を払わなければならないほど、忘れ去られた存在となっていたようだ。150年の間に3億人の人を迎え入れている。
アンデルセン坐像 これからいざ、生地オデンセに!
11時から24時までの開園時間は、日本のテーマパークとは明らかに違う欧州人が好むチボリのコンセプトに符合したものと理解できる。開園間もない公園内はひっそりとしており、わずか30分ほどの滞在で、オデンセ行きの列車に乗るため、駅に向かう。
今回の旅は19日間といささか長い。欧州から中国を巡る出張である。一度日本に戻って、とも考えたが、欧州から戻って翌日また中国へというのであれば直行する方が楽と判断し少し長い出張となった。異文化体験20「童話の国の旅」と同じく21「改革解放の国の旅」として紹介する。
人魚姫との再会 -コペンハーゲン- 1994.9.6
(左)コペンハーゲンMAP(JAXAより) (右)シェラトン・コペンハーゲン
9月5日に成田を発ち、ロンドン経由で夜の10時過ぎにコペンハーゲンのシェラトン・ホテルにチェックイン。オデンセで開かれるIGU(世界ガス連盟)理事会への出席が目的である。
(左)マルガレーテ女王_1992(右)ストロイエ通りをコンゲンス・ニュートー広場へ向う近衛兵の行進_ポール・フィッシャー1925
13年前の1981年に初めてコペンハーゲンを訪れた時には、JALの直行便があったが今は飛んでいない。デンマーク皇室は、日本の皇室とも親交があり、国民からの愛され支持されている。
平坦な国土、省エネと健康づくりで自転車通勤
朝のホテルの窓から見える街の通りには、リュックを背負った沢山の若者達が自転車を結構なスピードで走らせている。山のない国だけに省エネと健康を兼ねた交通手段として見直されているのだろう。
午後のオデンセ行きの列車まで、コペンハーゲンの街を散策、タクシーの運転手に主要な名所を効率よく周ってもらうように交渉する。
(左)北欧神話の女神ゲフィオンの噴水 (右)市庁舎前Dragon_Fountain(1981年訪問時)
最初に立ち寄ったのが、城塞の中にあるゲフィオンの噴水。北欧神話の女神ゲフィオンはスウエーデンの大地を掘ってシェラン島を創ったという言い伝えがある。
噴水といえば、市庁舎前にも噴水がある。初めて来た時はストロイエ通りでの大捕物騒ぎと、この噴水(Dragon_Fountain)が非常に印象深く残っている。
人魚姫の像(思った以上に小さな像)
ランゲリニエ埠頭近くの波打ち際の岩の上に、世界的に有名な人魚姫の像がある。見落としてしまうほどの小さな像である。1837年に発表されたアンデルセンの「人魚姫」の物語を題材に1913年に彫刻家エドワード・エリックセンが製作、ビール醸造業者が市に寄付したものだそうだ。スンド海峡へと続く港の入口の方を物悲しそうな顔で見つめている人魚姫は、デンマーク人の国民性を表しているとも言われているようだ。
(左)王宮として使われているアマリエンボー宮殿 (右)16世紀のローゼンボー城
(左)ローゼンボー城 ルイーゼ王妃の像を掲げる間 (右)現国会議事堂のクリスチャンボー城
市の中心部の方に戻り、1794年以来王宮として使われている八画形の内庭を持つロココ調のアマリエンボー宮殿を経て、広大な王立公園の中にあるローゼンボー城に立ち寄る。クリスチャンⅣ世が建てたルネッサンス様式の建物で、16世紀に建てられ今日まで外観をそのままに残している唯一の建物である。王の庭を散策すると椅子に腰掛けて見る者に語り掛けるようなアンデルセンの像にもお目にかかれる。その後、アマリエンボー宮殿以前に王宮として使用され、現在国会議事堂となっているクリスチャンスボー城を経て、チボリ公園前でタクシーを捨てる。
1843年開園のチボリ公園 TIVOLI 逆は I LOV IT
チボリ公園は欧州随一の公園で、TIVOLIのスペルを逆に綴ると「I LOV IT」となる。1843年8月15日に開園されたこの公園は、ゲオー・カーステンセンによって創設されたが、創設当時は必ずしも評価されず、文化人仲間にも入れて貰えなかったとか。開園後は海外に身を置き、母国に戻った時には一入園者として入場料を払わなければならないほど、忘れ去られた存在となっていたようだ。150年の間に3億人の人を迎え入れている。
アンデルセン坐像 これからいざ、生地オデンセに!
11時から24時までの開園時間は、日本のテーマパークとは明らかに違う欧州人が好むチボリのコンセプトに符合したものと理解できる。開園間もない公園内はひっそりとしており、わずか30分ほどの滞在で、オデンセ行きの列車に乗るため、駅に向かう。
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