Anchor

旅行記、世相独言

身延山久遠寺詣(その2.本堂、御廟所、御草庵跡)

2015年06月28日 11時34分53秒 | 異文化体験_日本
(写真はクリックで拡大します)

身延山久遠寺詣(その2.本堂、御廟所、御草庵跡)   2015.4.10

      
(左)身延山久遠寺の地図                     (右)参拝のしおりと祖廟域案内

      
(左)駐車場と本堂境内を結ぶ斜行エレベーター        (右)身を投げうって朝の鐘を撞く僧侶

 4時半に起床し、5時前に宿坊「本行坊」を出て駐車場に設置された斜行エレベーターで境内に。暗がりの境内には既に人だかりが出来ている。大鐘を一人の僧が今にも撞こうとしている。次の瞬間、全身をなげうち身をそらせた僧が、一日の始まりの鐘をうった。まだまだ暗い境内に、更には身延山に鐘の音が響き渡った。

      
      (左・右:参考写真)5時時半からの朝勤風景と本堂天井の加山又造筆の墨龍

 本堂に上がって5時半からの朝勤を待つ。本堂の天井には加山又造筆による9m四方の「墨龍」が、金と墨のコントラストで見事に描かれている。朝勤は、数十人の僧による読経が970坪の本堂内に響き渡り、まさに声明が今日の音楽のルーツを思わせる場面であった。

    
(左)970坪の本堂                 (中)2008年復元建立された五重塔               (右)祖師堂

 本堂での朝勤の後は、場所をその隣の祖師堂に移して、参拝祈願者と共にそれぞれの願い事を祈願する。朝のお勤めは、次に御真骨堂、仏殿等々と続くのだが、多くの参拝者はここで切り上げ報恩閣に行って、お祈願されたお札を貰い受ける。

 明るさが増しつつ境内を後に、本行坊に戻って朝食をいただく。宿泊客が我々だけの宿坊、おかみさんはお仕事、息子さんたちは学校と、食後は誰もいなくなるようなので、先に会計(8千円)を済ませて、一休み。

 ← 西谷参道の急な坂

 久遠寺のもう一つのパワースポットが、御廟所と御草庵跡。宿坊から急な坂を下って行く途中で、逆に坂を上って高校に行く何人もの学生と会うが、みなきちっと挨拶をしてくれる。

       
(左)身延山久遠寺草創の聖地・祖廟域                (右)祖廟域参道の霊山橋

               
(左)祖廟拝殿(立正の大額は昭和天皇から賜った勅額)      (右)石造八角の祖廟塔     

 身延山は日蓮聖人がその晩年の9年間を過ごしたところ。聖人の御遺命によりここにお墓が立てられ御霊が祀られているのが御廟所。きれいに整備され鬱蒼とした杉木立の中に祖廟拝殿とその奥に白い八角塔の祖廟塔がある。周辺には聖人直弟子や歴代先師、お万の方等の墓もある。

    
(左・右)聖人が9ケ年を過ごした石造の玉垣に囲まれた正方形の御草庵跡 室町時代までここが久遠寺

 御廟所左手前の老杉のもと玉垣に囲まれたところが聖人の想いが宿る久遠寺発祥の地で、9ケ年ご隠棲された御草庵跡。1274年5月17日の入山から1282年9月8日まで、ここに起居され法華経の読誦と門弟の教育に終始した場所だそうな。
 このあたり一帯は、高野山奥之院とよく似た雰囲気で、オフシーズンの早朝、まだ一般参拝者が訪れない静まり返った西谷周辺の清々しい荘厳な雰囲気からは、大きなパワーを貰った感じがする。

 ← 移動中に顔をみせた富士山

 再び、急な坂を今度は上って宿坊「本行坊」に戻ると10時過ぎ。相変わらず人気のない宿坊を後に次なる目的地に向かって車を走らせた。


身延山・久遠寺詣(その1.奥之院思親閣と宿坊本行坊)

2015年06月28日 09時54分29秒 | 異文化体験_日本
(写真はクリックで拡大します)

身延山・久遠寺詣(その1.奥之院思親閣と宿坊本行坊)         2015.4.9


  
(左)身延山久遠寺周辺マップ         (中)久遠寺総門                  (右)久遠寺三門

早朝に関西の自宅を出て、身延山・久遠寺に到着したのが、午後2時頃。直前まで枝垂れ桜目当ての多くの参拝客で総門から上は道路規制が布かれていたが、幸い規制も解かれ上の三門から宿坊の駐車場まで上がることが出来た。

久遠寺には沢山の宿坊があるが、本堂での朝勤に参加するので本堂に一番近い宿坊「本行坊」さんに早速チェックイン。炬燵が用意された部屋でしばし休憩。
残念ながら翌朝の天気予報があまり良い予報でないので、今日のうちに身延山ロープウェイで奥之院思親閣にお参りに行くことに。運が良ければ富士山も拝めるかも。

    
  (左・右)身延山ロープウェイ(高度差750mを7分で上がる、天気が良ければ富士山も)

身延山ロープウェイ(往復1250円)で標高390mの久遠寺から標高1153mの奥之院まで7分で行くことが出来る。しかし、見通しは甘かった。高度を稼ぐとともに視界をガスが遮り、奥之院駅に着く時には霧雨に。更に、4,5日前に降った雪がまだ処々に残っており、吐く息も白い。

    
(左)駅降りてすぐの奥之院入口          (右)思親閣への途中に聖人像


   思親閣とお手植えの杉 

奥之院思親閣は、日蓮聖人入滅翌年、弟子の日朗が建立、聖人が安房国の両親を思い祈りを捧げた場所で、聖人お手植えの樹齢750年を超える4本の杉がある。

    
(左)本堂に掲げられている「久遠寺」         (右)最盛期の名残を残す枝垂れ桜

再びロープウェイで下山し、夕刻の人影まばらな本堂・祖師堂にお参りをし、その隣の報恩閣(久遠寺の総受付)で後厄・前厄の息子たちの明朝厄除け祈願の申し込みをする。厄除け祈願は一人2000円。境内の枝垂れ桜は、まだまだその最盛期の名残を残して我々の目を楽しませてくれる。

                 
(左)三門と本堂を結ぶ菩提梯(287段の石段) (右)菩提梯を上がりきった視界(正面に本堂、左手に五重塔)

五重塔の脇に三門から上がってくる階段がある。菩提梯と言って、1632年佐渡の住人、仁蔵の発願で起工、完成した三門と本堂を結ぶ高さ104m、287段の石段である。「南無妙法蓮華経」になぞらえ7区画に分かれているようだが、今回は車で来たので幸か不幸か体験できなかった。

      
(左)今回の宿坊「本行坊」(本堂に一番近い)     (右)精進料理の夕食(名物湯葉も)

さすがにピークを終えたこの時期、本行坊の今宵の宿泊客は我々夫婦だけのようだ。少し寂しいが、お風呂をいただいて楽しみな食事。宿坊の食事といえば精進料理。特に身延山では湯葉が特産。食事の間にも暗闇の境内を移動する大きな読経の声と太鼓の音が飛び込んでくる。TVもなく、後は寝るのみ。明朝は4時半起きだ