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旅行記、世相独言

見ていて悲しい、ゴルフの JAPAN OPEN

2016年10月16日 23時49分14秒 | コーヒーブレイク
見ていて悲しい、ゴルフのJAPAN OPEN

世界に通用しない日本のゴルフ。
なぜだろう?
国内で何十勝もしたゴルファーが、海外に出ると全く歯が立たないのは何故?

その答えは、日本のゴルフ場にあると私は思っている。
私自身、さほど多くはないが全国のゴルフ場をプレイしてきたが、一口で言えば日本のゴルフ場は庭園ゴルフ場。

同質性に富んだきれいなゴルフ場ばかり。
ここで練習をし、プロとなったゴルファーにどれだけの技術的引き出しを与えられるのであろうか。

海外には様々なゴルフ場がある。様々な技量を要求するゴルフ場が沢山ある。
もし日本でそのようなゴルフ場を造れば、おそらく素人ゴルファーは敬遠するだろうし、経営が成り立たないであろう。
しかし、国内で技量豊かな選手を育成するにはそのようなゴルフ場が必要なのだ。

今回のJAPAN OPEN.
見事、松山選手が優勝したが、ゴルフ場でのプレイを見て悲しい思いをしたのは私一人ではなかろう。
ただただ、ラフを深くすることでしか難しさを演出出来ないゴルフ場。

我々が見たいのは、選手がマネージメントされた技量を存分に発揮して戦略性豊かなゴルフ場を相手に苦闘する姿
なのだ。コントロール不可能な深いラフで結果オーライのゴルフを見たいのではない。
日本最高峰のトーナメントがティーショットだけで決まるようでは、もはや日本のゴルフ界も先はないだろう。

これらの責任は、選手にあるのか? いや、そうではない。
かかる状況になるまで、何ら手を下していない協会側の責任である。
経営を気にしなくて済む社団法人等の運営による、プロのためのゴルフ場を設けてこなかったのが今日の結果を
招いていると私は思っている。

TV解説者席で解説している人たちに、もっともっと働いてもらわないと日本のゴルフ界の先はなかろう。
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頑張れ! チンチン電車

2016年02月29日 11時46分56秒 | コーヒーブレイク
頑張れ! チンチン電車

チンチン電車、これも立派な鐵道だよな。

街中をチンチン言いながら身体を左右に揺らしながら我が物顔で走る姿。

200m程を走っては、停まり、走っては停まり。

そんなチンチン電車もモータリゼーションの流れに隅っこに追いやられて、
石畳の線路が消え、視界から消えて地下世界に行っちゃった。

でも、交通渋滞や都市生活の快適性を求めるニーズは、このチンチン電車を
復活させようとしているんだ。

ライトレールやトラム・ウェイと言う新しいチンチン電車が、欧米中心に復活し
日本でもどんどん導入され始めているんだ。

床も低く、揺れも少なく、地下鉄と違って駅間距離も短いので、高齢化社会
にも馴染むんだ。

頑張れ!チンチン電車

  ⇒  

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Only You  (オンリー ユー)

2016年01月07日 19時18分41秒 | コーヒーブレイク
Only You (オンリー ユー)

時は今から55年前。
大阪フェスティバルホールに、ザ・プラタースがやって来た。
オンリーユー、煙が目にしみる、16トンなどなど、世界的に大ヒットをとばしている黒人5人グループである。

当時、高校生の私は姉と共に満席の会場へ。
労音が主催するコンサートで、確か入場料が500円だったと記憶している。
若い女性客が中心の会場は、甘い歌声に酔いしれていたのだが....。

私はザ・プラタースもさることながら、バックを受け持った見砂直照率いる東京キューバンボーイスの音に
魅せられてしまった。
公演は3部構成。
第1部と第3部にプラターズが、第2部はキューバンボーイズの演奏で、これが強烈に私を刺激した。
戦後、ジャズは世間に満ち溢れていたが、ラテン音楽を生で聴くのは初めて。
満席の会場をつんざくパッカーションの音とリズム。
以降、今も親子2代で活躍するこのバンドの大ファンである。

初めて買った音楽、それはやはり55年間に東京キューバンボーイズとの出会いをもたらしてくれた、
そしてアルバイトをして1800円で購入した、このアルバム。「Encore Of Golden Hits THE PLATTERS」 です。

         
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地震のお話 その1 「連動性」

2013年02月07日 13時08分05秒 | コーヒーブレイク
(画像はクリックで拡大します)

地震のお話 その1 「連動性」

 過日、「考古学から南海地震を探る」というお話を聞きました。
記紀以前の地震の痕跡は、地中に刻印されており、それらを総合的に分析すると
巨大地震にまつわる「連動性」が見られるとのこと。

 図1は南海トラフの巨大地震年表がその連動性を良く物語っています。
最近の「東海地震」「東南海地震」「南海地震」を示したのが図2ですが、巨大地震に伴う様々な災害事象の連動性が見られるようです。

            
(左)図1 南海トラフの巨大地震年表   (右)図2最近の「東海・東南海・南海地震年表」

 例えば、
1707年(宝永4年)の宝永地震(M8.6-8.7、死者2万人、流失家屋2万戸)の場合、
10月4日に地震が発生し、その49日後に富士山が大噴火

1854年(嘉永7年)には、11月4日「安政東海地震」(M8.4)が発生し、その32時間後、11月5日「安政南海地震」(M8.4)が発生

 東海地震の発生から、「32時間~2年以内」に南海地震が発生すると言う連動性が過去に見られるようです。

 肝に銘じておきましょう! 
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見砂和照と東京キューバンボーイズ (2012.11.11 大阪ジャズフェスティバル)

2012年11月14日 16時15分02秒 | コーヒーブレイク
(写真はクリックで拡大します)

見砂和照と東京キューバンボーイズ -大阪ジャズフェスティバル 2012.11.11-

 2012大阪ジャズフェスティバルのプログラム

  大阪ジャズフェスティバルの2012年11月11日(日)公演は、「見砂和照と東京キューバンボーイズ&夏木マリ」。見砂和照と東京キューバンボーイズは一昨年に引き続き2度目の登場である。

 東京キューバンボーイズをブログで書くのは2回目で、前回は原信夫とシャープス&フラッツのフェスティバルホールでの引退公演にゲスト出演した時。
(ブログ:http://blog.goo.ne.jp/skhr0247/e/a49bcd5b9c1905784e0805af07e33bc6)

      
1980年見砂直照(ただあき)&東京キューバンボーイズの解散コンサートライブレコード

 
(左)コンサートスナップ、原信夫と♯&♭他大勢のゲストが駆けつけた (右)自筆自画像の灰皿

 50年前、大阪フェスティバルホールでの「ザ・プラターズ&見砂直照と東京キューバンボーイズ」の公演で、プラターズの世界的ヒット曲「オンリー・ユー」よりも強烈なラテンビートに心酔し、以後このバンドのファンとなった次第。
小遣いを貯めては、まずボンゴや教本を買い、LPレコードを買い、更にいい音で聴きたいとHi-Fiステレオを買ってキューバンサウンドに浸かってきたのだが、1980年見砂直照氏率いる東京キューバンボーイズは解散コンサートを打って、31年間の活動を中止した。その10年後見砂直照氏は輝かしい業績を残して他界された。

 50年程前に買った練習用のボンゴ

 見砂直照著「ラテンリズム入門」

 初めて買ったキューバンのLPレコード 1800円


 私がこのバンドが好きなところは、五つほどある。

 一つ目は、キャバレーやダンスホールのバックヤードでしかなかったバンドを、ショービジネスの舞台に引上げ、単独の舞台コンサートで経営が成り立つバンドに仕立て上げた点である。このことは、弟分である原信夫氏が見砂氏を見習い教わってバンド運営をしてきたと述懐している。

 二つ目は、多くの素晴らしい音楽関係者を育成した点である。見砂学校に入学し東京キューバンを巣立って行った多くの一流ミュージシャン達。
内藤法美(初期のピアニスト兼編曲担当、越路吹雪の旦那さん、作曲家・舞台芸術家)
能見義徳(現役ボンゴ奏者、日本ラテンパッカーション協会会長、小野寺武司との協演)
豊岡豊(ティンパニ奏者、豊岡豊とスイングフェイスオーケストラ結成)等々
前田憲男(作曲・編曲家、多くの優れた作品を残している)
宝とも子(日本ラテン音楽協会設立、初代代表)、竹平光子、トリオ・ロス・チカノス等々のラテン歌手の育成
江利チエミ、三橋美智也との競演


 大ヒットした「Echoes of Japan」の第2段レコード 

 三つ目は、精力的な創作活動。息子の和照氏いわく、「親父がほとんどのことをやり尽くしていて、自分の色をどう出していくか、大いに頭を悩ます」。
 LPだけでも三百数十枚、あらゆる音楽分野にキューバンサウンドを注入し、新たな音楽の創作を行った点。日本民謡・唱歌のラテン調編曲で「エコーズ・オブ・ジャパン」、特に、内藤法美がアレンジした「城ヶ島の雨」は有名。

      
(左)芸術祭奨励賞受賞作、組曲「祭りの四季」表ジャケット (右)裏面ジャケット(演奏風景)

1965年東京厚生年金ホールでのリサイタルで「祭りの四季」を演奏 

また、1965年第20回芸術祭では、日本の祭囃子で四季を表現した組曲「日本の四季」が奨励賞を受賞、1970年第25回芸術祭では、前田憲男の力作、アフロキューバンジャズの組曲「黒い太陽」と沖縄民謡詩「あがらうざ」が優秀賞を受賞するなど、次々と新たなジャンルを切り開いていった。

前田憲男の力作 芸術祭優秀賞受賞 組曲「The Black Sun」


 四つ目は、一つの曲を決して同じスタイルで演奏しないという点。つまり、全く同じ譜面で演奏せず、常に聴衆に新鮮さを感じてもらえる演奏を心がけた点である。キューバンのファンは、演奏会で同じ演奏曲目でも今回はどこを変えてくるのだろうかとわくわくしながら耳を傾けるのである。

 そして最後、五つ目は、親から息子に代替わりしたキューバンの演奏スタイルの伝統が引き継がれている点である。偉大な親父に負けまいと和照氏もまた、新たなチャレンジを模索している。

 今回のコンサートでは、先代があまり取り上げていなかったクラシック畑の曲をラテン調に編曲し披露された。モーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」。何とも新鮮な面白い取り組みだ。
 また、かなり大胆に編曲した「さくら・さくら」も披露される等、今後の活動が大いに期待される。

 サルサの歌姫 ディーバ・ノリコ

 今回のコンサートでは、朝ドラ「カーネーションの糸子」、「千と千尋の湯婆婆」でお馴染みの「夏木マリ」、サルサの歌姫「ディーバ・ノリコ」、ラス・ベルラス(コーラス)が華を添え、久々の大阪公演は大入り満員であった。小生も最前列の席からエールを送った次第である。
コメント (1)
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薩摩・島津家と大阪の深~い関係のおはなし

2012年08月02日 18時23分36秒 | コーヒーブレイク
薩摩・島津家と大阪の深~い関係のお話



過日、薩摩・島津家第33代当主、島津忠裕氏から表記テーマについて面白い話しをお聞きしたので、3つの話題を紹介します。

1) 島津家発祥の地は大阪(平安後期から鎌倉時代の話)
島津家初代当主、島津忠久氏(1179-1227)は、源頼朝の庶子(側室の子)で嫉妬深い北条政子の許から親子で逃れ、住吉大社で忠久氏が生まれた。今も誕生石が境内に祭られ、歴代藩主は住吉大社参詣を行ない、かの篤姫も薩摩から京に上る際、堺で下船し住吉大社に詣でたそうだ。門前町のお店で「さつま焼き」が今も売られているとか。
(12世紀末、島津家は源頼朝から薩摩国・大隈国・日向国の三国の統治を委ねられた)

2) 堺商人と島津家と中国・琉球の三角関係(15世紀 室町時代)
島津家の事情:中国へ硫黄を輸出し、大陸から様々な商品を輸入、販路拡大をしたい。
  堺商人の事情:貿易船の航路の安全を確保したい、寄港地が欲しい。
  両者の間に密接な信頼関係が構築されて行く。

3) 第16代当主 島津義久 関が原の合戦 退き口
  豊臣に味方した島津家、9月15日関が原戦場離脱⇒17日奈良⇒18日住吉・堺到着
  9月22日堺発⇒29日日向細島に無事到着
  四日市等近隣泊地から船で逃げず、大阪へ向った理由は、大阪・堺への信頼から。
  大阪・堺商人の協力、とりわけ3人の活躍
   田辺屋道与(住吉の薬種問屋)・・・・お礼に薩摩秘伝の薬の専売特許⇒田辺製薬
   塩屋孫右衛門(堺の唐物問屋)
   井上惣兵衛尉(西宮の蔵入地役人)・・お礼に島津姓を許可⇒島津製作所

近代になり薩摩藩士「五代友厚」が、明治初期の大阪経済復興の立役者となったことは良く知られているが、その前、江戸時代に薩摩藩が500万両の財政破綻に陥る一大危機を大阪商人が救ってくれたので、その恩返しでもあった。

 かように、薩摩・島津家と大阪・堺とは密接な関係・絆が構築されてきた、というお話。



鹿児島に行かれる方! パンフの是非仙厳園・尚古集成館の特別展へどうぞ。
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オーダーメイドの高齢小型犬用使い捨てレインコート しかもタダ!

2012年03月24日 12時24分33秒 | コーヒーブレイク
(写真はクリックで拡大します)

オーダーメイドの高齢小型犬用使い捨てレインコート しかもタダ!

 ポメラニアンのナナです。17歳です。 

 雨の日の犬の散歩、嫌ですね。

きっと犬も嫌なようで散歩を早めに切上げても文句を言いません。

我が家のポメラニアンのナナは御歳17歳。

市販のレインコートを過去何度か着せましたが、サイズが微妙に合わず嫌がります。まして最近は高齢の為、軽いものでないと・・・

 ということで、オーダーメードの高齢小型犬用使い捨てレインコートを紹介します。

 用意するもの: 何処の家にでもあるスーパーの買物袋、はさみ、セロテープ。



 まず、
1.図のような使用済みの買物袋をAのように切ります。
2.Cの所(袋の底部)にはさみを入れて開きます。
3.Bの取っ手部を犬の顔を通して首輪のようにします。
4.次にEを犬の胸の前で重ねテープ止めします。
5.Dを胴体の下に両側から回し重なる部分を前方と中間前寄りでテープ止めします 
  (後方はテープ止めしてはいけません)。
 以上で終わりです。

 毛が長いので胸元は残った袋の一部で補強しています。

 歳で自慢のシッポが毛も薄くなり下げています。

 頭は嫌がるのでカバーしていません。

 Aで切断した残りの袋で胸回りや頭を補強するのもいいでしょう。

 軽くて、使い捨て! 散歩から帰ればはがしてゴミ箱へ。


今回の「オーダーメイドの高齢小型犬用使い捨てレインコート しかもタダ!」を評価下さい。

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夏の夜空

2010年07月25日 17時01分40秒 | コーヒーブレイク
(写真はクリックで拡大します)

夏の夜空


  夏の大三角

 お風呂上りの火照った身体を2階のベランダの寝椅子に横たえて、程よい夜風に当たりながら夏の夜空を観察するのが私は好きだ。

 宇宙創造の神さまには申し訳ないが、自分勝手に明るい3つの星を選んで「夏の大三角」をいくつも創ってみたり、極めて稀に流れ星が目に飛び込んできた時には遅きに失するもあわてて願い事を考えたり、結構面白いものである。
ちなみに、「夏の大三角」は「こと座のべガ」、「わし座のアルタイル」、「はくちょう座のデネブ」の3星を結ぶ細長い大きな三角形。

 そんな夏の夜空遊びで、飽きないのが飛行機の灯りの追跡である。
我が家の近くの和泉山系三国山という所にARSR(航空路監視レーダー)のドームがある。大阪南部を飛行する航空機にとっては灯台のようなもので、極めて重要な施設らしい。
 従って、我が家の上空は音はほとんど気にならないが、よくよく見るとひっきりなしに飛行機が飛んでいる。

 和泉山系三国山の航空路監視レーダー


 そんな飛行機の灯りを見ていると、いくつかの航路を見出すことが出来る。
一つはかなりの高度を西から東、東から西に小さな灯りが飛び交う航路。
一つは窓の灯りが数えられる位の高度で主に大阪方面に向かう航路。
そしてもう一つは、窓の灯りが数えられる位の高度で南西の上空を旋廻する航路。

 最初の航路は、多分九州、四国方面と羽田を結ぶ航路?ではなかろうか。次の航路は九州、四国方面と伊丹を結ぶ航路だろう。そして最後のは関空着陸待機の飛行機?と勝手に想像しているのだが。

 和泉山系三国山のARSR


 航路と言ってもかなりの幅があるように思う。多分大阪伊丹空港に着陸するであろう飛行機も、山に近い航路を取るパイロットもいれば、不埒にも我が家の上を飛ぶパイロットもいる。
そうかと思うと、あわやニアミス!と心配させるような接近状態で飛ぶ(実際はかなり離れているのだろうが)飛行機もあり、およそ30分も涼んでいれば、6~8機の灯りが確認出来て結構時間を忘れさせてくれる。

  日本のレーダー覆域


 飛行機の灯りと言えば、面白い話がある。
昔、窓側に坐ったある知人が夜間飛行時に、真っ暗な空に見事な南十字星を見て感動したという話を聞いた。しかしこの話には更に続きがあって、その南十字星は結局目的地まで追いかけて来たそうな。そう!この知人は飛行機の主翼の灯りに感激していたわけだ。


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東京キューバンボーイズ

2010年01月17日 12時11分21秒 | コーヒーブレイク

東京キューバンボーイズ    2010.01.17





 東京嫌いの私が唯一好きな東京がある。それが見砂直照と東京キューバンボーイズ。
かれこれ50年ほど前のこと。大阪フェスティバルホールで「ザ・プラタース」の労音公演(なんと入場料500円の時代)があり、高校生の私は姉に連れられて聞きに行きました。その公演でバックを務めたのが見砂直照率いる東京キューバンボーイズ。

 当時、ザ・プラタースは「オンリー・ユー」や「煙が目にしみる」「16トン」等の世界的大ヒットを飛ばしていた人気グループで、その歌声も素晴らしかったが、それ以上に私を虜にしたのは、強烈なラテンビートでした。以後、このフルバンドの大ファンとなり、大阪公演の際には必ず出かけて行きました。
 
 貧乏学生だったので、今はなくなりましたが心斎橋のミヤコ楽器店等でアルバイトをして、お気に入りのLPレコードやオープンリールのテープを買いあさったものでした。もちろん再生するためのステレオやテープデッキもせっせとアルバイトして揃えました。

 1976年紫綬褒章受賞 後はトリオ・ロス・チカノス


 ダンスホールのバックヤードから、華々しいステージへとフルバンドのあり方を模索され、二度と同じ編曲で聴衆に聞かせず、組曲「祭りの四季」や「黒い太陽」で芸術祭奨励賞を受賞するなど、私の青春時代に豊かな感性をはぐくんでくれたバンドでした。

 そんな東京キューバンも1949年の結成後31年の活動を経て、1980年解散コンサートを打たれました。見砂氏71歳の時です。大阪フェスティバルホールでのさよならコンサートは、ダフ屋が出るほどの盛況で、私も女房共々最後のキューバンサウンドを聴きに行きました。冬の寒い折りしも珍しく残雪が残る道を自宅に戻る時には、何故かうっすらと涙が出てきました。

 記念パンフ(A4版50頁)の表・裏表紙 


 マエストロ見砂氏は解散コンサートの10年後に永眠され、その遺骨は日本とキューバに眠っていると聞いていますが、昨年「見砂直照生誕100年、東京キューバンボーイズ結成60周年を記念して「TOKYO CUBAN BOYS」というパンフレットが発行されました。懐かしい写真が満載され、その輝かしい活動の歴史が改めて思い起こされます。ちなみに1部1500円(送料込み)で東京キューバンボーイズのホームページから申し込むことが出来ます。
(参考:info@tokyocubanboys.com )

 2005年、息子さんの和照氏が再び東京キューバンボーイズを再結成され、活動されています。本ブログの「イベント」でも紹介したように、当時日本の2大ビッグバンドであった「原信夫と#&♭」のさよならコンサートにゲスト出演したり、新たな活動を始められています。が、残念なことに東京中心の活動に止まっています。関西にも沢山のキューバンファンがいます。是非、また大阪で強烈なラテンリズムを再現して欲しいものです。


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こりゃ大変!股関節脱臼

2009年10月03日 12時34分21秒 | コーヒーブレイク

こりゃ大変!股関節脱臼



 我が家の13歳になるポメラニアンのナナちゃん(女の子)のことです。

 夏のある日、女房が朝の散歩から連れて帰ってブラシで毛づくろいをしていた時のこと。
お腹の下も、と両前足を持ってブラシをあてた時、ナナが何かのはずみで急に動き
キャイン!と言ってビッコ状態に。もともと繊細な女の子だけに、夕方までほとんど呼声にも反応せず、うずくまって人間不信?に陥ったか?

 そこで近くの動物病院へ。
 どうも、脱臼しているのではないかということで、獣医さんがレントゲン検査しようと後左足を伸ばすと外れていた関節がなんと入ってしまった。撮影では確認出来なかったが、ナナは何とか自力歩行を始めとりあえず「良かった、良かった」。
 薬と絶対安静に!ということで、幼犬時に使っていたゲージを引っ張り出して、中に入れると、今まで家の中を自由気ままに動いていたのと違う環境にうるさく出せ!出せ!と主張する。

 ところが、である。一度外れた関節は容易にまた外れるもの。外れては獣医さんのところでレントゲンを撮ろうとするが、その前に入ってしまうということの繰り返しが数度続いた。
 しかし、ある日とうとう脱臼状態がレントゲンで撮影され、獣医さんから手術の話があった。
 通常脱臼の場合、骨に人工の腱(糸)を通す方法と骨頭切除による方法があり、小型犬の場合は関節の骨頭切除で治すようで、この獣医さんも後者を薦める。

 しかし、老犬なので手術は出来れば避けたい。そこで別の獣医さんにセカンドオピニオンを求めると、この獣医さんは二つの方法があると言う。
 一つは、骨頭切除。もう一つは擬似関節が出来るまで待つ。
 ナナの年齢を聞くと手術には多少二の足を踏むという獣医さんの話を聞き、我々は後者の擬似関節が出来るのを待つことに。
それまで、ナナはゲージの中での生活。



 それから1ヶ月。
 ナナは多少ビッコは残っているが、従前どおり元気に散歩に出かけ、美味しいものを食べていると飛んできて「私にも頂戴!」とせがむ様に。もちろんやりませんが。もともと、歳とともに腰が弱っていただけに、体重を落とすようにしないと。

 手術しても多少のビッコは残るという獣医さんの話に、我々の選択は間違っていなかったと、喜んでいる次第です。


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