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旅行記、世相独言

日米決戦前夜 -ニューヨーク-(異文化体験15 日米舌戦の旅1)

2011年08月16日 23時23分23秒 | 異文化体験_北米
1993年7月から業界団体の国際関係の仕事を任され東京に単身赴任。
任期は3年間。霞ヶ関のお膝元「虎ノ門」のオフィスに、おばあちゃんの原宿「巣鴨」のマンションから通う。3年間で十数度の海外出張、国会対策、国内での国際会議対応と結構忙しくもあり、また楽しくもあり。
その第1回目は、アメリカ合衆国への旅。

(写真はクリックで拡大します)


日米決戦前夜 -ニューヨーク-  1993.8.25~28

 7月から業界団体の国際部長として出向し、東京に単身赴任の身となった小生。初の海外出張先はアメリカガス協会(AGA)である。
我が業界が打ち上げた日本縦断パイプライン構想が、何を間違ったのかAGAでは既に入札が始まるという情報になっている。貿易摩擦解消のテーマとして米国から日本の通産省に国レベルの外圧になりかけている。実態はまだまだ構想レベルの話なのだが、これを米国側に正しく認識させるのが今回の出張の目的である。

 海外留学経験も無い小生が何故、国際部長なのか自ら疑問に思うところであるが、どうも海外出張回数が多かったという、ただそれだけの理由らしい。7月から英会話の個人レッスンの猛特訓を始めるが、この出張には間に合うはずもなし。極めてデリケートな話だけに、専門通訳を用意していざ、米国へ。

  
      (左)ホテル外観                 (中)ルームキイ                 (右)ロビー

 JL006便は予定通り11時半にJFK国際空港に到着。The Waldorf-Astoria Hotelにチェックイン後、同行のG氏が早速日本で入手困難なゴルフクラブを物色に。小生もこれに同行する。S-YARDのドライバーがお目当てのようで、結局番手違いを2本ゲットしたG氏、でも価格はさほど日本と変わらなかったようだ。


         
(左)「SULKA」(スルカ)のカード       (右)ゴールド系のお気に入りネクタイ

 N.Y.で今流行のネクタイ屋があるというので、そちらに出向く。「SULKA」(スルカ)というブランドの店。フランスの有名なネクタイブランドで、しっかりした作りで独特の色合いのものが置いてある。渋いゴールド系のものと他1本を購入。

         
(左)53番街イタリアンレストラン「イル・ニド」       (右)マジェスティック劇場

         
(左)オペラ座の怪人 解説             (右)一番初期のオペラ座の怪人Tシャツ

 夕食は53番街のイタリアレストラン「IL NIDO」。その後は楽しみにしているMajestic Theatreでのブロードウエイ・ミュージカル「The PHANTOM of the OPERA(オペラ座の怪人)」を観劇。Marcus Lovett演ずる怪人とMary D’arcy演ずるChristineの舞台を一杯に使った迫力ある演技に感激。日本未上陸のT-シャツをお土産に買って帰る。

 
 世界貿易センタービル屋上展望台への入場チケット

 
    世界貿易センタービル屋上からの(左)マンハッタンの眺め (右)自由の女神
 
 翌日は、パークアヴェニューの我が業界T社の現地事務所で翌日のAGA対策打ち合わせ会議。会議終了後、絶好の天気なので世界貿易センタービルの最上階に上がってみる。マンハッタンの摩天楼や自由の女神が圧倒的存在感で眼前に迫る。

         
(左)WF独特の開放感あるPIER17     (右)PIER17のショップで買った蝶の置物

 PIER17にも足を伸ばし、ウォーターフロント独特の水辺の開放空間を楽しむ。きれいな蝶のはく製を加工し、光をあてるときらきら輝く飾り物があったのでお土産にゲット。今日の夕食は、旧PANAMビル56階のスカイクラブ。明日の決戦を前に秘策を話し合いつつ、早めに床に着く。



上品な我が娘は男?-ロサンゼルス-(異文化体験10 地下空間の旅7)

2011年01月01日 01時51分29秒 | 異文化体験_北米
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上品な我が娘は男? -ロサンゼルス-  1988.3.23~25

 グランドキャニオン組、自由行動組、バスツアー組等、最後の一日は数名ずつのグループに分かれての行動となった。小生はバスツアー組に入る。

 ビルトモアホテル 

 添乗員を含む5名を乗せた大型観光バスは、今回の宿舎ロサンゼルス・ビルトモアーホテルを10時に出発。午前中はショッピングで午後は珍しい所に行こうと車内で意見が一致。

  
(左)チャイニーズシアター前で(ソフィア・ローレンの手形上で)  (右)高級ブティックが軒を並べるロデオドライブ

 ハリウッドのチャイニーズシアター、ビバリーヒルズのロデオドライブと車を進める。欧州の一流ブランド店が立ち並ぶこの界隈。予算に合うような代物はなく、西海岸らしい店員の服装を見て歩くのも楽しみの一つ。超ミニにノーブラ・Tシャツで臍だしルックの黒人のかわいい店員を相手に時間つぶしをしていると、皆さん、奥さんや娘さんにと収穫品を両手に戻ってくる。


  
(左)家族ずれで賑わうレドンドビーチ (右)太公望が釣り糸を垂れる桟橋には沢山のシーフードのお店が。

 昼食はレドンド・ビーチへ蟹を食いに行こうと添乗員の提案で、快晴の汗ばむ陽気の海岸に移動。波の高い海岸付近は、母親に見守られながら水と戯れる子供達、上半身裸でスケートボードを楽しむ若者達、超ビキニで日光浴を楽しむ女性達、海に突出した木製のピアには両側から釣り糸をたれる太公望達と、様々な長閑な時間が流れている。

  
(左)韓国人の経営する「Pacific Fish Center」  (右)まずは貝のワイン蒸しから。
 
 ピアの両脇には採れたての蟹、魚、貝等を食わせる沢山のお店が並んでいる。韓国人の経営するお店の窓際の席に腰を降ろして、貝のワイン蒸し、鮫のフライ、水槽で指定した蟹のボイルを注文する。

 噂の上品なカモメ。雌なの?、それとも雄なの?

 ボリュームたっぷりの皿盛で注文品が来ると、沢山のカモメが窓際の手すりに集まって来て、催促を始める。その中に上品な感じのカモメがいて、H氏がこいつは俺の娘だと言って、あまり美味しくなかった鮫のフライを優先的に与える。入替わりに次から次にカモメが催促するので、我が娘も見分けがつかない。かなりいい加減なものだが、H氏はいや、こいつに間違いない!と自信たっぷり。しかし、他のカモメが餌を貰うと怒って相手を襲う様など見ると、どうみても娘じゃなく雄じゃないの、と疑問視する声も。

 我々のみならずカモメまで満腹になって、さあどうする、と皆で相談。まだ、会社の女の子に何か買わないと、と諸氏。それではメルローズ界隈に行こうと添乗員が提案。

 若者の街、メルローズ界隈

 ダウンタウン方面に車を走らせると、まるで異次元の世界に迷い込んだような気さえ起こさせる光景が目に飛び込んでくる。ニューウェーブかサイケデリックか知らないが、まさに若者だけが理解し合える世界が展開している。虹色に染めた髪、滅多やたらと鎖を巻きつけたファッション、ボディコンシャスな超ミニのスカート、パンツルック、大きなバストを誇示したタンクトップ姿、我々のような人種はお呼びでない雰囲気の街である。比較的おとなしいイタリアン・ファッションのお店に入って、タンクトップのTシャツ、ややミニのスカート、小生のための白いジャンパーを購入。やれやれ、これで買物も終わりだと思いきや、何の何の! バスは更に我々をDUTY FREE SHOPPERSに連れて行くのである。

 メルローズファッション(参考写真) 

 建設省の地下空間利用調査団は、ビルトモアホテル近くのステーキハウスで最後の晩餐会をもってお開きとなったが、正に一大買出しツアーでもあった。小さな日本がそのまま米国内を移動するこのような出張は、正直もう御免である。贅沢かな?




カードのサインにはご用心 -ダラス-(異文化体験10 地下空間の旅6)

2010年12月28日 18時03分25秒 | 異文化体験_北米
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カードのサインにはご用心! -ダラス-  1988.3.22~23

 ニューヨークからテネシー州メンフィス経由ダラスに向かう。メンフィスへの機内での事。隣の二人連れの若いビジネスマンがしきりと話し掛けてくる。AMEXに勤める彼は、出張帰りだそうな。気さくな米国人は、日本人と違って何だかんだと話好き。広い米国では何よりも情報交換が大切で、野村證券をマークしているという彼、メンフィスにシャープが進出し、綿製品や農業立国から脱皮しようとしていると解説してくれる。「大変楽しかった、ありがとう!」と言って別れるのは、気持ちの良いものである。

   
(左)広大なダラス・フォートワース空港     (右)会議に便利な米国本土の東西中間点

      
(左)東西交流の中心地として沢山の巨大マートが立地している  (右)その内部

 広大なダラス空港からダウンタウンに向かう空港通りの両脇に、立派な沢山のマートが立地している。ダウンタウンのホテルも会議の開催が多いようだ。国内で5時間の時差を持つ米国では、日帰りの会議が出来るのは中央部に位置するテキサス州辺りということになるらしい。さしずめ日本で言えば名古屋か、浜松という位置関係か。


  
(左)トリニティリバーから見たダラスの街     (右)ダラス・カウボーイのチアガールズ

 かつてカウボーイが活躍した西部の町は東西の交易の中心地として、またテキサコを代表とする石油の中心地として栄えたが、最近は少し景気が良くないようだ。それでも、空港に近いラスコリナスには広大なハイテクタウンを建設中であり、米国の底力を感じずにはいられない。

    
(左)ラスコリナスの案内標識        (右)開発が進むラスコリナスの街

 ウィリアムズ・スクウェアのムスタング(半野生馬)のモニュメント

  
 ラスコリナスは別として、いかにも人工の街という感じを払拭できないダラスであるが、夏の日中は軽く40℃を超えるとかでカナダとは逆の意味で地下通路、スカイウェイの建設が盛んである。コンクリート文化の象徴のような人影の薄い高層ビルが林立する地上と違って、地下には商店街が連なり人の賑わいもあり温か味が感じられる。

    
(左)暑さ対策のスカイウェイが  (右)地表の人通りは少ないが、地下街は賑わっている

 ダラスと言えば誰もが思い起こすのが記念すべきテレビの日米衛星中継の日に飛び込んできたあの忌まわしい映像、J.F.ケネデイ大統領暗殺事件が、この街で起こったとは思えないほど静かな街である。

 狙撃元の「The Texas School Book Depository」
                ビル左側面6階2つ目の窓から凶弾が発射された


 ダラス商工会議所での最後の公式日程を終え、空港へのバスの待ち時間にビル1階にオープンしているBROOKS BROTHERSをのぞくと、手頃なネクタイが目に映る。2本ほど選んで、おばさんの店員に渡すとクレジットカードのサインを求められる。何気なく見ると購入品と違う明細、どうも同じ団の別の人と取り違えたようだ。

 サインする時は、必ず明細書をチェックしないと! 帰ってから一騒動ということにならないよう、ご注意!



世界買い出し考 -ニューヨーク- (異文化体験10 地下空間の旅5)

2010年12月24日 23時27分04秒 | 異文化体験_北米
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世界買い出し考 -ニューヨーク-  1988.3.19~22


   
(左)バッテリーパークシティから見たスタッテン島(遠くに自由の女神像)(右)ビルの間に世界貿易センタービルが。

 ニューヨークを訪ねる日本の様々な調査団が必ず一度は訪問するのがバッテリーパークシティ。我々の調査団も御多分にもれずご当地に向かう。が、しかしである。はからずも同じ建設省の住宅局調査団とN.Y. Port Authority(港湾局)で鉢合わせになるというN.Y. Port Authority(港湾局)には誠にもってお恥かしい事態が出現してしまった。まさに縦割り行政のなせるわざで、事務局の事前調整のまずさが露呈した次第。

ロングアイランド鉄道車庫の上にデッキを張って空間利用計画

 もうひとつの調査対象はロングアイランド鉄道車庫の上部空間の開発計画調査である。さすがにここでは住宅局との鉢合わせはなかったが。

 
 
(左)海から見たマンハッタン、バッテリーパーク (右)新しく開発されたSouth Street Seaport

 ニューヨークを離れる日は、出発時間までバスでショッピングツアー。小生はこれをパスして当社のN.Y.事務所に足を運び、昼前まで歓談して駐在のT君と一緒にウォーターフロントの見学に行く。スタッテン島へのフェリーで自由の女神を横目に、海からマンハッタンの水際開発を見学し、フルトン魚市場近くのPIER17で昼食。日本でも最近はウォーターフロントの開発が盛んだが、水際空間は何故か人の気持ちを和らげ、開放的にしてくれる。ここSouth Street Seaportには様々なお店が出店している。インテリアグッズの店でライティングで羽根の色がなんとも美しい綺麗な蝶々の標本を購入。

  
(左)South Street SeaportのPIER17     (右)羽根の色が綺麗な蝶々の標本

 PIER17を後にして、サックス・フィフス・アベニューで母親の土産探しをしてトランプタワー近くまで来ると、どこかで見たバスが停まっている。我が調査団のバスである。


 これから空港に向かうと言うので、ここでT君と別れて車中の人となる。バスの中は皆さん、お土産物の山である。ある人はティファニーに入って、「ショウウィンドウのここからあそこまでの商品を全部くれ!」と言って買物をした勇者もいたようだ。きれいなリボンのついた数々のブランド名を誇示した紙袋が車内を独占している。
初めての海外旅行の人も多く、自由時間が豊富で、しかも上級管理職クラスの多い今回の調査団は、正に買出し旅行の一面も有している。

  
(左)5番街の「Tiffany本店」       (右)バスの中、座席にはこの袋や箱が満杯状態

 しかし、何故こうもブランド製品に憧れるのであろうか、成金大国日本の旅行者は、ここアメリカに来てもヨーロッパブランドを追い求め、欧米の区別さえつかない人もいる。
 もっともほとんどが家族や会社の女性からの頼まれもののようだが、空港の待合所で買ったばかりの綺麗な包みを破いて、新品のバッグの中にこれまた新品のバッグやその他の戦利品を何重にも押し込む様は、米国人にどのように映っているのであろうか?






氷の滝とミュージカルと-ナイアガラ&ニューヨーク-(異文化体験10 地下空間の旅4)

2010年12月19日 15時46分00秒 | 異文化体験_北米
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氷の滝とミュージカル -ナイアガラ&ニューヨーク-  1988.3.19~22


 2度目のナイアガラ。3年前の2月も雪化粧した巨大な氷と化した滝の姿に感動したが、凍結した白い滝ではなく、水煙を高々とあげ霧の乙女号で滝壺近くまで行けるナイアガラもまた見たいものである。

 
(左)3年前1985年2月のナイアガラ       (右)今回のナイアガラ

 アメリカ滝の真正面に位置するメイプルリーフ・フォックスヘッドというホテルの部屋からカクテル光線に映し出されたアメリカ、カナダ滝が幻想的に浮かんで見える。夜の間に雪が更に降って朝は一面の銀世界。快晴の青空に白銀の世界と凍りついた滝から湧き出る水煙のコントラストが実に美しい。

   
(左)夜はライトアップされ、ホテルの部屋からも見ることが出来る。(右)スカイロン・タワー

 
       3年前より1ケ月ほど春に近い分、氷結の度合いは小さい。

 前回よりは春に近い分だけ滝と滝壷の氷も溶け、流れも活発化している。スカイロンタワーで昼食をとりながら、滝の360度の表情を余す所なく見物し、バッファロー経由でニューヨーク・グランドセントラル駅に近接するハイアット・リジェンシーホテルにチェックインする。

  
(左)手前から順にグランドセントラル駅、ハイアット、クライスラービル。(右)ロビーはきんきらきん

 ハイアットと言えばキンキラキンの高級ホテルである。今宵は世界貿易センタービル最上階の「Windows on the world」での食事、明日の夜はレストラン「サントリー」での久々の和食の後、ミュージカル「CATS」と予定が組まれている。

 
  ニューヨークの象徴的ツインビル「世界貿易センタービル」最上階のレストラン「windows on the world」

 ミュージカル「CATS」は、米国では1982年10月にブロードウェイのウインター・シアター・ガーデンでデビューし、1997年6月まで実に6138回も同じチームで演じられた最長公演ミュージカルである。(ブロードウェイでは、結局2000年9月まで実に7485回も上演されたようだ)。

  ウィンターガーデン・シアター・チケット

   
(左)公演ガイドブック     (右)キャッツの一シーン

 世界的に大ヒットしているこのミュージカル、明日の夜が大いに楽しみだ。




巨大地下通路計画 -トロント-(異文化体験10 地下空間の旅3)

2010年12月12日 10時09分50秒 | 異文化体験_北米
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巨大地下通路計画 -トロント-  1988.3.18~19

 オンタリオ湖に面した美しい街トロント

 早朝のモンレアール(モントリオール)を弁当持ちで出発、エアカナダでトロントまで1時間のフライト。イートンセンター近くの市の出張事務所で地下街の説明を受けた後、現地見学に出発する。

 巨大ショッピングモール「イートンセンター」

 イートンセンターを拠点とする地下街は、天井がガラス張りの地上3階、地下2階の巨大吹抜け空間を構成し、一大ショッピングセンターとなっている。金曜日の午前であるが、沢山の市民で賑わい、カナダ最大の人口300万都市の活気が伝わってくる。
 迷路のような地下街は、ビルの地下と連繋し道路の地下を潜り抜けオンタリオ湖近くのユニオン駅まで伸びている。ユニオン駅は「暴走特急」というパニック映画で、暴走機関車が駅に突っ込むシーンのモデルとなった駅。映画のラストシーンが目に浮かぶ。

ユニオン駅


 モンレアール同様、かくの如き地下街が何故発達するのか? 厳しい冬を迎えるこの地の人にとって、外気に触れることなく厳冬期の生活を楽しむニーズは非常に高い。
 当初、ユニオン駅でごく僅かの区間出来た地下通路が、あっという間に市の中心部に広がっていったようだが、ランダムな通路形成は意味がないので、市がマスタープランを作成し、ビルオーナーがそれに協力するという形で今日も少しずつ延長を延ばしている。

 アメーバー状に延長を拡大する地下通路

 ビルオーナーも地下通路を確保することは、それだけビルの付加価値を高めることになり、ビルとビルを結ぶ道路横断の通路は、両ビルオーナーと市が夫々1/3ずつ負担している。地下通路で人の通行が確保されると、通路の片側あるいは両側に自然と商店が貼り付き更に人が集まるという好循環を繰り返している。

 中華レストラン「Lichee Garden」で昼食 

 巨大ショッピングセンターは、自然光を取り入れた明るく楽しい空間を構成している。各店は日本人の異常なまでの高級ブランド指向という傾向も見られず、国産ブランドを大切にし、台湾や韓国で作られていようが良いものは受け入れる土壌が先進国としての誇りの中で息づいている。
 地下街視察ツアーは「Lichee Garden」という中華レストランでの昼食をはさんで、これでもか!これでもか!と夕刻まで続いた。


「Royal York Hotel」

 今宵の宿舎は英国王室御用達の「Royal York Hotel」。そのホテルのレストランでの魚料理。1400室近い客室と10数種類のレストランを有する格調高いホテルである。それにしても何を食っているのか分からない薄暗い蝋燭の明かりの中での食事であった。

 食後は昨夜の話を聞きつけた連中も加わって、タクシー2台に分乗しての5$遊び。今宵も5$紙幣が乱れ飛んだが、最後に呼んだ可愛い黒人の女の子。皆、目を皿にして凝視したが、教訓!暗がりでは黒人の女の子を呼ぶべからず!

  
(左)トロント・シティホール  (右)トロントのランドマークタワー「CNタワー553m」

 翌朝はナイアガラ出発までバスによる市内観光ツアー。N設計のO氏と私はこれをパスして街をぶらつくことに。まだまだ寒いトロント、高層ビルが林立する間をビル風が吹きまくる。シティホールまで歩くともう我慢の限界。結局イートンセンターに潜り込むことになった。
 地下空間はなるほど生活必需品であることを実感した次第。しかし、おかげで553mの世界一のCNタワーに上る機会を逸してしまった。ああ、残念、無念!



5ドル紙幣が飛ぶように・・-モントリオール-(異文化体験10 地下空間の旅2)

2010年12月07日 22時37分19秒 | 異文化体験_北米
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5ドル紙幣が飛ぶように -モントリオール-  1988.3.16~18

 モン・ロワイヤル公園からの眺望

 「モン レアール」、これが地元での呼び名。カナダで仏語を公用語とするモントリオールは、このためにカナダ最大の都市から第2番目の都市に転落。Bank of Montrealの本社までトロントに移ってしまったとか。今回の建設省地下空間利用の調査団は、小生にとって初めて建設業界の人とのお付合いである。この業界、技術的には日本が先進国なので、専らデザイン等ソフト面での興味が強く、写真、ビデオを撮りまくる旅となった。日本で地名学を勉強したジルという仏系カナダ人がガイドしてくれる。

    
(左)1976年のオリンピックスタジアム        (右)サン・ジョゼフ礼拝堂

 モントリオールは、高層ビルが林立する外見的には米国的な雰囲気と、どこか欧州的な街の雰囲気とが融合する何とも奇妙な近代都市である。今回の宿舎は「クィーン・エリザベス」。1969年、ジョン・レノンとオノ・ヨーコが1742号室で「Bed in」し、同年6月1日に"Give Peace a Chance"を収録したホテルとして有名である。
 Le Caveauというフランス料理屋での夕食は、ジルの日本の地名の由来に関する話題で彼の一人舞台であった。

 
(左)今回の宿舎「クィーン・エリザベス」  (右)1969年ジョン・レノン&オノ・ヨーコの泊まった部屋

    
(左)ノートルダム聖堂のステンドグラス      (右)レストラン「Le Caveau」

 翌日は、市の地下街建設のヒアリングを午前中に終え、午後は交通局のおじさんの案内で現場視察。ヨーロッパ的街づくりの一面は、セントジェームズ教会の下の地下街建設に如実に現れている。古い歴史を持つこの教会の下を地下街が通る計画に教会は反対したが市とのネゴシエーションの末、教会を現状姿どおりに残すため何本もの杭で下支えして工事を行い、教会の裏の超高層ビルは教会との美観的調和を重視して、教会の尖塔を模した設計となっている。

     
  地下街建設現場:セント・ジェームズ教会を現場有姿で持ち上げ、その下を開削している

 交通局のおじさん、仕事熱心は大いに結構なのだが、地下鉄を乗り継いで良く似た地下街や地下通路をこれでもか、これでもかと見せてくれる。日本のようなターミナル中心の商業主義的地下街と異なり、彼等の考え方は「ネットワーク化」が根本にある。
 地下鉄と地下街、地下通路のネットワークでどこへでも自由に行けるようにしようと考え、年々ネットワーク網は拡大している。(参考:現在では全長33キロ)とても1日では廻りきれない。1時に出発して5時半まで地下街を団体でうろうろ、おまけに皆が写真をバシャバシャ。市民には我々一行がどのように映ったのであろうか?
 ちなみに、市内観光で「地下街探訪ツアー(85カナダドル)」なるコースがあるようだ。

   
(左)市の事務所で、女性スタッフと    (右)巨大ショッピングセンター「イートン・センター」


 
 中央駅で解散となり、夕刻7時の食事まで自由行動。最大のデパートEATONSや地下商店街を訪ねる。ファッションはここカナダでも東南アジア製品がほとんどで、余程の高級品でない限りカナダ製を見つけるのは難しい。特に若い世代のファッションはカナダブランドのものでもNICS製と考えてよい。NICS製品に対する考え方を改める必要があるようだ。

  
(左)結構この手の店が多い街(参考写真)    (右)5ドル紙幣がこんな感じ(参考写真)

 食事後のナイトライフは、数名でストリップに行こう!ということになった。本ツアーで初めて会った者同士が打解けるにはこれが一番速い。
 ここでは日本と違って舞台がない。4$程度のドリンク付きの入場料を払うと、各席に下着姿の女の子を呼んでのショウの開始となる。1曲5$が相場らしい。女の子はスポンサーに向かって踊りながら徐々に下着を取り、目に前で形の良い裸体を商売道具の小さな踏み台に乗って見せるのである。

 我々のような数名の団体さんは明るく陽気にやっているが、一人で来ている現地の常連さんは全裸の女の子と目と目で視姦しあう怪しげな雰囲気。あの子が良い、いやあの子にしよう、と5$紙幣が瞬く間に消えてゆく。若い女の子が多く、明るくさっぱりしているのが良い。明日の夜のために5$紙幣を集めておかなくては。
 だって、チップのお釣りという訳にはいかないもの!



8階は砂の海 -ミネアポリス-(異文化体験10 地下空間の旅01)

2010年12月01日 22時39分16秒 | 異文化体験_北米
 バブル経済真最中の日本。地価は暴騰し、都市計画上もっと密度を上げた空間利用を!と建設省が地下空間の利用調査を行うことになり、その調査団の一員としてアメリカ・カナダを旅することに。テーマは「地下空間の利用」。さてさて、どんな旅になることやら。


(写真はクリックで拡大します)


8階は砂の海 -ミネアポリス- 1988.3.14~16


 成田の滑走路の端に来て、出力一杯のエンジン音を響かせて今にも滑走を始めようとしかけた時、機長が「エンジン不調につきゲートに引き返す。しかし貴方達は幸せなことに代替機が2時間後に準備出来るのでしばらく待って欲しい」と機内アナウンス。もし、飛び立っていたらと思うとぞっとする。出発前日、S嬢がお守りを届けてくれたが、そのお陰かも。Sさん、有難う。

 ミネアポリス市庁舎の「ファーザー・オブ・ウォーター」像

 市長から「名誉市民」の称号が与えられる

 ミネソタ州ミネアポリスは、先週大雪が降り路上の至るところにその名残がある。ミネアポリス市庁舎の玄関ホールには、1904年に製作された古代の河の神を象った大理石の「ファーザー・オブ・ウォーター」という巨大彫像がある。その市庁舎を訪問すると、市長自ら出迎えて市の現状を説明の上、メンバー全員に「名誉市民」の称号を記した賞状を手渡して歓迎してくれる。日本国政府の便益供与依頼の賜物とは知りつつ感激である。
 デンバーからの飛行機で隣に座ったおじさんが、箸の持ち方や大阪周辺の事にやたらと詳しい。どうしてそんなに良く知ってるの?と尋ねると、ミネアポリスは大阪府茨木市と姉妹都市関係にあり、文化交流が大変盛んだと言う。

 
(左)1915年 セント・アンソニー滝周辺       (右)1988年 同じ場所

 ミシシッピ川唯一の滝であるセント・アンソニー滝の周囲に発展したこの街は、製材、製粉業からハイテック産業に衣替えの途上で、スリーエム、ハネウェル等の本社がある。地層構造が地下利用に適しているので、あるデベロッパーは大地下都市構想を市に提案しており、ミネソタ大学の鉱物学教室は自らの建物を地下利用している。エレベーターで8階に行ってくれと言うので、乗ってから8階のボタンを探すが3階までしかない。聞き違えたのかな?とよくよく見ると地下に8階がある。

     
(左)ミネソタ大学工学研究室 地下8階  (右)拡張工事現場 綺麗な砂の層

 工学研究室がごく普通の大学の研究室と同様に地下空間に並んでおり、学生が実験をしている。この階の拡張工事現場に行くと、どこかの海岸を思わせる一面の砂場である。石灰石の下に砂層が広がる地層構造のようで、地震のないこの地では地下都市建設が非常に安価に出来るのだそうだ。


 ミネアポリス名物ダウンタウンの「スカイウェイ」

 一方、地上ではダウンタウン中心に「スカイウェイ」が張り巡らされている。ミネアポリスのスカイウェイはダウンタウンの80ブロックにわたり、総延長は11kmにおよぶ大規模なもの。各ビルの2階を利用して道路を横断するカプセル様の道は、ビル内の公共スペースと連絡しており、冬の寒い時期でもコートなしで好きな所に行ける。1階の車道を通る車と2階のスカイウェイを通る人との歩車分離にもなっている。このスカイウェイ計画、まだ全ての建物には連絡されておらず、今後順次整備されるとのこと。

 ニコレットモール近辺 いまいち活気がない

 火曜日の夕刻、一人でスカイウェイ散策に出掛けると、せいぜい人口10数万人の都市(周辺を入れると40万人)のこと、人通りは少なく、百貨店も今ひとつ活気がない。メインストリートのニコレットモールに面した商店も空家が目立つ。市長が「市民が郊外に出て行くので、呼び戻し策を考えないといけない」と言っていたが、都心の地底都市はどうなることやら。

 街中には半地下住宅も見られる

 光を地底都市に伝達することも彼らにとっては重要な課題。反射鏡や光ファイバーを使って、様々な仕掛けを大学の地底教室で実験している。地下8階に反射鏡を利用した景色窓があり、そこに地上の景色を写している。何もそこまでしなくとも、と思うが、決してスカートの中を覗こうというのではありません。念のため。

 大学地下8階の景色窓(反射鏡を利用)



乱交パーティと殺人と - S.F.&L.A. - (異文化体験7 世界一周の旅11)

2010年08月11日 00時26分48秒 | 異文化体験_北米
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乱交パーティと殺人と -S.F.&L.A.-  1985.3.3~6

サンフランシスコ・金門橋

 アトランタ経由サン・フランシスコ到着は、深夜に近い時間帯。ホテル・ラマダ・ルネッサンスは比較的新しいホテル。緯度を少し北に戻した分、初夏から春に逆戻りだがそれでも気持ちの良い気候である。


      サンフランシスコの宿舎、ホテル・ラマダ・ルネサンスは、比較的新しいホテル

 ケーブルカーは、1982~84年の全面修理が終わり、チンチンと小気味良い音を鳴らして市民の重要な足となっている。時間制を導入した1$の乗車券で港まで行く。
Pier39界隈は月曜の朝という事もあって人通りは少ないが、何時来ても楽しい所である。
次に行くハワイで着るものやお土産を買おうとO、N氏とショッピング。小生はフード付きトレーナーを購入。チャイナタウンにも足を運び、飲茶の昼食。午後はお仕事である。


  
 前回訪問時は修理中で走っていなかった名物のケーブルカー、右は時間制を導入した1ドル乗車券


 いつ来ても楽しいPIER39界隈

  
S.F.のウォーターフロントを見下ろす、有名な花壇に彩られた七曲の急傾斜の道「ロンバードストリート」


 この日の深夜、何やら騒がしい音で目を覚ます。隣室からキャッキャと言う若い女性の声、男の声も混じっている。頻繁に出入りするドアの音。これでは眠れたものではない。いい加減にしろ!とドアスコープから外を伺うと、ネグリジェ姿の18~19歳くらいの女の子が数名出たり入ったり。30分もすると静かになったが、それはそれで気になるもの。なにせ入った女の子達が出てこない。ツインベッドの部屋。しかも男もいる。

 隣の部屋で乱交パーティ???

ん、乱交パーテイ?? 隣室の様子を伺うとなにやらひそひそ声に混じって、喘ぎ声も。こうなるといよいよ眠れたものではない。アガサ・クリスティでも読めば、そのうち眠れるだろうと読み始め、案の定うつらうつらしかけた時、又もやドタン・バタンが始まった。一人の女の子がもう一人の女の子に抱きかかえられ、お互いネグリジェの裾を大きく乱して、よろけるように部屋から出て行ったのである。もう我慢ならん、フロントに電話をと思ったが、反面野暮なことをするのもどうかと思案する。その後は何の騒ぎもなく、こちらもいつの間にか眠ってしまった。What's happened?

 翌朝、近隣の部屋の仲間が皆眠そうな目で、「昨夜はやかましかったなあ!」「同感!」。乱交パーテイ説が圧倒的多数を占めた。朝飯に近所のハンバーガー屋に向かうと、警官がうろうろ。どうしたのか?と聞くと、なんと!ホテル横の路上で昨夜、おじいさんが強盗に射殺されたと言う。ホテルの内・外でなんとも騒がしい、サンフランシスコの夜であった。



ロサンジェルス、プライムリブで有名な「Lawry's」、今回はすっかり日本人客が増えていた


 ロサンジェルスは今回で3回目。着いた日の夜は以前行った例のプライムリブの店「Lawry’s」へ。客筋が前回と大幅に異なり日本人の多いこと。向こうも日本人と見ればニコニコである。精算の段になってチップまでいくらと勝手に決めてきたので腹が立って、こちらで10%程度の数字でサイン(もとは18%)。 甘く見るんじゃない!

 西海岸での仕事は終了!(リトル・東京にて)

 翌日は地元のエネルギー会社を訪問、これにて西海岸での仕事は終了。
次はいよいよ最終旅程に。いざ行かん、楽しみにしているあこがれのハワイへ!



ビバ!フロリダ、ワニの休日 - オーランド - (異文化体験7 世界一周の旅10)

2010年08月04日 17時44分07秒 | 異文化体験_北米
(写真はクリックで拡大します)


ビバ!フロリダ、ワニの休日 -オーランド2-  1985.3.1~3

  
(左)フロリダ州オーランド上空からの眺め   (右)ケネディー宇宙センター(KSC)


 日本を出発してから早3回目の日曜日を迎えた。今日も快晴、ケープ・ケネデイ・宇宙センターへおよそ1時間のドライブである。ほとんど車の通らないハイウエイをぶっとばして快調なドライブと思いきや、途中で何やらガソリン臭が社内に漂う。運ちゃんが降りて点検する間もなく、問題ない!と言って再び車を走らせる。大丈夫かな?と心配するが運ちゃんは鼻歌まじりで運転している。ほどなく、無事大西洋に面した宇宙センターに到着する。

 ケネディー宇宙センターのツアーバス

 直ちにツアーバスに乗り換えてセンターの見学に。見学者は結構多くパノラマバスは満員。小生の隣には20代の女性がタンクトップにホットパンツといういでたちで後から乗り込んで来た。胸中は思わず「ラッキー!」。かすかに甘い香が漂い、ノーブラの胸が揺れ、二の腕と太腿には薄い金色のうぶ毛が太陽の光に輝き、見物なんぞあったものではない。
しかし、この幸運も長く続かなかった。次の下車見学サイトで席が入替わってしまった。指定席でないこのツアーバスを恨みたい気持ちで一杯である。

  
   (左)ロケット・ガーデン      (中)入場チケット    (右)アイマックスシアター入場券


  
(左)巨大なサターンロケット        (右)打ち上げ台へ運ぶ巨大キャタピラー式移動台

  
(左)実際の打ち上げ台(スペースシャトルがセッティングされている) (右)SPACE PORT USAのMAP

 広大なセンターには、組立工場付近にアポロ計画・スペースシャトルのロケット、あの化け物のようなサターンロケットや組立工場から打ち上げ台に運ぶ巨大なキャタピラー式の運搬車等が実物展示されており、遠くに見える打ち上げ台にはスペースシャトルがセッティングされているのが見える。ビジターセンターでの映像紹介とカフェテリアでの昼食後、空港に向かう。


道の両側の水路には巨大な鰐が!

 ケネデイ宇宙センターへの導入路の両脇は、細い水路が平行して走っている。運転手が盛んに指差して「クロコダイル、クロコダイル」と叫んでいる。しかし、我々の目にはなかなか明確に捕らえることが出来ない。業を煮やした運転手、道路端に車を停め、降りて見ろと言う。なるほど、いるいる。動きがないので分からなかったが、目が慣れてくると対岸の草むらの中に結構たくさんのワニが確認できる。

 最初は分かり難いが目が慣れてくると、いるわ!いるわ!

 あれもそうだ、いやあれも、と対岸ばかり気を取られていると、運ちゃんが「危ない!」と大声で言う。いやはや、いるのである、足元に大きな奴が。恐る恐るもっと近づいて見ると、幸い休日?のことゆえ、悠然とお昼寝の真最中。おかげで思いがけないワニ見物をして、空港に戻る。

 ターミナルビルとゲートビルの間は、モノレールというかピープルムーバーでつながっている。1時間の余裕があったのでショッピング。海の素材を使った工芸品や明るい色の衣類、スポーツ用品がお土産の主たるところで、他の空港にはない違った面白さがある。ユニークな貝があったので、割れないように包んでもらいゲートビルに向かう。
いざ出発。太平洋岸へ。