鹿児島の自然と食

鹿児島の豊かな自然(風景、植物等)、食べ物、史跡を紹介します。

尾木場の棚田

2018-10-16 | 風景

日置市東市来町の尾木場の棚田へ行きました。

 

尾木場の公民館から見た棚田。

 

前の写真の左。尾木場の集落です。

 

公民館の庭にキンモクセイの大木があり、いい香りを漂わせていました。

 

集落の下にある5代目野上喜次郎の石積み群。左上の建物が公民館です。

 

集落から進むと、棚田の上に溜池があります。これは2号溜池で、上の柵のところが1号溜池。

 

野上休右エ門新田開墾地記念碑。明治21年から45年間にわたって新田を開墾したそうです。

 

上から見た棚田。長い掛け干しがあります。

 

前の写真を横から見たものです。

 

道路脇の石積み。大変な苦労があったことでしょう。

 

掛け干しの風景。向こうの石垣は新しく、積み直したようです。

 

下から見た棚田。

 

稲刈りの風景。

 

コスモスと棚田。

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桷志田

2018-10-14 | 食べ物

霧島市福山町の夫婦イチョウを見た後、近くの黒酢レストラン桷志田(かくいだ)へ行きました。

 

桷志田です。

 

入口にある黒酢の壺。

 

入口です。

 

内部。ここで商品を販売しており、2階にレストランがあります。

観光バスが何台も乗り付けて、中国人観光客であふれていました。

 

試飲コーナーでは、いろいろな味の黒酢を試飲できます。

 

鮮やかな壺。

 

庭の壺畑です。係員が案内して説明してくれます。

 

甘酸っぱい香りが漂っています。

この後レストランへ行きましたが、すごい行列だったので、以前行った坂元のくろず壺畑で食事しました。

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福山の夫婦イチョウ

2018-10-12 | 巨樹・古木

霧島市福山町の夫婦イチョウを見に行きました。

 

宮浦宮です。

 

境内から見た夫婦イチョウ。右のイチョウは台風で枝が折れ、上をカットしました。

 

向かって左のイチョウ。

 幹周り:7.6m

 樹高:38.6m

 

下部。西南戦争の官軍の砲弾跡があるそうです。

 

樹勢のいい上部。

 

右のイチョウです。

 幹周り:7.55m

 樹高は、カットする前は38mでした。

樹齢は、いずれも千年以上という説と600年位という説があります。

 

下部。1791年の大火で焼けた傷跡があります。

 

上部。

 

宮浦宮本殿です。

 

龍の手水鉢。

 

11月末から12月初めに、見事な紅葉が見られます。これは以前撮影した紅葉です。

右のイチョウはカットされたため、今年の紅葉は少し寂しいでしょう。

 

下部とイチョウのじゅうたん。

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バイトの思い出(7)

2018-10-10 | エッセイ

学生時代、ネオン屋のアルバイトをしたことがある。

ネオンを取り付けたり、修理したりする仕事の手伝いで、仕事場は鹿児島の繁華街天文館の飲み屋街だった。

私は、キャバレーやクラブのボーイのアルバイトが長く、夜の天文館はよく知っていたが、昼間の飲み屋街は、華やかな夜とは対照的に、うら寂しく寒々としていた。

作業していると、下の道路を黒服の男が二人歩いていた。

ネオン屋の親父は

「〇〇一家の連中だよ」

と、やくざであることを教えてくれた。

仕事柄、天文館の裏社会にも詳しいようだった。

 

鹿児島のデパート山形屋でアルバイトをしたことがある。

仕事は、催し物会場の設営だった。

山形屋では、文化的な催しを定期的に開催するため、その設備や展示品を設営するのである。

店が閉まった夜の8時頃からの仕事だった。

出入り業者が裏口から出入りしていた。

夜のデパートは、昼間の喧騒や華やかさとは対照的に、暗くて静かだった。

 

私は、昼間の山形屋にもよく行ったが、この時は堂々と正面入口から入った。

エスカレーターガールが、階段の上段に立ち慇懃にお辞儀してくれた。

貧乏学生だった私は買い物することもなく、目的は催し物会場だった。

無料で、いろいろな催しを見ることができた。

今でも覚えているのは、横井庄一展である。

グァム島から帰還した元日本兵、横井さんのジャングル生活が再現され、植物の繊維で作った洋服が展示されていた。

横井さんは仕立て屋だったので、その洋服は精巧だった。

 

このように、学生時代は山形屋に貢献しなかった私だが、今は、妻が会員になって貢献している。

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岩屋寺跡

2018-10-08 | 史跡

姶良市加治木町木田の岩屋寺跡は、一度紹介しましたが、再訪しました。

 

岩屋寺跡の入口。

 

少し進むと、石垣などの寺の遺構が残っています。

 

寺跡と思われる平坦面。追悼碑があります。

ここに大巌屋寺というお寺があり、958年に再興したという記録があるそうですから、1000年以上の歴史があります。廃仏毀釈で破壊されました。

 

斜面裾に大きな岩があり、この上の斜面に多くの史跡があります。

 

岩は四角にくりぬかれています。上の丸の中には梵字が刻まれていると思われます。

 

この中に頼昌法印石坐像があります。

 

頼昌法印石坐像。宝永年間の住職でした。破壊されていません。

 

さらに登ると、左に不動明王磨崖仏像があります。

 

高さ3mの不動明王磨崖仏像。これも破壊されていません。

 

頭部のない仏像。

 

斜面の上の岩屋に奥の院があります。

 

向かって右から見た奥の院。

 

祠です。

 

祠の中の仏像。

 

祠の横の破壊された仏像。

ここは、あまり有名でなく、訪れる人も少ないですが、山の斜面に壮大な寺院があったことがわかります。

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陸の中の海

2018-10-06 | 水辺の風景

徳之島にある陸の中の海(方言でウンブキ)を紹介します。徳之島空港の南(西郷隆盛上陸地のすぐ北)にあります。

 

案内板の向こうに窪地があります。

 

階段を下りて窪地へ行きます。

 

窪地の中です。

 

窪地の崖に生えているアコウ。

 

アコウの根元と崖です。

 

崖には、鍾乳石ができています。

 

さらに進むと洞窟があります。水中撮影のダイバーがいました。

 

この洞窟は、サンゴ礁が隆起して陸上で鍾乳洞ができ、再び海中に沈んで海底洞窟となったものです。

海水と地下水が混じりあったアンキアライン洞窟で、発見例が少ないそうです。

 

400m先で海とつながっており、干満の影響で水位が上下します。

 

和名もついていない魚やエビがいるそうです。

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徳之島の西郷隆盛謫居跡

2018-10-04 | 史跡

西郷隆盛は、2回目の遠島処分で沖永良部島へ流されますが、その途中、徳之島に寄っています。

 

徳之島空港の南にある湾屋川河口。西郷さんは、1862年6月10日、ここに上陸しました。

雨の後で、川が濁っていました。

 

西郷さんは、湾屋の湾直道宅に1週間滞在した後、ここ岡前の松田勝伝宅で69日間を過ごしました。

 

植物が植えられた道を進みます。

 

アサガオに似た、きれいな花が咲いていました。

 

ノカンゾウ。

 

西郷さんの直筆の書や手紙が、子孫の岡本正吉宅に残されているそうです。

 

「西郷南洲先生謫居之跡」の碑。

奄美大島から妻の愛加那が子供を連れて会いに来ましたが、すぐに別れて沖永良部島へ流されました。

 

碑の隣にある力石。西郷さんが村の若者と力比べをした石で、重さは48キログラムから66キログラムあります。

若者は、西郷さんの怪力に兜を脱いだそうです。

 

駐車場の横にあるアコウ。

 

下部。

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黎明館

2018-10-02 | 施設

鹿児島県歴史資料センター黎明館を紹介します。歴史、民俗に関する多くの貴重な資料がありますが、ガラスケースに入れられた資料は撮影禁止で、模型などが撮影できます。

 

棟持柱建物。王子遺跡の建物で、神殿あるいは集会所として使用されたと推定されます。

 

志布志内城跡。

 

中世の石塔。梵字が刻まれています。

 

出水麓の武家屋敷。

 

砂糖しぼり機。

 

市来の七夕踊りの虎。

 

デオドン。日吉のお田植祭り「セッペトベ」で先陣役をつとめる大型偶人像です。

 

サワラ突き漁。

 

庭を見ていきます。これは天璋院篤姫像。

 

御池。

 

御池に架かる桁橋。

 

樋の間の二つ家。霧島市横川町の海老ケ迫家を移築したもので、「おもて」と「なかえ」が接した家です。

 

内部。これは「なかえ」で、隣の「おもて」が接客用の部屋です。

 

田の神があります。

 

県内の有名な田の神のレプリカが、4体あります。これは、姶良町平松の触田の田の神。

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