「思い出のグリーングラス」の歌詞の一節に
♪庭にそびえる 樫の木よ
子供の頃にのぼった 枝もそのままよ・・・
というのがある。
子供の頃、種子島の実家の庭には多くの木があった。
夏みかん、きんかん、ぼんたん、びわ、クスノキ、肉桂の大木・・・
今、これらのほとんどは枯れてしまったが、いまだに生きている木がある。
柿の木である。
根元から二つに分かれており、一方には丸い柿が、もう一方には細い柿の実がなった。
種類の違う苗木を接木し、台木から芽が出て、このようになったものだろう。
この木にのぼって遊んだり、実をもいだりしたものだった。
渋柿であるため、焼酎で渋抜きをする、あおし柿にして食べた。
丸柿の木は枯れてしまったが、細柿の木(たぶん台木)はいまだに生きていて、毎年実をつける。
子供の頃すでに成木だったから、百年近くたっているかもしれない。
今でも実家から、あおし柿を送ってきたり、実が熟れる頃帰省したときは、自分で柿もぎをしたりする。
この柿の木は、私にとっての「思い出のグリーングラス」の木であり、子供の頃食べたのと同じ木になる柿の実は、格別な味がする。

実家の庭の柿の木。
根元からまっすぐな木が伸びていたが、枯れてしまった。

自分でもいだ柿。
♪庭にそびえる 樫の木よ
子供の頃にのぼった 枝もそのままよ・・・
というのがある。
子供の頃、種子島の実家の庭には多くの木があった。
夏みかん、きんかん、ぼんたん、びわ、クスノキ、肉桂の大木・・・
今、これらのほとんどは枯れてしまったが、いまだに生きている木がある。
柿の木である。
根元から二つに分かれており、一方には丸い柿が、もう一方には細い柿の実がなった。
種類の違う苗木を接木し、台木から芽が出て、このようになったものだろう。
この木にのぼって遊んだり、実をもいだりしたものだった。
渋柿であるため、焼酎で渋抜きをする、あおし柿にして食べた。
丸柿の木は枯れてしまったが、細柿の木(たぶん台木)はいまだに生きていて、毎年実をつける。
子供の頃すでに成木だったから、百年近くたっているかもしれない。
今でも実家から、あおし柿を送ってきたり、実が熟れる頃帰省したときは、自分で柿もぎをしたりする。
この柿の木は、私にとっての「思い出のグリーングラス」の木であり、子供の頃食べたのと同じ木になる柿の実は、格別な味がする。

実家の庭の柿の木。
根元からまっすぐな木が伸びていたが、枯れてしまった。

自分でもいだ柿。
お店の柿のようにきれいじゃないのに・・・エッセーを読んでからだととっても素敵な絵になりますね。
私の実家にも柿の木がありました。私の部屋は2階で目の位置に柿の葉が青々と・・・
でもでもでも・・・・毛虫が葉っぱを食べる音が聴こえるんですよ。本当です。。。
いま人手に渡った敷地の隣に姉が住んでいますが、私はそこから広窓を開けて柿の木を観ます。
自分の思い出の木の延長が古木や巨木やご神木・・心を惹くんでしょうね。。
木 は 気 だと言う所以ですね。
拙ブログにお借りしました。
(第4051号)
昨日、上荒田のおでん屋那津で
隣の席の方は
種子島の方でした。
農業や
ロケットの話を
お聞きしました。
ご覧のように、根元から曲がっており、形のいい木ではありません。
柿の実も、形が悪く渋柿です。
でも、子供の頃登った木であり、渋抜きをして食べた柿の実です。
子供にとってはご馳走でした。
momomamaさんのご実家にも柿の木があったんですね。
虫は困りましたね。
木は気・・・
なるほどね。
こんな写真でよかったらどうぞ使ってください。
種子島の方との交流、ありがとうございます。
農業とロケット、種子島と言ったらそんなところですね。
農業は、サツマイモとサトウキビがメインです。
皮をむいて吊るし柿にしてくださいね??
大好きです。
今回も買いたかったんですがまだ早くて出来て居ませんでした。
思い出の柿の木がこんなに実を嬉しいですね??
私までなんだかとても嬉しくなりました。
種子島は温かいからなのか、干し柿は作りません。
腐ってしまうんでしょうね。
その代わり、焼酎で渋抜きをして食べます。
干し柿は、東北でよく作りました。
この柿の木、今も実をつけてくれ、うれしいです。
あぁ 食いたって思ったけど。 今は深いジャングル 柿の木もない。なつかしさだけ
じいさんの家に柿の木があったんですね。
渋柿を渋抜きしたものでも、子供にはご馳走でした。
>今は深いジャングル
「故郷の廃家」という歌を思い出します。