護国神社から坂を登って、城山(じょうやま)公園へ行きます。
城山公園。一宇治城跡で、伊集院氏と島津氏が居城としました。
前の写真の左に、フランシスコ・ザビエルの像があります。
ザビエルは、1498年、ここで領主の島津貴久と面会し、布教の許可を得ました。
井戸の跡です。今は水がありませんが、昔はあったのでしょう。
山頂の城跡。桜の名所です。
山頂に「島津貴久ザビエル会見の地」の碑があります。
近景。
城跡から伊集院の町と桜島を望む。
城山公園から下りて、神之川大橋を渡ります。
橋から上流を望む。
橋を渡って右に、平野二郎国臣の歌碑があります。
平野は福岡の勤王の志士で、島津久光に討幕を勧めようと、有馬新七の協力を得るため伊集院に滞在しました。
しかし討幕の決起にはならず、国臣が涙をのんで伊集院を去るとき詠んだ歌です。
我胸の燃ゆる思ひにくらぶれば 煙はうすし桜島山
平野国臣の肖像画。
さらに進むと、左に有馬新七誕生地の碑があります。
有馬新七誕生地の碑。新七のことは、まち歩き(2)で紹介しました。
跨線橋を渡り、スタート地点の徳重神社へ戻りました。
左の電柱のある道が旧鹿児島本線で、手前に、まち歩き(1)で紹介したレンガトンネルがあります。
・・・よく来てくれましたね。
クリスチャンではないけれど 鑑真和上にしても
ホントによく来てくれましたね。
「島津貴久ザビエル会見の地」ここで会われたんですね。
【我胸の燃ゆる思ひにくらぶれば 煙はうすし桜島山】
余りにも有名で この詩 知ってますが 詠み人が
平野二郎国臣という人とは知りませんでした。
というか覚えていませんでした。
いいお天気だったけど 春は名のみ 寒くなりました。
こんにちは。
鹿児島は、ザビエルが来たところだけあって、ザビエルの史跡は他にもあります。
像も、私が知っているだけで、あと2つあります。
この歌、愛の歌のようですが、国を思う歌なんですね。
作者が、平野二郎国臣というのは知っていましたが、福岡の人というのは、ここへきて知りました。
伊集院の地にもその布教の地があるのですね。
私はカトリック系の学校で6年間授業を受けていましたが
伊集院の地の事は勉強不足でした。
こんにちは~
ザビエルが、伊集院で会見し、布教の許可を得たというのは、あまり知られていません。
種子島へは、日本での布教を終えて帰る途中に寄っています。
カトリック系の学校だったんですね。