鹿児島市街地の北、石橋公園の近くに小高い丘があり、ここに多賀山公園があります。
東郷平八郎を始めとする史跡がある公園です。
多賀山公園。
東郷平八郎の銅像。
錦江湾を見下ろして建っています。
東郷は、1847年加治屋町に生まれ、15歳で薩英戦争に参加しました。
1905(明治38)年、日露戦争でロシアのバルチック艦隊に勝利したことはあまりにも有名です。
東郷平八郎の墓。
ここには遺髪が眠っています。
ここに東郷の墓があるのは、鹿児島港に入港する艦隊からよく見えること、この丘の下の石橋公園に薩摩藩の砲台跡があるためです。
多賀山公園にある東福寺城跡。
この城は、1053年、長谷場永純が築いたもので、三州(薩摩、大隅、日向)としては初めての城とされています。
南北朝時代、この城をめぐって激しい戦いが行われました。
1343年、5代島津貞久が東福寺城を勝ち取り、鹿児島を治める根拠地としました。
城跡から眺めた錦江湾と桜島。
東郷平八郎を始めとする史跡がある公園です。
多賀山公園。
東郷平八郎の銅像。
錦江湾を見下ろして建っています。
東郷は、1847年加治屋町に生まれ、15歳で薩英戦争に参加しました。
1905(明治38)年、日露戦争でロシアのバルチック艦隊に勝利したことはあまりにも有名です。
東郷平八郎の墓。
ここには遺髪が眠っています。
ここに東郷の墓があるのは、鹿児島港に入港する艦隊からよく見えること、この丘の下の石橋公園に薩摩藩の砲台跡があるためです。
多賀山公園にある東福寺城跡。
この城は、1053年、長谷場永純が築いたもので、三州(薩摩、大隅、日向)としては初めての城とされています。
南北朝時代、この城をめぐって激しい戦いが行われました。
1343年、5代島津貞久が東福寺城を勝ち取り、鹿児島を治める根拠地としました。
城跡から眺めた錦江湾と桜島。