天草旅行を再開します。
鬼海ヶ浦展望所の駐車場から海を望む。
展望台があります。
展望台です。
展望台から右の方を望む。
沖を通る船。岩場には釣り人がいました。向こうの陸地は島原半島です。
正面の岩山。
左側は入江になっており、集落があります。
ここにも岩場が広がっています。
岬の先の岩峰。
天草の西海岸は断崖が多く、このような絶景が見られます。
天草旅行を再開します。
鬼海ヶ浦展望所の駐車場から海を望む。
展望台があります。
展望台です。
展望台から右の方を望む。
沖を通る船。岩場には釣り人がいました。向こうの陸地は島原半島です。
正面の岩山。
左側は入江になっており、集落があります。
ここにも岩場が広がっています。
岬の先の岩峰。
天草の西海岸は断崖が多く、このような絶景が見られます。
下田温泉の川を上流へ少し行ったところに、轟の滝があります。
キャンプ場の駐車場の所から、川へ下りる道があります。
滝と滝つぼが見えてきました。
河床から見た轟の滝。滝つぼは丸くて大きいです。滝の上に吊橋があります。
近景。高さ10mです。
滝つぼ。ここで泳いだり、水遊びができるそうです。
吊橋へ行きます。
吊橋の真下に滝が見えます。
滝つぼ。
左岸側から見た滝と滝つぼ。
吊橋から上流を見る。
左岸側の小さな滝です。
天草旅行を一休みします。
富岡城跡へ行きました。
袋池の向こうの富岡城跡。緑色の池です。
駐車場から斜面を上がると、正面に石垣があります。富岡城は1601年に築かれました。
前の写真の右の石垣。
1637年の天草島原の乱で、幕府方の拠点として一揆勢の攻撃目標となりました。
立派な石垣です。最近整備されたようで新しいです。
落城しなかったため、一揆勢は島原の原城へ向かい、このことが乱の早期終結につながりました。
二の丸と本丸へ上がっていきます。
広い二の丸です。
二の丸にある像。右が勝海舟と頼山陽、左が天草の恩人、鈴木重成と鈴木正三。
二の丸から本丸を見る。建物はビジターセンターですが、閉館しています。
本丸へ上がります。ここも立派な石垣です。
振り返って二の丸を見る。建物は歴史資料館で、こちらは開館しています。
本丸です。
本丸から袋池と富岡の町を望む。向こうは砂州です。
左側を望む。
駐車場近くにあるアダム荒川殉教公園。
ガルシア・ガルセス神父が追放された志岐教会を守っていたアダム荒川は、棄教を迫られ迫害されましたが信仰を守り、1614年斬首されました。
富岡城跡近くにある、私たちが泊った旅館花月です。
旅館の前の富岡海水浴場。
夕食です。
刺身の盛り合わせ。他にアジの塩焼きも出て、海の幸尽くしでした。
コメント欄は閉じています。
イルカウォッチングをしました。
二江港です。
イルカウォッチングから帰ってきた船です。
浮桟橋。
私たちが乗った船です。小型船でした。
沖へ向かって進みます。時々しぶきがかかります。
向こうの陸地は島原半島です。
船の中。乗客は6名でした。
別のイルカウォッチングの船。業者がいくつかあります。
20分くらい進むと、イルカに遭遇しました。
群れで泳いでいます。ここには何百頭ものイルカが生息しているそうです。
船のすぐ脇を泳ぐイルカ。前後左右にひっきりなしに現れて、写真を撮るのに忙しかったです。
手の届きそうなところを泳ぐイルカ。顔を出すと表情が見えました。
別の船でイルカを見る人たち。
多くの野生のイルカを間近で見たのは初めてで、感動でした。
石橋を二つ訪ねました。
本渡にある祇園橋を下流から見たものです。国指定重要文化財です。
「天草の乱激戦之跡」の碑。天草四郎率いる一揆勢と、富岡城番代三宅藤兵衛の軍が激突した場所です。
近くの碑。
町山口川の流れせきとめし 殉教者のむくろ数百千にして 名をばととめず
下流右岸より見る。橋長28.6m、幅員3.3m、架設年代1832年。
石造り桁橋では日本最大級です。
45脚の石柱で支えられています。
右岸より見る。
上流右岸より。
上流より見る。
市ノ瀬橋を左岸から見たものです。
上流左岸より見る。橋長22.2m、幅員4.6m。
アーチ部。
最初の橋は明治15年に架けられましたが洪水で倒壊し、明治22~23年ごろ再建されました。
下流左岸より見る。
右岸部。
橋の上から上流を望む。
前回の三角西港から、天草五橋(昭和41年開通)を渡って天草へ行きます。
三角西港から見た橋。手前のアーチ橋が新しい天城橋、向こうのトラス橋が1号橋。右が天草の大矢野島です。
本土側から見た1号橋。
大矢野島に展望所があり、そこから見た1号橋(天門橋、連続トラス橋、502m)です。
天門橋と天城橋。
平成30年完成の天城橋(てんじょうきょう)。橋長463mで国内最大級のアーチ橋です。この後、この橋も渡りました。
2号橋(大矢野橋)は適当な駐車場がなく通過です。
3号橋(中の橋、ラーメン橋、361m)。
左側の海。
反対側です。
右側の海。
4号橋(前島橋)も適当な駐車場がなく通過。
5号橋の展望所です。
5号橋(松島橋、パイプアーチ・合成桁橋、177.7m)。
反対側。
5号橋を渡って右へ上がると松島展望台があります。
観音像。
ここから五橋の一部が見えます。右は4号橋(前島橋、ラーメン橋、510.2m)。
左奥の小さなアーチが2号橋(大矢野橋)。
松島の海を望む。
熊本県天草旅行へ行きました。世界遺産二つを巡る旅でもありました。
最初は天草へ渡る手前の三角西港です。オランダ人水理工師ムルドルの設計と、日本人石工の技術が融合した港湾都市として明治20年に開港しました。「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼・造船・石炭産業」になっています。
歴史的建造物があります。
浦島屋。明治26年に小泉八雲が立ち寄ったコロニアル様式のホテルを復元したものです。小泉は当時、旧制熊本五高の英語教師でした。
内部。おしゃれな洋風建築です。
2階のバルコニーから西港を望む。向こうが天草の大矢野島。
龍驤館。大正7年、明治天皇即位50年記念事業として建設されました。
石積埠頭です。
延長756m。国重要文化財です。
反対より見る。右が天草へ渡る橋。
排水路です。
排水路に架かる橋とアコウの木。
橋から排水路を望む。
ムルドルハウス。
旧三角海運倉庫。
旧高田回漕店。明治20年に建てられた回船問屋です。
内部。
五木村から人吉へ行きます。
人吉にある願成寺。真言宗のお寺です。
七重石塔。
三重石塔。
多くの仏像が並んでいます。
石塔。
前の写真の下に彫られている仏像です。
鐘楼。
隣に相良家墓地があります。人吉藩は相良家が治めていました。
相良家初代相良長頼の墓です。
石垣の上に、相良家累代の墓があります。
多くの墓や石塔が並んでいます。
梵字が刻まれた五輪塔。
五家荘の旅を終わります。
五木村宮園にあるイチョウを訪ねました。
イチョウの全容。熊本県指定天然記念物です。
幹周り:8.3m
根回り:14m
樹高:45m
文禄・慶長の役(1592~1598年)の時、五木のものが朝鮮から持ち帰って植えた、と伝えられています。元は雄雌2本ありましたが、雌木は枯れ、これは雄木です。
枝張りは15mにもなります。
根元。
別の角度より見る。
子守の像があります。
釈迦堂です。
釈迦堂の隣に、イチイガシの巨木があります。
上部。
隣にある阿蘇神社です。
鳥居の下にある力石。昔の若者が力比べをした石です。
阿蘇神社社殿。
五家荘から五木村へ行きます。
役場があるところです。立派な橋が架かっています。
ヒストリアテラス五木谷に入りました。五木の歴史や昔の暮らしを紹介する施設です。
川舟。
漁の道具。
石斧。
石皿と磨石(すりいし)。ドングリなどの実を粉にするものです。
縄文土器。
特殊注口土器。
木馬。木材を運搬した道具です。
鹿と猪の剥製。
白猪。
踊りの装束。頭に付けているのは馬の毛です。
川崎のぼる原画展が開かれていましたが、撮影禁止です。川崎さんは、巨人の星などの漫画家で、熊本出身ではありませんが、今熊本県に住んでいます。五木村のマスコットキャラいつきちゃんを描いたのが五木村との御縁だそうです。
抽選で、サイン入りポスターが当たりました。