ウオーキングの「堤防沿いコース」を歩く場合、自然と秋津川沿いに歩くことになる。
町の中心部に一番近い位置を東西に流れている。
川の名称も時代で変遷があるようだが、現在は町の中心部に近い方から「秋津川」「木山川」「赤井川」が主要な河川。
この川にはそれぞれ小さな支流が流れ込んでいる。
今日はそのうちの「秋津川」を中流域から上流へ歩いて見る。

(秋津川中流域)
右手の「秋津川」に左手から「鉄砂川」が合流する地点あたりが中流域である。
これから数キロ下流に行くと、他の川と合流し別の名前の川になる。
この川沿いに、中流の惣領橋から「秋津川」の源流域までウオーキングで歩けば、往復12000歩くらいだから短い川である。

(河川公園付近)
途中から河川沿いに公園が整備され、桜など季節の花も咲くのでそれなりに人は集まるのだが、地震で壊れたりした。
やっと復旧が進んで、桜でも見ようかというときに、去年は春からの新型コロナで自粛。
今年もさて、どうなるか。
三々五々と家族連れが、静かにお花見といったところまで行ければ上々だが。
この公園の最上流部に、「秋津川の源流」がある。

(秋津川最上流部)
通常、源流というと「大河の一滴」ではないが、小さな湧き水が少しずつ集まってのイメージが強い。
ところが、秋津川はいきなりの水門からモクモクと水が。

(上流端の標識)
「秋津川法河川上流端」の標識が、水の出口に立てられている。
つまり、法的にこの位置を秋津川の上流の端っこだと定めてあるのだ。

(木山川と水門)
比較的大きな流れの川が「木山川」で、もっと上流に行くと熊本地震で騒がせた「活断層:布田川断層」の名前の由来の「布田川」が合流している。
前方の橋の左に見える青い施設が、可動堰で貯められた水を秋津川方向に流す水門である。
堰は可動式なので、貯える水の量は変えることが出来るし、なおかつ水門の開閉加減で秋津川への流量も調整される。
これは、長い時間の流れの中で、川の流れが自然に変わり、その都度川の名前までも変わってきた歴史が教えてくれている。
木山川から分岐された水が、これ以降秋津川となって流れていく。
いきなりの、源流にやや呆気にとられるが、ここより下流部には他所からも流れ込んでいる小さな溝がある。

(流れ込む溝)
その溝も結構水量があって、辿れば結構長い。
先ほどの「法定の源流」より、ずっと長い距離を歩くことになる。

(湧水の排水口)
田んぼや住宅地などを貫いて溝は続くが、途中で何カ所も水が溝の中にパイプなどで流し込まれているのに遭遇する。
生活排水や、雨水などを流し込んでいる図と昔なら考えるが、これは全て湧水の放出口。
地下水位が高いので、湧水を排出しないと住宅として困ったことになる。

(支流の鉄砂川)
この鉄砂川も、流れる水の殆どは途中から排出される湧水である。
小さな側溝には、蓋がされているが、溝の中ではいつも水の流れる音がする。
あちこちの小さな溝から集まった水は、各所から放出されている。
綺麗な水なので、周りにはクレソンなどが繁茂したりする。

(川の中で吹き出す湧水)
先日気がついたのだが、スタート地点の「惣領橋」から秋津川の川面を見下ろしたら、水が湧き出ているのが見えた。
川に流れ込む湧水で、水量がどんどん増えていくのは分っていたが、川底からも湧き出していたのだ。
川の途中では、堤防や橋の架け替え工事などが行われていて、水の濁りが目立ってくる。
当地は船野山や、津森、小谷、赤井、沼山津など水に由来する地名が多い。
地名は先人の知恵であり、教えなのだ。
それなりの心構えを持って、住む必要があるのだろう。
小さな名も無い清流を求めて、歩き回るのも面白いかも知れない。
「ウオーキングコースを決める季節花」・・・・しろ猫

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町の中心部に一番近い位置を東西に流れている。
川の名称も時代で変遷があるようだが、現在は町の中心部に近い方から「秋津川」「木山川」「赤井川」が主要な河川。
この川にはそれぞれ小さな支流が流れ込んでいる。
今日はそのうちの「秋津川」を中流域から上流へ歩いて見る。

(秋津川中流域)
右手の「秋津川」に左手から「鉄砂川」が合流する地点あたりが中流域である。
これから数キロ下流に行くと、他の川と合流し別の名前の川になる。
この川沿いに、中流の惣領橋から「秋津川」の源流域までウオーキングで歩けば、往復12000歩くらいだから短い川である。

(河川公園付近)
途中から河川沿いに公園が整備され、桜など季節の花も咲くのでそれなりに人は集まるのだが、地震で壊れたりした。
やっと復旧が進んで、桜でも見ようかというときに、去年は春からの新型コロナで自粛。
今年もさて、どうなるか。
三々五々と家族連れが、静かにお花見といったところまで行ければ上々だが。
この公園の最上流部に、「秋津川の源流」がある。

(秋津川最上流部)
通常、源流というと「大河の一滴」ではないが、小さな湧き水が少しずつ集まってのイメージが強い。
ところが、秋津川はいきなりの水門からモクモクと水が。

(上流端の標識)
「秋津川法河川上流端」の標識が、水の出口に立てられている。
つまり、法的にこの位置を秋津川の上流の端っこだと定めてあるのだ。

(木山川と水門)
比較的大きな流れの川が「木山川」で、もっと上流に行くと熊本地震で騒がせた「活断層:布田川断層」の名前の由来の「布田川」が合流している。
前方の橋の左に見える青い施設が、可動堰で貯められた水を秋津川方向に流す水門である。
堰は可動式なので、貯える水の量は変えることが出来るし、なおかつ水門の開閉加減で秋津川への流量も調整される。
これは、長い時間の流れの中で、川の流れが自然に変わり、その都度川の名前までも変わってきた歴史が教えてくれている。
木山川から分岐された水が、これ以降秋津川となって流れていく。
いきなりの、源流にやや呆気にとられるが、ここより下流部には他所からも流れ込んでいる小さな溝がある。

(流れ込む溝)
その溝も結構水量があって、辿れば結構長い。
先ほどの「法定の源流」より、ずっと長い距離を歩くことになる。

(湧水の排水口)
田んぼや住宅地などを貫いて溝は続くが、途中で何カ所も水が溝の中にパイプなどで流し込まれているのに遭遇する。
生活排水や、雨水などを流し込んでいる図と昔なら考えるが、これは全て湧水の放出口。
地下水位が高いので、湧水を排出しないと住宅として困ったことになる。

(支流の鉄砂川)
この鉄砂川も、流れる水の殆どは途中から排出される湧水である。
小さな側溝には、蓋がされているが、溝の中ではいつも水の流れる音がする。
あちこちの小さな溝から集まった水は、各所から放出されている。
綺麗な水なので、周りにはクレソンなどが繁茂したりする。

(川の中で吹き出す湧水)
先日気がついたのだが、スタート地点の「惣領橋」から秋津川の川面を見下ろしたら、水が湧き出ているのが見えた。
川に流れ込む湧水で、水量がどんどん増えていくのは分っていたが、川底からも湧き出していたのだ。
川の途中では、堤防や橋の架け替え工事などが行われていて、水の濁りが目立ってくる。
当地は船野山や、津森、小谷、赤井、沼山津など水に由来する地名が多い。
地名は先人の知恵であり、教えなのだ。
それなりの心構えを持って、住む必要があるのだろう。
小さな名も無い清流を求めて、歩き回るのも面白いかも知れない。
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