町の交流情報センターは震災後の改修の途上にあることは昨日書いた。
その駐車場整備の途中で、一角に石塔が移設されて設置されたことは以前から知っていた。
ただその石塔が如何なるものであるかが、サッパリ分からなかった。

(石塔)
昔の偉い人のお墓に似たようなものを見かけたりもするが、まさかこんな場所に個人のお墓が移設されるわけがない。
コンクリートの台座を新しく作って、その上に鎮座しているのだが由来等の説明も無く???が点灯したままだった。
周りには立ち入り禁止のコーンも設置されていて、私的には石塔の謎は謎のままだったのだ。
一昨日訪れた際には、立ち入り禁止バーには3枚ほどのビニール・ケースがぶら下げられ、風にヒラヒラなびいていた。
立ち入る不届き者に対する更なる注意喚起かな等と思って見てみると、それ程大きくはない字で由来説明がなされていた。
私と同じような???点灯の人が居て、情報センターで臨時開設している教育委員会の担当者に質問することが多かったのではないかと、推測する。
将来的には、もっとチャンとした説明板を設置する予定です、という雰囲気を漂わせなながら、ケースは風に揺れていた。
全部は読み切れない程の量の説明文によれば、昔は存在した「福田寺」という大きなお寺の南門付近に設置されていたものらしい。
石塔の銘文には1200年代の年号が記されているらしく、この2メートルを遙かに超すような大きさのものは珍しいとか。
廃寺のあと、いろいろ変遷があり最終的には隣町の個人の所有するところとなったが、今回所有者の好意によって町に里帰りすることになり、現在地に安置されることになったとある。
我が町には、常楽寺や津森神宮などかつては広大な所領を有していた寺社が、今も小規模で存続しているものもあるが、すでに廃寺となった大規模なものも多そうだ。
今もって、3つの町村をまたいで行われる津森神宮の祭りがあるが、当時の影響力の範囲・強さが祭りという形式で残されていることになる。
さて、最も栄えていると思われる今の日本の文明が、1000年後にどういう形で残るかと考えるといささか心もとない。
結局は石の文字のような、古い形式の記憶媒体しか残らないような気もするが・・・。

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その駐車場整備の途中で、一角に石塔が移設されて設置されたことは以前から知っていた。
ただその石塔が如何なるものであるかが、サッパリ分からなかった。

(石塔)
昔の偉い人のお墓に似たようなものを見かけたりもするが、まさかこんな場所に個人のお墓が移設されるわけがない。
コンクリートの台座を新しく作って、その上に鎮座しているのだが由来等の説明も無く???が点灯したままだった。
周りには立ち入り禁止のコーンも設置されていて、私的には石塔の謎は謎のままだったのだ。
一昨日訪れた際には、立ち入り禁止バーには3枚ほどのビニール・ケースがぶら下げられ、風にヒラヒラなびいていた。
立ち入る不届き者に対する更なる注意喚起かな等と思って見てみると、それ程大きくはない字で由来説明がなされていた。
私と同じような???点灯の人が居て、情報センターで臨時開設している教育委員会の担当者に質問することが多かったのではないかと、推測する。
将来的には、もっとチャンとした説明板を設置する予定です、という雰囲気を漂わせなながら、ケースは風に揺れていた。
全部は読み切れない程の量の説明文によれば、昔は存在した「福田寺」という大きなお寺の南門付近に設置されていたものらしい。
石塔の銘文には1200年代の年号が記されているらしく、この2メートルを遙かに超すような大きさのものは珍しいとか。
廃寺のあと、いろいろ変遷があり最終的には隣町の個人の所有するところとなったが、今回所有者の好意によって町に里帰りすることになり、現在地に安置されることになったとある。
我が町には、常楽寺や津森神宮などかつては広大な所領を有していた寺社が、今も小規模で存続しているものもあるが、すでに廃寺となった大規模なものも多そうだ。
今もって、3つの町村をまたいで行われる津森神宮の祭りがあるが、当時の影響力の範囲・強さが祭りという形式で残されていることになる。
さて、最も栄えていると思われる今の日本の文明が、1000年後にどういう形で残るかと考えるといささか心もとない。
結局は石の文字のような、古い形式の記憶媒体しか残らないような気もするが・・・。

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