今日は4月15日で、三年前の地震では14日に前震、16日に本震となっている。
しかし生活実感としては、2晩連続して起きた地震というのが実体験である。
前震が14日の夜21時半前、本震が15日の夜に引き続く深夜16日の1時過ぎだからである。
前日の地震が本震で、あとは余震に注意せよというのが一般的な認識だったので、前日より遙かに強烈な地震には驚いた。
益城町の地震計は、前日の震度7で壊れてしまっていたので、隣の熊本市の震度7を準用して益城町も震度7と発表された。
地震速報よりも、ドーンという衝撃の方が早かった。
就寝中に布団ごと上に突き上げられ、やがてとても長い時間に亘って横に揺れ始めた。
物の倒れる音、瓦の落ちる音、ゆれる家の軋む音などが同時に延々と続いた。
立ち上がることも出来ず、そのまま布団の中で対処すべきことを考えながら寝ていた。
家の中も、外も真っ暗で動き回るの危険と考え、行動は明るくなってからと決めて、揺れが収まってもそのまま布団の中に居た。
屋根瓦が落下していたら、むしろ上部構造の重量が軽くなって倒壊した場合でも押しつぶされる可能性はむしろ低下していると布団の中で判断した。

(倒れ込んできた東側隣家の設備)

(落下してきた南側隣家の瓦)
明るくなって外を確認すると、我が家の瓦の色がまったく見えず全て落ちているのは東と南の隣家の物ばかりだった。
南の隣家の北側の窓は全て割れていて、部屋の中を通して反対方向の景色が見えるほど壊れていた。
前日の前震では、隣家と笑いながら瓦の後始末などをしたのだが、今回の本震ではもう隣りに人影はなく、すでに避難をしたあとだった。

(町内の倒壊家屋)
建築年次や微妙な地盤の違いなどで、倒壊や半壊・一部損壊など被害に違いが出ていた。

(家の沈下?)
隣家はほぼ家の周りをコンクリートで固めていたため、両方の家から押されて我が家の土の庭が盛り上がったか、もしくは家の土台(基礎)ごと沈下したかのどちらか不明だが、10センチくらいは地面より高かった筈の犬走りの部分が、庭土と同じ高さになっていた。
ただし、水準器で傾きを検査してもらったら、ほぼ水平で構造的に問題は無いと判定された。
その後、水道の水が出るのに1ヶ月半、瓦の業者に点検して貰うのに10ヶ月、お墓の建て替えに1年近くかかり、その他のブロックなどの再建には隣家の再建などと並行したため、2年近く経ってしまった。

(生きながらえて花を咲かせる境界のツツジ)

(避難所となった体育館も建て替え中)

(再建された総合陸上競技場)
車中泊の車で一杯だった、グラウンドも再建され1週間ほど前から供用開始となって元気な声がこだまし始めた。
ただ引き続き地震への備えは必要なようである。

(布田川断層と日奈久断層)
益城を通る布田川断層と、日奈久断層は益城の南西部で分岐しているが、今回の地震は青線部分の断層区間で、赤線部分はまだひずみが残ったままの区間である。
日奈久断層の北側の一部で前震が発生し、布田川断層の益城区間で本震が発生したので、残された部分の方が区間が長いのである。
しかも今回の地震で認識したのは、活断層としては1本の線が表示されるが、実際は各所で枝分かれし不明の部分が多いこと。
益城の場合も、被害の実態に合わせて地質調査がなされた結果、町の東部で3本に分岐し町の中央を走る県道28号線とその南北に並行して東西に断層があることが判った。
この3年間に、震度7が2回、6強が2回、6弱が3回、5強が5回、5弱が13回、4が123回、3が421回起きている。
震度1以上は4597回だという。
あらためて、日本列島は常時動いているということを思い知らされた。
あれから3年の時間が流れたが、もう3年ともまだ3年とも言えない不思議な気分の昨今である。

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しかし生活実感としては、2晩連続して起きた地震というのが実体験である。
前震が14日の夜21時半前、本震が15日の夜に引き続く深夜16日の1時過ぎだからである。
前日の地震が本震で、あとは余震に注意せよというのが一般的な認識だったので、前日より遙かに強烈な地震には驚いた。
益城町の地震計は、前日の震度7で壊れてしまっていたので、隣の熊本市の震度7を準用して益城町も震度7と発表された。
地震速報よりも、ドーンという衝撃の方が早かった。
就寝中に布団ごと上に突き上げられ、やがてとても長い時間に亘って横に揺れ始めた。
物の倒れる音、瓦の落ちる音、ゆれる家の軋む音などが同時に延々と続いた。
立ち上がることも出来ず、そのまま布団の中で対処すべきことを考えながら寝ていた。
家の中も、外も真っ暗で動き回るの危険と考え、行動は明るくなってからと決めて、揺れが収まってもそのまま布団の中に居た。
屋根瓦が落下していたら、むしろ上部構造の重量が軽くなって倒壊した場合でも押しつぶされる可能性はむしろ低下していると布団の中で判断した。

(倒れ込んできた東側隣家の設備)

(落下してきた南側隣家の瓦)
明るくなって外を確認すると、我が家の瓦の色がまったく見えず全て落ちているのは東と南の隣家の物ばかりだった。
南の隣家の北側の窓は全て割れていて、部屋の中を通して反対方向の景色が見えるほど壊れていた。
前日の前震では、隣家と笑いながら瓦の後始末などをしたのだが、今回の本震ではもう隣りに人影はなく、すでに避難をしたあとだった。

(町内の倒壊家屋)
建築年次や微妙な地盤の違いなどで、倒壊や半壊・一部損壊など被害に違いが出ていた。

(家の沈下?)
隣家はほぼ家の周りをコンクリートで固めていたため、両方の家から押されて我が家の土の庭が盛り上がったか、もしくは家の土台(基礎)ごと沈下したかのどちらか不明だが、10センチくらいは地面より高かった筈の犬走りの部分が、庭土と同じ高さになっていた。
ただし、水準器で傾きを検査してもらったら、ほぼ水平で構造的に問題は無いと判定された。
その後、水道の水が出るのに1ヶ月半、瓦の業者に点検して貰うのに10ヶ月、お墓の建て替えに1年近くかかり、その他のブロックなどの再建には隣家の再建などと並行したため、2年近く経ってしまった。

(生きながらえて花を咲かせる境界のツツジ)

(避難所となった体育館も建て替え中)

(再建された総合陸上競技場)
車中泊の車で一杯だった、グラウンドも再建され1週間ほど前から供用開始となって元気な声がこだまし始めた。
ただ引き続き地震への備えは必要なようである。

(布田川断層と日奈久断層)
益城を通る布田川断層と、日奈久断層は益城の南西部で分岐しているが、今回の地震は青線部分の断層区間で、赤線部分はまだひずみが残ったままの区間である。
日奈久断層の北側の一部で前震が発生し、布田川断層の益城区間で本震が発生したので、残された部分の方が区間が長いのである。
しかも今回の地震で認識したのは、活断層としては1本の線が表示されるが、実際は各所で枝分かれし不明の部分が多いこと。
益城の場合も、被害の実態に合わせて地質調査がなされた結果、町の東部で3本に分岐し町の中央を走る県道28号線とその南北に並行して東西に断層があることが判った。
この3年間に、震度7が2回、6強が2回、6弱が3回、5強が5回、5弱が13回、4が123回、3が421回起きている。
震度1以上は4597回だという。
あらためて、日本列島は常時動いているということを思い知らされた。
あれから3年の時間が流れたが、もう3年ともまだ3年とも言えない不思議な気分の昨今である。

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