goo blog サービス終了のお知らせ 

カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

日本の自然と四季おりおり

2015-08-27 10:07:50 | 本と雑誌
 台風の後始末は車庫の屋根を残してほぼ終了した。

 一応屋根が一枚無いだけだから、仮止めしておいてもう少し気温が低いとか曇りがちであるとか作業条件の良いときに補修をすることにする。

 実は台風前から図書館から借りた本を読んでいたのだが、一応読み終えたものの台風の前後では感じ方が微妙に違う。

 
 「大いなる自然」東山魁夷(風景開眼)以下20名の作家作品収録 1996.4作品社(刊)
 「四季おりおり」井上靖(元日のこと)以下30名の作家作品収録 1996.4作品社(刊)

 各編に収められているのは作品社刊の「日本の名随筆」本巻100巻・別巻50巻に収録されたものから抽出編集したもの。

 名随筆と言われるまでもなく各界の著名な人達の随筆なので、日本の自然や四季おりおりの風物が作者独特の視点から描かれている。

 確かに四季に恵まれ、そこから育まれた豊かな自然があるなあ等と改めて感じさせられた。

 が、しかし、台風が来てみると「あれ、天然自然の災害について書かれたものがない」ことに気がついた。

 火山列島として独特の美しい国土の景観と、地理的な位置関係からする四季折々の移ろいは出てくるものの、地震や風水害を正面から取り上げた作品は収録されていない。

 「大いなる自然」の最後に収録されている石牟礼道子氏の「村が育てた時代を過ぎて」の中で「・・・土や草木の生命や、それを育てることや、恵みの果実がどのような意味を持って、そこにあるかという思いが、薄くなってゆくように思われる。~中略~今は、山川草木も海もみな病み衰えているから、人の心もその弱々しい瘴気を受けて病んでいるのだろうか。」と結ばれた随筆に、水俣病を正面から捉え続けた作者の心根を見た思いがしたが、それが唯一の作品だった。

 随筆に重たい災害の話は似合わないのかもしれないが・・・・。

 豊かな自然の中には、荒々しく厳しい現実も勿論含まれているのである。

 一句いってみよう。「幸せか水族館の魚たち」

 ついでにもう一句。「養殖のホタル飛び交う過疎の村」

 にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ
にほんブログ村

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

暑い夏が更に暑くなる一冊

2015-08-09 18:44:59 | 本と雑誌
 とにかく暑い。

 読んでいる本も暑い!

 
 「ノモンハンの夏」上・中・下 半藤一利(著)底本:文春文庫 埼玉福祉会(刊)

 満州事変・三国同盟・太平洋戦争に至るまでの近現代史の流れの片隅で語られることの少なかったノモンハン事件。

 ソ満国境での圧倒的な物量をもってするソ連軍との戦いに敗れた日本軍なのだが・・・。

 情報の収集と分析、外交の駆け引き、世論の動向、報道機関のあり方、近代装備と兵站の重要性など、その後の日本にとって重要で示唆に富んだノモンハン事件ではあったが、まともに語られることは少なかった。

 このクソ暑い夏が更に暑くなってしまうが、読む必要はある一冊である。

 
にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ
にほんブログ村
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大活字本シリーズを読む

2015-07-29 09:22:51 | 本と雑誌
 当分大活字本シリーズを借りることにしている。

 かなりの厚さの本でも、字が大きい分だけ字数が少ないのでスラスラと読めてしまう。

 よくよく見てみると、発行部数は500部ほどで限られた公共施設に設置する目的で製本されたもののようだ。

 値段の方も一冊3000円以上とちょっと高め。

 
 「喜娘(きじょう)」(上・下)梓澤 要(著)底本:新人物文庫2011.5埼玉福祉会(刊)

 表題の「喜娘」はじめ上下合計5編によって構成されているが、私的には表題以外はみな面白かった。

 「嘉兵衛のいたずら」以外は時代的には飛鳥から奈良時代の物語で、歴史上の大事件もからんでとても面白い。

 嘉兵衛のいたずらも、雑誌の取材で訪れた古民家の当主と、蔵の所蔵物の虫干しから奈良時代の吉備真備の母方の墓誌の出土にまつわる物語に行き着いて、1000年に亘る壮大な謎に迫っていく歴史ミステリーである。

 どの作品も平易な文体の中に、奈良の都の息吹が感じられて時代物としては新鮮な感じがした。

 
 「最後の藁」夏樹静子(著)底本:文春文庫2014.12埼玉福祉会(刊)

 表題を含め3編の構成で、自殺あり殺人事件ありなのだがどういう作品だったかイマイチ記憶に残らない。

 いわゆる事件のトリックとか動機とか手段とかが縦横無尽な不自然さで、刑事の取り調べもテレビドラマを見るような、映像を文章に展開したような妙な違和感を感じて馴染めなかった。

 唯一印象に残ったのは、表題作「最後の藁」の意味で、砂漠のラクダが多くの荷物を背負わされながら耐えていたが、最後に載せられた一本のワラの重さに耐えられず倒れてしまったという逸話の部分である。

 まあ、好みごのみということで・・・。

 「まやかしの水面の月は酔って揺れ」
 
 にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日の砦

2015-07-24 13:54:46 | 本と雑誌
 またもや大活字シリーズ、選ぶ基準が字の大きさというのもやや寂しいが・・・。

 面白そうなものもあるので、しばらく字の大きなやつを優先的に読むことにする。

 
 「日の砦」黒井千次(著)底本:講談社文庫 社会福祉法人埼玉福祉会(刊)

 10話構成で、各話毎に異なった人物も登場するが、全編を通じて共通する登場人物は、とある一家族である。

 定年を迎えた高太郎とその一家の平凡な生活が描かれていくが、さりげなく描かれる平凡さの中に危うさがひょいと提示されて、作中人物が常識的で安易な対応をすることに危惧を覚えたり、必要以上に神経質で疑心暗鬼になっていくと、大袈裟すぎるぞと声をかけたくなるような、平凡さゆえに作中に引き込まれるものがある。

 確かなものと思っていたものが以外に脆いものであったり、人ごとのように思っていたことが実は明日にも我が家の問題として浮かび上がってきそうな予感をさせる。

 そんな思いを強くさせる作品群である。

 「終章は余韻残さずきっぱりと」

 余韻は小説だけで十分ですな。

 にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

必要のない人

2015-07-08 08:49:10 | 本と雑誌
 図書館には大きな活字の本ばかりを集めたコーナーがある。

 大きさも2種類くらいあるようだが、流石に一番大きな字ではちょっとした中編でも分冊になるほどなので1ページ350~400文字くらいのものを選んだ。

 
 「必要のない人」内舘牧子(著)底本:角川文庫「必要のない人」 2014.12社団福祉法人埼玉福祉会(刊)

 大活字本シリーズと銘打って、限定500部の発行だから公的な図書館とか施設向けに作られたものだろう。

 近頃は、今まで持っていた老眼鏡だと文庫本など読むには少々霞んでしまうこともあって、メガネを変えるかよっぽど明るい照明下や日中でないとダメだと自覚しつつある。

 でも、これくらいの大きさの文字なら夜でもスラスラ読める。

 短編集で表題作の他「可哀相な人」「幸せな人」「別れる人」等5編から構成されている。

 季節を表す場面が多くしかも匂いや音など五感に訴える表現が多いことに気づく。

 どの作品も主人公の揺れる内面が描かれ、そして自問自答しながら自ら結論を出していく過程が面白い。

 

 菊の切り花の不要な部分を挿し芽にしておいたら、根付いて花を咲かせてくれた。

 「必要のない人」など、そもそも神が作る訳がない。

 何らかの意味を持たされて出現している。

 捨てられる筈の菊の枝が花を咲かせる程なのだから・・・。

 「季は花に憂いは本に訊いてみる」

 ちょっとちょっとォ・・強引でイヤらしかったかな?

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「昭和天皇実録」の謎を解くを読む

2015-07-05 12:32:51 | 本と雑誌
 本は原則として図書館で借りて読むが、何度も読むかその都度すぐ調べる可能性のあるものは買う。

 ただし安ければという条件はつくが・・・。

 
 「昭和天皇実録」の謎を解く 半藤一利・保阪正康・御厨 貴・磯田道史(著) 2015.3文藝春秋刊
 
 宮内庁が24年5ヶ月の歳月をかけて編集した全六十一冊約1万2千ページに及ぶ大冊を読んでその謎をとこうという少々ミステリアスな本である。

 この昭和天皇87年に亘る生涯を克明に記録した「実録」を読み、新たに史実として認められたもの、書かれているはずのものが書かれていないこと、はては行間から浮かび上がってくる言わんとするところ・・・などなど。

 昭和史の知識と経験が豊富な四氏が膨大な「実録」を読み解いて見せてくれる。

 私が興味があったのは、「天皇の幼少期の人間形成」、「満州事変から終戦までの状況判断」、特に第3章の「昭和天皇三つの顔」の使い分けの部分だった。

 「陸海軍を統ねる大元帥」、「立憲君主国家の元首」、「皇統の大司祭としての大天皇」の3つで、どのような場面であっても、この3つの顔のいずれの立場に今私は立たされているかを常に認識しながら事を処していたことが明らかにされる。

 ただ、時の政治家や軍人、時によっては皇族でも天皇のそうした立場を理解していないことがあったようだ。

 独特の直感力から発せられる疑問や質問に的確に対応した者はとても少ないようだ。

 「戦争の大義名分」「戦争の終わらせ方」の疑念に的確に答えられる者はいなかったようだ。

 よくもまあ楽観的に戦争など始められたなと思ってもみるが・・・。

 この「実録」は昭和天皇の生きた記録であり、天皇を取り巻く時の指導層の記録でもある。

 丁度今頃6・7月の時期、本土決戦の雄叫びが聞こえる中で「如何にして終わらせるか」に腐心している天皇がいたのだ。

 そしてこの歴史を読む我々は、今に立ち返り指導層を選び監視するという主権者の立場を再確認する必要がある。

 本当の敗戦の反省をしていない先輩や、事実さえ知らない私を含めた後輩が多すぎる昨今では尚更だ。

 にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

言葉と比較文化

2015-06-26 09:31:00 | 本と雑誌
 2日前の除草作業がこたえて、身体のあちこちがまだ痛い。

 特に階段を降りるときの、大腿部の前方が痛いのは通常の運動とは違う足腰の使い方をしたからだろう。

 昨日から雨が降っていて、今日などは大雨になるとの予報である。

 で、晴耕雨読の雨読ばかりが続くことになった。

 
 「ことばの文化」外山滋比古・倉澤栄吉・興津要(著)2006第6刷リブリオ出版(刊)

 昭和47年だの昭和54年だのに行われた、3氏のそれぞれの講演記録が収録されたものである。

 講演なので話の内容には当時の世相が反映された部分もあるが、話の内容は普遍性のあるもので今でも新しい。

 最初の外山氏の「始めにことばありき・・・」からはじまって、「母乳語から離乳語」へ移行する三つ子の魂百までといわれる所以の話はとても面白いし、2番目の倉澤氏の「教育の現場論」も興味のある内容になっている。

 
 「さまざまな文明から」吉田光邦・山本七平・岩田慶治(著)2005第3刷リブリオ出版(刊)

 これまた昭和46/49年の講演記録なのだが、時代は違っても問題の萌芽はその当時もあって古くないどころが、今こそもう一度考える必要のある内容ばかりである。

 吉田氏の「現代文明論・・・進歩の意味」では、そもそも進歩とは何かを考察していて、ヨーロッパ文化が世界を席巻していく過程とそれに対応したアジアの国々の態度が語られる。

 山本氏の「比較文化論の試み」は日本人の独りよがりと相手の文化を理解しない態度は、自国の文化が確立されていないからだという指摘は非常に重要な意味をもっている。

 諸外国との外交交渉や近隣諸国との歴史認識のズレなど、耳に痛い話が沢山出てくる。

 40年も前の講演なのだが、まったく古くない。

 古くないどころか、今こそ真摯に語られるべき内容がずらりと網羅されている。

 「大きな活字で読みやすい本」という謳い文句のとおり確かに老眼鏡にやさしい本だった。

 にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「短歌のドア」雑感

2015-06-05 09:32:38 | 本と雑誌
 晴耕雨読などと言っていると、この梅雨の時期さしずめ毎日読書ということか。

 
 「短歌のドア」加藤治郎(著)2013.2角川学芸出版(刊)

 五・七・五の17音字とか五・七・五・七・七の31音字などに約束事を課し、その枠内に置いて情景や思いを伝えるという手法を編み出し、今に伝える古人の偉業に感心する。

 短歌も俳句も明治以降キッチリした枠をはめることで独特の発展を遂げてきた。

 私的には、特定の手法に対する権威付けか文芸の盆栽化のような島国向けのような空気も感じるのだが・・・。

 枠をはめ損なった川柳は後塵を拝するようになってしまった印象は否めない。

 しかしここにきて、音字の数に拘らない前衛的な句や、写生や季語を無視した俳句などが登場しつつあるし、口語による短歌も「サラダ記念日」に代表される新しい表現法が台頭してきた。

 短詩系の文芸はいま、ネット社会の広がりも含めて、独りよがりか大衆化かの混乱期なのだろう。

 こっちの本を読んでナルホドね。あっちを読んでナルホドね。

 私の頭は孵化することもない抱卵期を迎えている。

 「自由律などと自由にタガをはめ」

 にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

堕落論とグッドラック

2015-05-28 09:16:27 | 本と雑誌
 図書館から借りた本だが、まあよくもこんな対照的な本を選んだものだというのが読後感だ。

 求めるところは同じでも洋の東西でこうもかわるものか・・・。

 
 「だらくろん(堕落論)」坂口安吾 現代語訳:松尾清貴 2015.2理論社(刊)

 「堕落論」「続堕落論」「日本文化私観」「FALCE(ファルス)に就て」「風博士」の5編が編集されている。

 堕落論は”終戦から半年が過ぎる間に、世の中の様子は変わった。”で書き始められている。

 半年前に日本の様子はガラリと変わったのだ。一億火の玉の若者も、それを見送った賢夫人も・・・。

 彼ら、彼女らの、人間が変わったのではないのだ。人間はもともとそういうもので、変わったのは世の中のありさまの、上っ面だけのことだ。

 義士も聖女も堕落せよ、そこから戦後日本は始まる。近道はない、墜ちるところまで堕ちないと人間は救われない。

 戦後の虚脱状態の民衆に「堕落論」は熱狂的に、肯定的に迎えられた。

 「続堕落論」以下の4編についても、その論ずるところは一貫している。

 しかしここに来て、法と秩序とか・クールジャパンとか・物作りの伝統とか、とかく「にっぽん凄い論」が姦しい。

 戦前を覆っていた空気感に似た、民主主義の名をかたる不気味な空気が漂っているように思える。

 今また、「堕落論」が腹に応えるのは空気感の相似性を感じずにはいられないからだろう。

 
 「Good Luck」アレックス・ロビラ、フェルナンド・トリアス・デ・ベス(著)田内志文(訳)2004.6ポプラ社(刊)

 54年ぶりに、公園のベンチでの幼なじみとの運命的な再会。仕事も財産も全て失い変わり果てた友人に、一応自分の人生に満足している主人公が、祖父から聞かされた「魅惑の森」という童話を語り始める。

 奇跡のラストへ童話の7日間の旅がはじまる。

 などと書かれりゃ、読んでみるかという気になっても仕方がない。

 読後感は、う~ん・・・なんと申しましょうか。人生は童話のようなものかもしれないが、ストレートに童話で諭されるってのは、いきなり聖書を読まされて「どうです?主の慈悲深さが伝わるでしょう?」に似ている。

 仕事も財産も失うことは人生の敗北者である、というところから物語がスタートし、幸せの種は蒔かなきゃ生えない、幸福は準備をし下こしらえをした人にだけ訪れると、諭し・・そして諭されるストーリー展開。

 
 真逆に位置した2冊の本から、東西の思考・文化の違いとその根の深さを今更ながら痛感する。

 にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

当たり外れもあって本は面白い

2015-05-12 11:22:06 | 本と雑誌
 本もいろいろあって、面白そうだと思って借りたり買ったりしてもちっとも面白くなかったり、そうかと思うと大して期待もしていなかったのに、感動させられたりと様々である。

 
 「シッダルータの旅」竹田武史(構成・写真)ヘルマン・ヘッセ(著)高橋健二(訳)2013.4新潮社(刊)

 ヘルマン・ヘッセの「シッダルータ」に魅せられて、小説の舞台になったインドの仏跡・聖地を巡礼し、物語に描かれた心象風景を追って撮影した詩情豊かな写真と、ヘッセの美しい文章を道標として原作世界を旅する小さな写真集と紹介されている。

 シッダルータはいわゆる仏陀ではなく、ヘッセの創作した同名の別人物なのだがその人生は仏陀の生涯にシンクロしている。

 シッダルータは川が奏でる千の声の大きな歌の中にただ一つの言葉すなわちオームを聞き、輪廻する世界をそのままに受け入れる境地に達する。

 死者が川岸に置かれ水に浸されやがて荼毘に伏される写真には圧倒される。

 
 「秘伝「書く」技術」夢枕獏(著)2015.1集英社インターナショナル(刊)

 いわゆるマニュアル的技術論ではない。心構え論と言うべきかあるいは作家業感というべきか。

 作者が良い文章として宮沢賢治の「永訣の朝」という詩を紹介しているが、私も思わず涙腺が緩んでしまった。

 死の床の妹の枕元でなすすべもない兄賢治に、妹が「あめゆじゆとてちてけんじゃ」というのである。

 折から降り出した「雪混じりの雨が食べたい、取ってきて賢治兄さん」という妹の頼みに救われて、最後にしてやれることの為にミゾレの中に飛び出して行く。ささやかな満足の気持ちを兄に残してやろうとする妹の心遣いがたまらない。
 賢治自身もそのことに感謝してこの詩をつくったのだという。

 まったく目的は異なったが、この詩の部分だけで読んで良かったと思った1冊。

 
 「連句遊戯」笹公人・和田誠(共著)2010.7白水社(刊)

 句を連句季題表によって作者の二人が交代しながら、作句したものをFAXでやり取りして進めていったものらしい。

 連句遊戯ということで、言葉遊びをことのほか意識したものらしいのだが・・・・。

 全ページ199ページのうち連句(歌仙篇)は37ページ、まえがき・あとがきに36ページで、解説対談篇に106ページを使うという配分にはいささか遊戯が過ぎるなと思った。

 まえがき・あとがきの頁数と連句そのものが同じページ数というのもビックリだが、面白いことをやった後に「何故面白いかと言うと・・・」等と解説するのは、笑いの理解できない人に漫談家が説明するという寄席の舞台に似ている。

 まあ言葉遊びですから、そうおっしゃらずに・・・・ですか?

 
にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ
 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする