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カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

益城の暮れ(2)

2017-12-26 10:13:43 | 熊本地震
 震災の後、復旧と復興がちぐはぐな形ではあるが、取り敢えずは少しは前に進んでいる、と思いたい。

 驚いたのは先日、中心部の特に被害の大きかった地域の復旧・復興案が審議会で否決されたことだ。

 狭隘な道路の拡幅や避難誘導などを考慮した公園の整備、軟弱地盤に立地する住居地域の改善等、町行政当局が数度に亘る住民説明会などを経て立案されていたもので、国や県の支援を受けて既に走り出していたものと思っていたので、突然の否決に大方の町民は戸惑いを隠せない。

 多分1~2年は復興に取り掛かる時期が遅れるのではと懸念する声もあるが、不都合があればそれを質す、それが民主主義だろうが、立案の段階で反映できなかった理由がイマイチ判らない。

 コストが掛かるのが民主主義で、特に少数意見のくみ上げや時間には多大のコストがかかるのだ。

 

 中心の木山交差点は歩行者が安心して歩けないほどの狭い交差点であるが、周辺の建物が解体されて随分広く見えるようになった。

 ただ電柱が元の交差点の幅を主張しているので、車や歩行者にとっては条件は変わっていない。

 地震の際はほぼ全ての道路が通行不能になった。

 

 交差点から県道28号線を熊本市方向に西進すると、見覚えのあるキャンピングカーがポツリと佇んでいた。

 あの地震直後の状況が直ぐ頭に浮かんだ。

 

 写真としては崩れかけた建物の下で、健気に支えているように見えたのだが別な箇所で建物は支えられ、車は辛うじて潰れずにすんだのだろうか。

 キャンピングカーは日常的にこの位置に駐車されていたのは以前から目にしていた。

 ただもう1台キャンピングカーが別の駐車場に停まっていることもあったので、その車なのだろうか。

 写真からは何とも言えないが、道路の向こうの傾いたままの電柱と、解体後も同じ位置に止められているキャンピングカーが、地震の直後と今の現状を如実に表している。

 復興計画、住民の意識、財政的支援・政治の思惑などなど、糸のもつれは日を追う毎に・・・。

 「自由だと思う思考に縛られる」

 
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見つかった3本の活断層のその後

2017-12-25 16:32:00 | 熊本地震
 熊本地震から1年8ヶ月が過ぎようとしている。

 解体が進み建物の陰で見えなかった里山もクッキリ見える場所が多くなった。

 
 向こうに見える里山の麓を、布田川断層帯が東西に走っているのは判っていた。

 確率は突出して高くはなかったが、それなりに危険な断層であることは理解されていた。

 ところが今回の地震で断層のズレが地表面に如実に表れたところが多く、直ぐに国交省や研究機関による現地調査が行われた。

 その結果、町の東端で枝分かれした別の3本の断層の存在が判った。

 
 木山神宮は比較的その断層に近く、現在も鳥居や拝殿・神殿も崩壊したままである。

 直ぐ近くの民家は建て替え工事が終わりつつあるが、神社はあの時のまま時計が止まったままのようだ。

 地震から8ヶ月後に発表された3本の活断層の存在を伝える新聞記事を食い入るように見たのは1年前だ。

新3本の活断層
 12月22日に国土交通省は熊本地震で被害の大きかった益城町の市街地復興に向けての安全対策に資する中間報告をまとめた。 その報告の一部が翌日の朝刊に掲載された。 報告内容は......

 あの時、新聞記事の推定活断層の位置をグーグルの地図に展開し直したりしたが、あの時点ではあの図面までが調査完了で引き続き、その先を推定する作業が続けられる予定だと書いている。

 しかしその後、新しい発見のニュースが紙上を賑わすことはない。

 多分もっと後に細密なデータが分析され発表されるのだろうが、当面今の状況を知りたくて国交省の活断層データを検索したら、国土地理院の地図に測定済みの断層が重ねて表示されていた。

 この詳細な地図はかなり拡大が可能で、我が家の家まで特定出来た。

 三本の活断層どころか4本目もありそうで、水前寺付近を先端にする台地を巻くような形で南北に走る線も表示されていた。

 こうして見ると本気で断層を調査していけば多分列島を網の目のように断層が走る見つかることだろう。

 日本に住んでいて、断層を避けることはほぼ難しそうだが、せめて耐震基準をクリヤーすることは大切だろう。

 調査・測定はちゃんと進捗していて記録も更新されているから、これからは時々覗いてみることにする。

 
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年の瀬の益城(その1)

2017-12-22 09:47:05 | 熊本地震
 町の直ぐ南を流れる秋津川にはことしも渡り鳥がやって来た。

 ただ以前より用心深そうにキョロキョロしている風で落ち着きが今一つ。

 堤防沿いに工事の車が行き交い騒々しさは川面も例外ではないのだ。

 

 幸い河川の手入れが不十分で、岸辺は背の高い草が伸び放題になっているので、鳥たちにとっては身を隠すには好都合という状況になっている。

 この「秋津川」に流れ込む小さな支流の「鉄砂川」、それより少し大きな「木山川」に流れ込む支流の「赤井川」と中小の4本の河川は、全て今回の熊本地震で被害を受けていて、この渡り鳥が来ている秋津川以外は殆ど同時に堤防を含む河川工事が進められている。

 

 平地の水田地帯に其所だけが高い堤防の上をダンプが走り、グルリと見渡すと重機のアームが林立する姿は圧巻ではあるが、あまり嬉しくはない心持ちだ。

 4本の河川に分散していた野鳥も、工事の行われていない最上流部やまだ工事の手が及んでいない秋津川に移動しているようだ。

 昇り口から封鎖されていた木山城址も歩行者だけなら通行できるようになっていた。

 

 すぐ西の方向にある文化会館の周りの擁壁の崩落箇所はまだブルーシートが取り巻いていた。

 解体のクレーンや廃材を運ぶ車の姿はめっきり減って、更地には真新しい家もチラホラ見え始めた。

 南隣りにある墓地も半分ほどは新しく建て替えられたものの、今もまだ工事は続いている。

 年の暮れはなにか落ち着かないものだが、震災後はそれが際立っている。

 
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熊本城の今(その2)

2017-12-03 10:02:26 | 熊本地震
 熊本城も悲惨な震災後の姿ばかりが登場するが、カメラの角度を少し変えると様相は違って見える。

 加藤神社で盛んにカメラを構えている外国人の女性のグループがいて、近寄って真似して撮したのがこの一枚。

 

 紅葉と熊本城の「宇土櫓」を上手くおさめるアングルを見つけ出したのが得意らしくて、盛んにアピールしていた。

 私もこの位置から覗いたことは無かったのでとても参考になった。

 神社の鳥居から少し右手に宇土櫓の撮影スポットがある。

 熊本城で一番の高さを誇る石垣の上に宇土櫓が見えるのがポイントだ。

 

 少し左に振ると天守閣が入るが、敢えて黄葉をいれて宇土櫓のみに絞る。

 さも地震など無かったかのような一枚が出来上がる。

 宇土櫓は「櫓」という名前は付いているが、規模的には普通の城の天守閣以上の大きさがあるし最上階には普通の櫓にはない高欄が設けられていて天守の風格を備えている。

 築城当時の面影を残し、国の重要文化財に指定されている。

 二の丸の内側には空堀があるが、水が溜まって普通の掘りように見えていた。

 

 長い石垣の上には塀が再建されていたのだが、全部壊れてしまった。

 こうして見ると今流行のインスタ映えではないが、写真映えのするアングルは結構多いことに気づく。

 外国からの若い観光客は地面に絨毯のように敷き詰められた黄色い銀杏の落ち葉を手にとって舞い上がらせたり、いろんな角度から撮したりして喜んでいた。

 
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熊本城の今(その1)

2017-12-02 10:51:11 | 熊本地震
 相方のデパート行きに付き合った見返りに熊本城に付き合ってもらった。

 熊本城の一口城主であるとともに、被災以降は相方共々復興城主であり特に相方は「女城主」だ等と威張っている。

 
 
 場内の主要な部分は立ち入れないが、二の丸広場から見ると工事用の足場がぐるりと取り巻き、クレーンが林立している。

 二の丸からの大手門に至る曲輪付近は崩れ落ちた石で埋めつくされていた。

 

 隅の石垣だけで支えられて奇跡的に崩落を免れた櫓は、飯田丸の他にも幾つかあるがこれもその一つである。

 

 場内には比較的新しく再建された加藤神社があるが、二の丸駐車場から徒歩で行けるが、熊本城マラソンのゴール近くの経路を使えば神社の前までは通行できる。

 神社の境内から見上げる天守閣は最も近くから見ることの出来る熊本城の現状である。

 

 足場などの施設が覆い尽くしているので、なんだか近代風のビルでも建てているように見えてしまう。

 辛うじて小天守の屋根が城であることを示している。

 観光客は外国人の比率が高いが、以前のような甲高い声の元気な団体旅行ではなく比較的静かな観光が目立つ。

 とくにカメラの撮影対象やポイントにこだわっていて、こっちの方が教えられるくらいである。

 そのポイントからの写真は明日以降にする、取り敢えずルネサンス熊本の試合が午後にキックオフだ。

 
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グラウンドの車やイベントあれこれ

2017-12-01 19:59:34 | 熊本地震
 我が町周辺はとにかく解体と建設の槌音が混じり合って凄いことになっている。

 どうかするとダンプカーが5~6台連なって走るのにしばしば出会う。

 体育館周辺も付近の堤防や道路の工事が進行中で、体育館本体の解体工事も始まっている。

 

 解体にも順序があるのだろう、現在は内部の方を壊して搬出しているようだ。

 陸上競技場の方もトラックも人工芝のフィルドも亀裂が走ったり波打ったりして使用不能の状態のままである。

 先日から照明灯を2基柱の部分から倒していたものを建て替える作業をしていた。

 

 急に寒くなったりして作業は大変だろうが、とにかく目に見える形で復旧が進むと少しホッとする。

 地震直後は車中泊やテント泊の基地になり、いまでは立ち入りが制限されているが、先日はとある団体の感謝祭とかでイベントの広場として使われていた。

 こうしたグラウンドのトラックやフィルドが本来の目的に使われず、白線や人工芝の面影を残したまま他の目的に使われるのは見ていてあまり気持の良いものではない。

 地震の後、日頃は子供達が駆け回る学校の校庭に避難の車が大量に乗り入れ、雨の中で轍の跡がドロドロになっていたあの時も同じ気持ちになったものだった。

 避難所として指定してあるのだから、仕方がないと言えば仕方がないが私には校庭やフィルドの中は車などでは立ち入ってはならない聖域のように思えてならない。

 もう避難所でもないし・・・。

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家が揺れるゥ・・・。

2017-11-24 11:19:57 | 熊本地震
 自分自身では地震が及ぼした影響の中で、物的損害はあったとしても精神的なものへの影響はすでに乗り切ったと思っていた。

 その後の度重なる余震もなんとなく乗り切ってきたのだから・・・。

 ところが数日前から、完成してもう入居者も入っている隣のアパートでまたもや工事が始まった。

 

 境界の問題もあってゴチャゴチャしていたらしいのだが、一応決着したらしく境界の塀を作り直しアパート周辺の施行したばかりのコンクリートも剥がしてやり直すのだという。

 

 機械が移動する度に家が揺れるという状況がまたもや始まった。

 その地面と家の揺れが始まる度に「ドキッ!」とする感覚が性懲りも無く何度も続くことに気がついた。

 自分は乗り切っただの忘れただのと区切りをつけつもりだったのに、身体が覚えていて無意識に反応しているのだろう。

 今日も境界付近でドリルの音がするが、この工事音はさほど気にはならないから不思議だ。

 

 どうやら我が家の境界ブロックの接合点付近を修正しているらしくコンクリートの埃が舞い上がっている。

 前回の工事の後で、3軒の共通の境界部分に10cmくらいの隙間が出来てしまったので、隣家の了解を得て私がコンクリートで隙間を埋める工事をしたのだ。

 素人で下手くそだが、取り敢えず水が流れ込んだりすることはなくなっていたのだが、新規にやり直すとなると邪魔になってしまって、その部分を削りとる必要があるらしい。

 工事が12月半ばまで続く予定とか・・・。

 世の中なかなか静かに放っておいてはくれないのだ。

 
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体育館は今・・・。

2017-11-09 09:24:47 | 熊本地震
 抜けるような秋空と言いたいが、もう立冬を過ぎたので冬空か・・・。

 昨日はシトシト雨だったので太陽に照らされた地面から水蒸気が立ちのぼり、里山は頭だけを出している。

 建設と破壊が相半ばして、町のそこかしこから重機の音が聞こえダンプが走りまわる。

 とうとう町の体育館も解体工事が始まったようだ。

 
 
 回りを囲むフェンスが設置され始めた。

 完全に解体して再建するのか、改修補強するのか分からないが中の方からはもう壊している音がしている。

 震災後はかなり長期に亘って避難者で溢れ、駐車場やグラウンドの車中泊まで含めると1000人以上の人々が避難生活を送っていた。

 それぞれの仮設団地や、借り上げのみなし仮設など町内外に多くの人達が移っていった後閉館状態が続いていた。

 駐車場脇の給排水塔も傾いたまま佇んでいる。

 
 
 二度目の冬を迎えようとしている駐車場の脇の木々も紅葉しはじめた。

 白いサザンカはもう沢山の花を咲かせている。

 広い駐車場には工事車両や関係者の車がひしめいている。

 来年またこのサザンカの咲く頃には、この施設はどうなっているのだろう。

 利用者の車がひしめくのはまだ当分先になりそうだ。

 

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人と自然のスクランブル交差点

2017-11-01 10:51:19 | 熊本地震
 環境の変化にもいろいろあるなとこの頃つくづく思う。

 震災時の最大の避難所となっていた、総合体育館も取り壊して建て替えになる予定だが、昨日訪れると作業用のネットを張る足場組が始まっていた。

 グラウンドのトラック内も車中泊やテント泊のため開放されていたので、相当に傷んでいる。

 4基の照明灯は立っていたのだがとうとう2基は解体されていた。

 
 立て直すつもりなのか、グランド全体を改修するため一時撤収したのか分からないが・・。

 先日までは周回をジョギングしたりウオーキングしたりする人の姿も見られたが、多分暫くは立ち入り出来ないだろう。

 町の中の家々も、地震直後は潰れていないため建っている家の方が多かったのだが、内部の傷みや傾き、地盤の変化等の理由で後から解体する家が増えて、当時より更地が格段に増えている。

 再建住宅も増えているが、多分今の時期が更地のピークになるのかも知れない。

 人間の思惑によって続けられる、建設と破壊で日々刻々と町の様相が変わっていくのだ。

 一方関心はあっても、優先度の低い人工的な場所はどんどん自然の姿に逆戻りする。

 
 町の直ぐ南を流れる秋津川に整備されていた河川公園も、両岸の雑草が伸び放題ですっかり自然を取り戻していた。

 
 景観的には自然に返っただけで、むしろこの方が自然を満喫できるような気分にさえなる。

 人が歩けるだけの小さな小道だけ草を刈れば、かえって野鳥や魚たちには生息環境のいい自然歩道になりそうだ。

 
 堤防沿いに薄は太陽を浴びて白く光っていた。

 開発しようとする人間に疑義を唱える如くに、さっさと元に戻ろうとする自然のパワーが交差する。

 人と自然回帰のスクランブル交差点、それが今の町の姿だ。

 「強いのは魚も草も雑が付く」

 
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益城町の白い立体地図

2017-10-24 09:40:34 | 熊本地震
 先日熊本大学ましきラボの事をブログにUPしたとき、町の立体地図が白一色で判りづらかったと書いた。

 白一色には作成の目的がどこにあるのかは知らないが、妙に引っ掛かってまた見に行ってみた。

 
 山間部を除いた部分を作ってあるが、全部を写すと唯の白い平面のように見えるので我が町内に接近してみた。

 航空写真がモデルなのだろうが近づくと、建物などは樹脂を建物の形状に合わせて細かく切ったものを貼ってあるようだ。

 自分の家を探してみたら、著名な施設が見つかったのでそれを基準に道路などを辿っていくと直ぐに判った。

 
 自分の家が有ったあったと喜んでも仕方がないが、なかったらなかったでそれは寂しいし、地図の信憑性を疑ってしまう。

 オール白なので、オート撮影にすると焦点が定まらない。

 多少光の陰影もあるので、何とか出来るだろうとタカを括っていたが、まったく焦点が合わなかった。

 写しながら、この白ともつかず灰色ともつかない世界は、ある本の表紙に酷似していると思ってしまった。

 本の表紙に記憶が及ぶのは灰色を基調とした表紙のせいというより、その本の内容にある。

 「終わりの街のおわり」という題名で、この世で亡くなった人は、直ぐに浄土や天国に行くのではなく亡くなった人のことを思い出として覚えていてくれる人がいる限り、この終わりの街で特に苦しむこともなく存在していく。

 ただし、この街の住人はある日突然姿を消すことがある。

 つまり思い出として覚えていた人も亡くなってしまったのだ。

 そして、突然大勢の人が街から居なくなる。

 現世の地球で一挙に思い出が消える事象とは・・・・。

 ちょっと恐くてちょっと空しくなる内容が鮮烈に印象に残っている。

 その本を読んでもう何年にもなるのに、内容が表紙の写真を想起させてしまう。

 災害の後の、街の白い立体俯瞰地図は見る人の感じ方で何とでも色づけ出来る意味が込められているのかも知れない。

 「街は人田舎夕日に染められる」

 
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