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マリア・テレジア (1717~1780)大変な家族思いだったオーストリアの女帝

2018-04-15 04:44:25 | Weblog

神聖ローマ帝国時代のオーストリアの女帝マリア・テレジアは、ハプスブルク家唯一の正統後継者として、結婚、即位など人生の節目の度に困難な壁に阻まれた。しかし、それを乗り越え、夫を神聖ローマ皇帝に就け、娘をフランス王室に嫁がせて友好関係を回復するなど、為政者としても家庭人としても高い評価を得た。

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「当時としては稀な恋愛結婚」
 結婚が政略的に決められることが多かった中世ヨーロッパの王室において、マリア・テレジアは珍しい、恋愛結婚だった。
相手はロートリンゲン公子フランツで、マリアの父カール六世のウィーンの宮廷で皇帝教育を受けている時に出会った。まだ少女だった彼女は、この時からフランツに恋をし、その初恋を貫いたのだ。
ただ、フランツの領地ロートリンゲンはフランスと隣接しており、オーストリアとの結びつきを強めることは、フランスに脅威を与えることでもあった。その為、彼はロートリンゲンを手放し、トスカーナ公となってマリアと結婚する。フランツにも、マリアからの愛に応えるだけの十分な愛情があったのだ。

結婚は無事にできたものの、カール六世は男児を幼少時に亡くしていて子はマリアしかおらず、ハプスブルク家の広大な領地や財産は彼女が受け継ぐしかなかった。当時は女性に王位継承権がなかった為に、彼女がオーストリアの女帝になることに反対の声を挙げる者もいた。

神聖ローマ皇帝を名乗っていたバイエルン公カール七世がその代表で、彼はマリアの従兄に当たる人物。彼が自分の継承権を主張し、プロイセン、フランス、スペインなどを巻き込んで起こったのが、オーストリア継承戦争である。この戦争を、マリアはプロイセンにシュレジエン地方を割譲することで乗り切り、カール七世の死去に因って、夫フランツは神聖ローマ皇帝の座を得た。
そして、マリアが戴冠式の行なわれるフランクフルトにウィーンから出向く時、二人が行き違いになると云うハプニングが起きる。
するとフランツは、小舟に乗って直ぐに妻の後を追いかけたと云う。
このエピソードは、結婚後も二人の深い愛が続いていたことをよく表わしていると言えよう。

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「子どもへの深い愛情」
 フランツとマリアは、息子四人、娘十二人と云う子宝に恵まれたが、
忙しい政務の中でも母親としての務めを忘れず、子どもたちが成長してからも数多くの手紙を書き送っている。それは実に慈愛に満ちたもので、
残された手紙の内容から、教え、諭し導くことをいつまでも忘れることがなかったことが読み取れる様だ。

中でも特に知られているのが、マリー・アントワネットへの手紙である。
オーストリア継承戦争で不穏になったフランスとの関係を修復する為、マリアがフランス王太子妃として結婚させたのが末娘のマリーだった。
十四歳で外国へ嫁いだこの娘の行状を、ことのほか彼女は心配した。

マリアはド・メルシー大使をマリーのお目付け役としてフランスに派遣し、彼にマリーの言動を細かく報告させた。その報告で、フランス宮廷でのマリーの華美なファッションや贅沢な宝飾品あさりを知ると戒めの言葉を書き送り、彼女がルイ十六世妃となってからは、王妃としてあるべき姿を繰り返し説いている。
また、マリーが着飾った自分の肖像画をウィーンに送った際、「これはフランス王妃の絵ではなく女優の絵です」と、その絵を送り返したこともあった様だ。
夫フランツ亡き後、オーストリアの共治者となった息子ヨーゼフ二世に送った手紙でも、急進的な改革を試みる息子に、「人民の幸福と安息を第一に考え、そして人民に愛される様に」と、国王としてあるべき態度について書き送っている。

これらの手紙は、ハプスブルク家の歴史を背負った責任感からのものだけではない。子どもたちの行く末を案じる母親の愛が筆をとらせたと云える。手紙の結びには、「今直ぐ抱きしめ頬ずりしたい」と云う愛情深い言葉も書き添えられていた。

               

            


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