イングランド発展の基礎を築き、スペインの無敵艦隊を破ったエリザベス女王は生涯独身を貫き、「ヴァージン・クイーン」と呼ばれた。女王の「私は国家と結婚した」という言葉はよく知られている。
非婚を宣言した女王は、テューダー朝を絶やすのと引き換えに、海洋進出に大きな足跡を記し、アルマダの海戦でスペインを破り、イングランドをヨーロッパの強国とするのである。とはいえ、女王は恋愛に一切興味がなかったかというと、そうではないようだ。女王の愛人ではないかと噂された人物は、数多くいる。
*結婚をちらつかせた、女王の巧みな対外政策
ただし、即位当時、決して強国とはいえなかったイングランドにとって、女王の結婚は政治問題であり、万一、強国の王と結婚すればイングランドが属国化される恐れがあった。或いは、同盟の為に結婚すれば、新たな敵を生む事態になり兼ねなかった。そこで女王は、未婚であるこよ、すなわち結婚する可能性があることをちらつかせながら、巧みな外交を展開した。
例えば、宗教問題に加え、領土問題でも対立していたスペインのフェリペ二世に対しては、結婚をする気のある素振りを示しつつ、真っ向から対立しないことで、スペインと渡り合う国力を身につけるまでの「時」を稼いだと謂う。
*目に余るほどだった、ロバート・ダドリーへの寵愛
そうしたエリザベス女王の私的な恋愛の対象となったのは、専ら側近たちであった。その中でもレスター伯ロバート・ダドリーへの寵愛は並々ならぬものがあった。彼にはエイミー・ロブサートという妻がいたが、エリザベスはロバートを主馬頭として側近に登用。寵愛し始める。
1560年にエイミーが謎の事故死を遂げると、これはエリザベス一世と結婚する為にロバートが手を下したものではないかと噂された。実際に、ロバートは度々女王に結婚を迫っている。
*自らを「女王の隠し子だ」と告白した男
更にこの二人の間には、国家機密級のミステリーが存在する。1587年、そのロバート・ダドリーの息子エドワードが、スペイン軍の捕虜となってしまった。彼はもう命はないと覚悟したのか、あるとんでもない事実を告白した。「自分は、父ロバートと女王の間にできた子である」と語ったのだ。
女王の息子だと言えば、命が助かると思った為か、それとも彼自身、そう信じていたのかは分からないが、エドワードの告白が全くの出まかせだとは否定できない部分も多い。1561年、女王は一時、病に臥せったことがあった。これは、妊娠・出産を隠す為の工作だった可能性もある。また、この病は水腫と伝えられ、当時、女王のお腹は異様に膨らんでいたと謂う。
エドワードの告白を踏まえると、女王は実際には妊娠していたのではあるまいか。しかし女王と9いう立場上、公に自分の子と認めることはできない。そこで、密かに父親ロバートに子を託したのかも知れない。
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