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◆芝居の演目として後世に伝わる大盗賊 白波五人男と日本左衛門

2024-06-24 10:58:58 | Weblog

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『音菊高麗恋』 「日本駄右衛門 松本幸四郎」 早稲田大学演劇博物館所蔵

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白波五人男の初演 『青砥稿花紅彩画』
初代河原崎権十郎の忠信利平(右上) 四代目中村芝翫の南郷力丸(右下)
三代目岩井粂三郎の赤星十三(上中) 三代目関三十郎の日本駄右衛門(左上) 
十三代目市村羽左衛門の弁天小僧(左下)

 
世に名高い弁天小僧が活躍する歌舞伎「白波五人男」は、幕末の文久二年(1862)三月、
市村座で、本外題『青砥稿花紅彩画(あおとぞうし はなの にしきえ)』として初演された。

この芝居で、弁天小僧菊之助という泥棒は女装して呉服屋へ乗り込んでユスリをはたらく。
その時のタンカが、「知らざあ言って聞かせやしょう......」と七五調で述べる有名なツラネで、
義賊(正しい泥棒)である美少年の弁天小僧に、観客は手を叩いて喜ぶ。

その呉服屋(浜松屋)の場の次が稲瀬川の場で、泥棒(白波)仲間が五人、勢揃いをするわけだが、
その五人の名は、弁天小僧菊之助・日本駄右衛門、忠信利平・赤星十三郎・南郷力丸。

これらの名前のうち、実在の名前は日本左衛門(芝居では駄右衛門)と南湖(南郷)の力丸だけで、
あとの名前は、作者の河竹黙阿弥が画家の三代目歌川豊国と組んで、でっち上げたものらしい。

日本左衛門は延享四年(1747)に処刑された大盗賊団の頭目で、東海道を股にかけて強盗を働いた兇賊。
生まれは尾州徳川家お抱えの「お七里」(大名専用の郵便係)の息子で、幼名は友五郎といったが、
後に改めて浜島庄兵衛と名乗った。
遠州(静岡県西部)の代官支配と旗本領との境界で無警察状態になった土地を根拠地として、
二十数名の手下を従えて、各地で強盗行為を繰り返したが、なかなか捕まらない。
強盗だから正々堂々たるもので、犯行現場には、二、三十張の高張提灯を掲げて明るくし、
庄兵衛は自ら手を下すことなく床几に腰かけ見届けている。
その時の身なりは、黒皮の兜頭巾に面頬を付け、黒羅紗に金筋の入った半纏に黒縮緬の小袖、黒繻子の手脛当、
銀作りの太刀を帯していたというから、スターであることを意識していたようである。
やがて捕縛されたのは手下の十一人で、首領の庄兵衛は取り逃がした。
更に大捜索をして十三人を捕まえ、その一人の口から副首領格の中村左膳が捕らえられた。
左膳という男は京都の梶井宮家の家来で、宮家の警護の名の下に、盗品を御用品と称して、
輸送流通させる役目であった。
詮議が厳しくなった為、観念したのか、庄兵衛は京都町奉行所に自首して出、
遂に召捕られ、京都から江戸に送られた。
その後、町中引き廻しのうえ牢内で首を刎ねられ、遠州見附(静岡県磐田市)で獄門(晒し首)になった。
享年二十九歳。
当時の手配書によれば、色白く鼻筋とおり、面長で、身長五尺八寸(1㍍78㌢)の美丈夫であったらしい。
  

                        『甲子夜話』 巻四十二・八十九・『兎園小説余禄』etc.....
     

                 ⋈ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ⋈
 
                                  江戸時代 怪奇事件ファイル
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