Mayumiの日々綴る暮らしと歴史の話

日日是好日 一日一日を大切に頑張って行きましょう ξ^_^ξ

◆縛りつけられた人気役者の人生 謎の自殺、八代目団十郎

2024-06-21 13:01:01 | Weblog

1人、テキストの画像のようです
『江戸名所図会・八・花川戸助六』 八代目市川団十郎
江戸期を代表する侠客助六を団十郎は代々演じてきた。
天下の二枚目スター、市川団十郎に最も相応しい役柄であった。

テキストの画像のようです
初代坂東しうかの揚巻、八代目市川団十郎の助六。
嘉永三年三月上演、八代目団十郎の二度目の助六役であった。
女房役のしうかも、後を追うかのように、翌安政二年三月に死去。

テキストの画像のようです
八代目市川団十郎の死絵。
水裃姿で三宝を後ろに廻し短刀を取る体。四方に樒(しきみ)を立て、忠臣蔵の判官切腹の場に見立てる。

写真の説明はありません。
右図が八代目市川団十郎の死絵。
『鞘当(さやあて)』の不破伴左衛門。その台詞に「大門をくぐればたちまち極楽浄土」云々とあるので、
その役に見立てた死絵だが、実はこの死絵には元版があり、左図『東海道五十三次見立 有松』の流用。
版元の素早い対応と、その需要度の高さが解る。

 
嘉永七年(1854)八月六日朝、大坂島之内御前町(大阪市中央区)の旅館、
植久に宿泊していた八代目市川団十郎が自殺体で発見された。

江戸のスーパースターであり、美男俳優、而も名門市川団十郎の名称を持つ、
言わば幕末期の歌舞伎界を担う最大の役者である。
死因は短刀による喉部の突傷、二ヶ所であった。行年三十二歳、
惜しんでも余りある死に、劇界はもちろん、江戸や諸国に激震が走った。

人気の絶頂期にあり、道頓堀に船乗込(船で劇場に到着する一種のセレモニー)した時も、
橋の上に数万の人々が出迎え、「待っていた、待っていた」と熱狂ぶりが凄まじく、
そのわずか数日後の出来事であった。
中の座(道頓堀の劇場)では初日が開くばかり、父親の五代目市川海老蔵や弟の猿蔵も共演する予定であった。
この猿蔵は、兄団十郎の自害を知るや、髷を切ったという。

何故、髷を切ったのか。

江戸期の男子は髷を命の次ぐらいに大切にし、よほどの事情がない限り髷を切ることはしない。
そこには父海老蔵の複雑な家族関係が絡んでいるように思われる。

五代目海老蔵は、前名七代目団十郎であった。
彼には本妻すみがいるが、それ以前にこうという女があり、更にその姉きぬと結ばれたが離縁している。
嘉永七年現在では本妻すみの他に、さと・ための二人の妾がいた。
海老蔵には合計七男五女の子どもがいて、自ら「子福者白猿」と号していた。
八代目団十郎は本妻すみの子で長男、猿蔵はための子で四男、つまり異腹の兄弟であった。
同じくための子の五男は河原崎座の座元に養子に出して、河原崎長十郎といい、
後に復縁して九代目団十郎という明治期を代表する名優となった。

五代目海老蔵は天保の改革で江戸十里四方追放の刑を処されたが、その父の追放後、八代目団十郎は江戸劇界を守り、
また身を慎んで生活したので、弘化二年(1845)五月、町奉行所から親孝行によって表彰されている。
江戸時代の役者は年間契約である為、座元(興行主)はなかなか人気役者を手放したがらない。
金主(資本家)も役者に借金をさせて縛ろうとする。

奔放な父海老蔵と、義理固く神経質な八代目団十郎とは、性格の違いもあって、
江戸の金主への義理から旅興行を打ち切って江戸へ帰りたがる八代目と父の間で、何か言い争いがあり、
そのとき父親が怒って「妾のさととお前とが密通しているのは解っていたが、これまで黙っていたのだ。
大坂出演を断るというなら、俺の方だって大坂の金主に済まねえ」と言い放ち、
それを八代目は、妾のため(猿蔵の母)が父に讒言したからだと思い、
いろいろ弁解したが聞き入れられず、やむなく大坂出演となった、という経緯があった。
猿蔵の髷切りは、この「さとと密通」発言に絡んでいるのかも知れない。
謎は謎を呼び、噂は噂を生んで、妾ためが悪者にされる状況にもなったが、真相は誰も知らない。
八代目の死を報ずる死絵(追善の為の役者絵)は三百余種も出板された。
急ぎの出板で、不破伴左衛門の元版と死絵の二枚のように元版を加工して死絵に仕立てた物も少なくない。
熱狂的な女性ファンばかりでなく、芝居好きは争って買い求めたという。
     
          ❁.。.:*:.。.✽.。.:*:.。.❁.。.:*:.。.✽.。.:*:.。.❁

                                    江戸時代 怪奇事件ファイル

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

菜根譚 前集171項

2024-06-21 10:44:30 | Weblog


不知火の実

為鼠常留飯、憐蛾不点燈。古人此等念頭、是吾人一点生生之機。無此便所謂土木形骸而已。

「鼠の為に常に飯を留め、蛾を憐れみて燈を点けず」と。
古人の此等の念頭は、これ吾人の一点の生々の機なり。
此れ無ければ、便ち所謂土木の形骸のみ。
 

左角看破楚   左角に楚を破るを看
南柯聞長滕   南柯に滕を長くするを聞く
鉤簾歸乳燕   簾を鉤して乳燕を帰し
穴紙出癡蠅   紙に穴して癡蠅を出だす
為鼠常留飯   鼠の為に常に飯を留め
憐蛾不點燈   蛾を憐れみて燈を点ぜず
崎嶇真可笑   崎嶇たり真に笑うべし
我是小乘僧   我は是れ小乗の僧
                     蘇東坡
 

「思いやりの心」
「鼠の為にいつも飯を残しておき、蛾が火に飛び込むのを可哀想に思って、
灯火をつけないでおく」と蘇東坡は詩に詠んでいる。
古の人のこの様な心がけは、これこそ現在の私達が生きて行く上での一つの重要な心の働きである。
この心がけがなかったならば、まるで土や木で作った人形と同じ様に、全く心を持たない形だけの人間に過ぎない。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする