さあ、丑歳を送り迎えた寅の敏であるぞ。
トラは、十🌀🌀(とら)じゃ。
十は神、神の氣の🌀🌀(うず)が巻くのじゃぞ。
世の元の艮金神、国常立大神、三千年の間、悪神邪神の如く、疎まれ艮の方に押し込まれても、辛抱致し、龍宮界の守りを受けて、現の世を陰から守護致してまいりたが、愈々、三千世界に梅(埋)の花咲く五六七(ミロク)の世の十来(とうらい)の時節となり、世界に一段と立替立直しの神氣が🌀🌀(うず)を巻くぞよ。
闇の世は、思凝霊や人民の悪事も、垂れ流しの汚れ穢れも見えなんだが、艮の金神の世の立直しの神権は、天照国照神(日の出神)と現れるのであるから、日が昇れば、闇は晴れ何かの事、ありやかに見えて来るのが今の世であり、物資文明隆盛の陰に、この地球に積もり積もった、罪科や汚れ穢れが、浮かび上がりて、びっくりせなばならぬ、今の世の様であるぞよ。
未だ未だコロナも終息せず、神界の岩戸だけで無い、地獄の釜の蓋も開きて、地獄の釜焚きのような、狂人巷に現れ、不測の事件が頻発し、世界は、大国を始め国々が我が我がの紛争、絶え間無く起こし、再び冷戦の様を見せておるぞよ。
前々より、世界を救うか滅ぼすかの鍵は台湾にあると申してありたが、先の大戦の真珠湾攻撃の暗号となりた、「新高山のぼれ」とは、台湾にある山(玉山)であり、日清戦争に日本が勝利した折、清国から割譲された台湾であり、毛沢東に敗れた蒋介石が中華民国を移した台湾であり、世界の興亡をかけた鍵が玉山に秘めてあり、今、白山菊理姫の神が玉山に立ちて、その鍵を守りてあるぞよ。
台湾は元の中国の島であるから、再び支配せんと中国は台湾に迫り、しめつけも激しく、自由をうばわむとし、台湾の人民には、苦労が重なるが、民主共生の道を何としても守ってもらわねばならぬぞよ。
今、台湾が中国の自在にされれば、世界は益々荒れる事となるぞよ。
されど、何事も無く現の世は、変わらぬから、やむを得ず🌀🌀(うず)を巻かせ、荒事の節を越さねばならぬのであるぞ。
神が現の世に荒事を起こし災をもたらすので無く、この三千年、凝り固まった人間の利己主義の思凝りが、くだけて消えてゆく為、ぶつかり合い渦が巻くのであるぞ。
中国とアメリカが睨み合い、今か今かと出番を待ちておるロシアであり、大国は虎視眈眈と世界の制覇をねらっておるが、神代の始めから、世を保つには、足らざるは、おぎない助け合わねば人の世は成り立たぬと四九三(しぐみ)てあるのであるぞ。
睨み合いつつでも和が保たれておる内は良いが、目から火花が散り争いとなれば、一国で世界を自在にするような事は許されず、戦争を続ければ、その末、共倒れとなるのであるから、世界の国々の頭は、よほど頭を冷やして、これからの道を考えねばならぬぞよ。
武力や金力、何程つぎ込んでも世界一人じめにはさせぬぞよ。
我が我がのやり方を押し進めば世界は行きづまりてしまうぞよ。
この年は、中国のオリンピックを開く予定もあり、中国もしばらくは、おとなしくいたすであろうが、その後、中国が世界を自在にいたす等と思い上がれば、内から割れてしまうぞよ。
中国には覇国(注 覇国は、他を圧する権力を、持つ物が、治る国。中国は次々と覇者が替わっている。
さらに、鬼雷が、述べる。中華の歴史は、一重に征服にあり。日本の様に、天皇を奉じることは無き。たまたま、侵略征服した覇者を、天子皇帝としたのみ。中華の在り方こそ、我よしと、強い者勝ちの世の形代でありました。)の因縁がある事を忘れてはならぬぞよ。
さあ、二つに入(亀裂、ヒビ)のいりかけた世界を立直し和と結びてゆかねばならぬのが、日本の神々や、人民の大役であるぞよ。
今、世界に大戦を起こし核兵器を使うような事となれば、真に世界は滅びてるぞよと、先の大戦で辛い目にあい、原爆まで落とされて、戦争はしてはならぬと体感させてある日本である事、決して忘れてはならぬぞよ。
令和の世とは、霊和の世であると申してあるが、体主霊従(物主人従)の道をひたすら走り、物質文明は隆盛し、これまでに無い楽な世となりたが、このままで世が進めば地球も汚れ穢れ人類も住めぬようになる時が来るのであるから、体主霊従の世を霊主体従の元の世へ返し、天地万物共生の世といたさねばならぬのが霊和(令和)の世であるから、世界の国々も人民も、我一人では生きてゆけぬ事を真剣に考えねばならぬ、これからの世であるぞ。
それは、共産主義の如く、一つの思想に皆が率うやり方で無く、自然界の如く、それぞれが自分の身魂の使命を果たしつつ、色とりどりでありても、調和してゆく道であり、その導きは、木花開耶姫の神の働きであり、それぞれの身魂の花を咲かせ、実をつけさせるのも、この神の働きであるぞよ。
人民、神に生かされてあると申せ、活きてゆくには、それぞれの苦労もある。
それは、我が身の因縁の浄化であり、身魂磨きであり、世に起こる事も因縁浄化の為の出来事である事を知り、苦しき中にも心を鎮め、希望を忘れす歩みて行けよ。
さあ、時の流れに舟浮かべ時津の風を帆に受けて、進みゆく人生航路じゃ。
常々に惟神霊幸倍坐世、祈りを忘れず歩みゆけば、御魂の親神、無難とはゆかずとも、大難を小難といたし守るぞよ。
さあ、時津の風に松籟さわやかな、天橋立真名井ヶ原、世の元の神、立ち給ふ。
富士と鳴門は艮坤の道、熊野の道は乾巽の立直しなる光の道。
今今今を大切に一歩一歩と進むのじゃ。
世界少し貧しくなるとも、辛抱忘れず、誠の道を歩もうぞ。
慈しみの心、忘れなよ。
言霊神也 ン。
令和四年一月九日 龍華斎修聖拝写。