南の国の会社社長の「遅ればせながら青春」

50を過ぎてからの青春時代があってもいい。香港から東京に移った南の国の会社社長が引き続き体験する青春の日々。

留守をしてすみません

2006-04-06 02:00:12 | 故郷
ご心配をおかけしました。私はどうしてしまったのかとご心配なされた方もおら
れたかもしれません。何とか無事に生存しておりますのでご安心ください。

実は先週の木曜日の夜の便で日本に行き、昨夜戻ってきました。先週の出かける
ぎりぎりまで、仕事が立て込んでいて、ブログに留守をすることを書くこともで
きませんでした。成田から東京経由で愛知県の田舎に帰って、法事に出席してき
ました。全然時間がないこともなかったのですが、ブログをアップする気力がな
く、気付いたらシンガポールに帰ってきていました。

日本に着いたら春でした。東京はすでに桜の花が満開で、愛知県のほうはもっと
すごいかなと思ったら、まだ咲き始めという感じで、東京よりも遅くなっていま
した。田原市の滝頭(たきがしら)という山の麓の場所に桜の名所があります。
ほとんどの木がまだぼちぼち咲き始めたばかりという感じで、かろうじて咲いて
いる木を見つけて写真をとりました。上の写真がそれです。

母が亡くなって、7日毎にお寺のお坊さんが来て、お経をあげてくれます。私は
これまではパスしていて、今後も49日まで行く予定がないので、家でのお経には
一度しか出られないということになります。親戚の人も何人か来てくれました。

土曜日の午後、父がお世話になっている海のそばの施設に行きました。弟と一緒
に行ったのですが、父は以前よりも元気になった感じでした。ちょうどみんなで
ゲームをしているところだったので、待っていたら歩いて探しにきました。私た
ちを見てすぐにわかったので、何だかしっかりしてきた感じです。

私は、新井満さんの「般若心経」の本を持っていってあげました。父は昔から
お経が好きだったので、読めるかどうかわからなかったけど、置いといてほしい
ということだったので、表紙に名前を書いて置いてきました。はたして読んでい
るのでしょうか?

豊橋のインターネットカフェに行き仕事をしました。土曜日の夜もそこで仕事を
していたら、東京にいる下町娘からメールが来て「どうして帰ってきてくれない
のか」というようなことで、ちょっとした喧嘩になってしまいました。

心配なので、翌日の日曜日、大急ぎで東京に帰りました。下町娘に電話をしてみ
たら、「怒りは一日も持続しなかった」ということで、すんなり仲直りでした。
雨が降りそうなお天気でしたが、千鳥が淵に桜の花を見に行きました。長年、
東京にいたのですが、千鳥が淵に行ったのは初めてでした。その見事な桜に感動
でした。田舎の桜とは比べものにならないほどの巨大な桜の木でびっくりでした。

月曜日は朝から会社に行って、一日だけ忙しく仕事をしました。そして火曜日の
夕方の飛行機でシンガポールに帰ってきたというわけです。滞在中に3月が4月に
なり、多くの会社で新年度が始まりました。うちの会社は6月末締めなので、
関係ありませんが、日本はフレッシュマンが街に溢れていて、4月だなあという
感じでした。3月末、シンガポールから日本に来る飛行機は満員だったのに、
4月の頭に日本からシンガポールに行く飛行機はかなり空いていました。夕方の
空港はびっくりするほど閑散としていて、パスポートのところも全く列がなかった
のにはびっくりでした。

帰ってきてから一つ事件がありました。シンガポールに入国しようと思ったら、
エンプロイメントパスを入れていたパスポートカバーがないのです。きっとどっか
にしまい込んでしまったのだろと思って、入国書類を書いて入国しました。
で家に帰ってきて探したのですが、ないのです。おまけに日本の携帯電話もない。
日本の携帯電話は飛行機に乗る寸前まで確かにあったので、なくしたとすると
飛行機の中かと思ったのですが、すでにその時は夜中の3時くらい。翌朝電話し
ようと思いながら寝たのです。

翌朝、シンガポール航空の遺失物のセクションに電話しました。そしたら何と
あったのです。さすがシンガポール航空!いつ取りにくるのかということだった
ので、今日の昼に行くからということで、取りに行ってきました。

パスポートカバーは革製のもので、マイレージのカードと、労働ビザのカードが
入っていました。日本の携帯電話には、日本のマンションの鍵もついていました。
亡くしたらどれも再発行するのに手間取るものばかりなので、見つかってほっと
しました。一度なくしたものが出てくるという経験を何度もしているので、感動
の度合いが少なくなってしまっているのが問題ですが、これは神に感謝しなけれ
ばならないほどの出来事です。とりあえずめでたしめでたしです。