駐車場の片隅にひっそりと咲いている花があった。殺伐とした気持ちを和らげ
てくれるようなそんな花だった。出かけるときは、一日の無事を祈り、帰って
くるときは、一日が無事だったことを祝福してくれるようなそんな花だった。
今、このブログを書き出したところで、社員から携帯電話にショートメッセー
ジが入った。おじいさんがなくなったという知らせ。自分の母が亡くなったこ
とで、人の悲しみが今になってよくわかる。さっそくお悔やみのメッセージを
入れておいた。
何だか最近いろんな出来事がある。テレビドラマのように出来事が重なる。
忌引きは何日とれるのかと質問が入った。たまたま別のスタッフの契約書を
持っていたので、わかったが、こういうときに手元に何も資料がないと答え
られない。社長業は、こういうこともあるので大変だ。
今日の午前中NHKで、「世界ふれあい街歩き」のシンガポール編を
やっていた。テレビカメラを通してみるシンガポールの町並みの何と美しい
ことか。リトルインディアでの花売り屋台のインド人の老人が最後のシーン
だった。ヒンズー教では、いろんなお祈りで花を使うという。彼はインド
生まれだが、自分がシンガポール人であることに誇りを持っていた。
「シンガポールは大好きだ」とその老人は言っていた。
このブログはさっき一度書いてアップしようとしたら、間違えて消えてし
まった。同じことは書けない。忘れてしまって書く事ができない。
ふるさとの渥美半島は、花が有名だ。一年中、温室栽培で菊の花を出荷して
いる。「電照菊」といい、渥美半島が日本有数の菊の産地になっている。
母がなくなった3月の初旬は、黄色い菜の花が一斉に咲いていた。菜の花が
田原市の市の花だということは後で知った。火葬場の駐車場には水仙の花が
咲いていた。もうあのへんの山は今頃は桜が満開なのだろう。母が亡くなる
二日前に、弟と一緒に田原市の滝頭の公園に行った。道ばたは桜の木が並ん
でいて、道路も駐車場も奇麗になっていた。
春になって、桜も咲いてきたし、いろんな花が咲いてきたので、母は喜んで
いるのかもしれない。「私は一番いいときに死んだだねえ」と言っている
母の声が聞こえるような気がする。
てくれるようなそんな花だった。出かけるときは、一日の無事を祈り、帰って
くるときは、一日が無事だったことを祝福してくれるようなそんな花だった。
今、このブログを書き出したところで、社員から携帯電話にショートメッセー
ジが入った。おじいさんがなくなったという知らせ。自分の母が亡くなったこ
とで、人の悲しみが今になってよくわかる。さっそくお悔やみのメッセージを
入れておいた。
何だか最近いろんな出来事がある。テレビドラマのように出来事が重なる。
忌引きは何日とれるのかと質問が入った。たまたま別のスタッフの契約書を
持っていたので、わかったが、こういうときに手元に何も資料がないと答え
られない。社長業は、こういうこともあるので大変だ。
今日の午前中NHKで、「世界ふれあい街歩き」のシンガポール編を
やっていた。テレビカメラを通してみるシンガポールの町並みの何と美しい
ことか。リトルインディアでの花売り屋台のインド人の老人が最後のシーン
だった。ヒンズー教では、いろんなお祈りで花を使うという。彼はインド
生まれだが、自分がシンガポール人であることに誇りを持っていた。
「シンガポールは大好きだ」とその老人は言っていた。
このブログはさっき一度書いてアップしようとしたら、間違えて消えてし
まった。同じことは書けない。忘れてしまって書く事ができない。
ふるさとの渥美半島は、花が有名だ。一年中、温室栽培で菊の花を出荷して
いる。「電照菊」といい、渥美半島が日本有数の菊の産地になっている。
母がなくなった3月の初旬は、黄色い菜の花が一斉に咲いていた。菜の花が
田原市の市の花だということは後で知った。火葬場の駐車場には水仙の花が
咲いていた。もうあのへんの山は今頃は桜が満開なのだろう。母が亡くなる
二日前に、弟と一緒に田原市の滝頭の公園に行った。道ばたは桜の木が並ん
でいて、道路も駐車場も奇麗になっていた。
春になって、桜も咲いてきたし、いろんな花が咲いてきたので、母は喜んで
いるのかもしれない。「私は一番いいときに死んだだねえ」と言っている
母の声が聞こえるような気がする。
ご無沙汰しています。その間にお母様がお亡くなりになったとのこと、ついさっきここへ来て知りました。心からお悔やみ申し上げます。お疲れになったことでしょう。あるいはこれから疲れが出てくるのかもしれませんね。どうかお体に気をつけて。
覚えていらっしゃるかどうか、ぼくは大学に入った直後の四月八日に母を亡くしました。ですからIさんとお会いしたのはその直後だったわけです。一人っ子で典型的な母親ッ子だったから大きな衝撃を受けていたはずなのに、大学の4年間もそのあとも案外けろっとして過ごしていたような気がします。
ところが中年になって、ぼくは母の死に立ち戻るようになりました。20数年かかってようやく我に返って、母の死骸を眺め、弔い直そうとしているかのようです。それまでぼくはどこでなにをしていたのか。去年ぼくは母が死んだのと同じ年齢に達しました。同時にぼくは人生を大きく変えたわけですが、そのふたつは必ずしも無関係ではなかったような気がします。
去年の四月、アサヒ・コムに掲載した「母に」と題する詩のURLを添えました。母の死に捧げたこの詩を、今日はIさんに捧げます。
今入院中。幸い、命拾いをし、元気に回復に向かっているそうですが・・・
母もその3時間前まではけらけら笑って元気だったんですよ。。。
私も気が動転しましたが、現在の状況を聞き安心しました。なので、来週でもいいということ、仕事がひと段落してからにします。
ムッシューがおっしゃるように、親孝行できる間にしないと、後悔する・・と言うことですよね。ひやっとしました。。。
なので、来週末に帰国することになったので、いったいいつごろ名刺をお願いできるのでしょうか・・・と心配になったよ。
つばきさま
こんにちは、お母様心配ですね。
実は私の父も数年前に心筋梗塞で入院しました。
幸い父も元気に回復して今はぴんぴんしています。
とは言うものの、本人も気をつけていますし、
私もその時は必死に神頼みなどもして父の回復を願いました。
親はいつまでも生きているもの。。。と思ってしまいますが、いざ倒れたりすると本当に悲しくなります。
お母様、どうぞお大事に、そして元気に回復されますようお祈りしていますね。
ダーリンのお母さんが亡くなって、親を亡くす悲しみを知りました。
ダーリンには私の親も大切に思ってもらって本当に感謝しています。
お互い親孝行しなくては・・・ですね。
つばきさま
スミマセン、追伸です。
今、ダーリンはすご~く忙しくて、お仕事上必要かと思いますが、
名刺の件、少しだけ待っていただければ嬉しく思います。
その変わり、シンガポールへ行った際は、
お店が忙しい時は下町娘が出動してお手伝いしますので・・・いつになるか分かりませんが
singaporesling88@mail.goo.ne.jp
で受け取れると思うのですが、一応トライしてみてください。