南の国の会社社長の「遅ればせながら青春」

50を過ぎてからの青春時代があってもいい。香港から東京に移った南の国の会社社長が引き続き体験する青春の日々。

香港で行われた北京オリンピックの馬術競技

2008-08-23 08:03:55 | HONG KONG
香港の空港に飾られていた北京オリンピックの馬術競技の
キャラクターです。北京オリンピックの馬術競技だけは遠く
離れた香港で開催されていました。中国は動物検疫で時間が
かかり、さらに設備的にも整っていないというので、香港で
馬術だけが行われることになったのだとか。

オリンピックの開催前に香港に台風が来て、馬術競技が終了
した翌日に再び台風が来て、香港の馬術競技はみごとに二つ
の台風に挟まれる形で無事にスケジュールを消化しました。
ちょっとでもずれていたら大変なことになっていたでしょう。

香港の街は、北京オリンピックのとくに馬術競技を盛り上げ
るためにがんばってたのですが、空港でこんな看板を見かけ
ました。

さきほどと同じキャラクターがイラストで描かれています。
で、問題はその下に書かれていた英語の言葉。Equestrian?
正直言って、これまで使ったことも、聞いたこともない単語
でした。これひょっとして「馬術」という意味の英語?
馬術だと"Horse Riding"とか”Horse Race"のように"Horse"
という単語を期待するのですが、この「エクエストリアン」
という聞き慣れない単語。

辞書で調べてみました。たしかにこの"Equestrian"というの
は「馬術」という意味です。語源は、馬を意味するラテン語
の"Equus"(エクウス)から来ているようです。そういえば、
私が大学生の頃、ピーター・シェーファー原作の『エクウス』
という演劇が話題になっていて、大学の小劇場で上映された
その作品を見に行ったことがありました。そのお芝居は劇団
四季でも上映されていたようですね。ちなみにストーリーは
こちらです。

さて、香港で行われた馬術競技ですが、日本選手の成績は
あまりぱっとしませんでした。しかし話題を呼んだのは、
67歳という最年長で馬術競技に参加した法華津寛さん。
1941年生まれのこの人は、1964年の東京オリンピックにも
出場していたのですね。北京オリンピックまでの44年の間は
その名の通り「補欠」だったり、馬の検疫でひっかかったり
で出場できなかったようです。44年ぶりのオリンピック出場
というのはそれ自体オリンピックレコードなのですが、彼は
もちろん日本選手団の中でも最長老、馬術競技出場選手の中
でも最長老でした。

これ以上の年齢の選手は過去にはいないだろうと思っていた
ら、1920年のアントワープ大会でオスカー・スパーンという
選手が72歳で射撃の銀メダルを獲得していたのだとか。

馬術競技の出場の女子選手の中では、八木三枝子選手が58歳
で最年長。ちなみに馬術競技は、男女の区別がない唯一の種目
で、年齢的にも高年齢でも不利とはならない種目です。他の
種目は、中国やアフリカ勢が目立ちますが、この競技に限って
は圧倒的に欧州勢が有力。馬場馬術個人自由演技で金メダル
を獲得したのはオランダ人の女性のアンキー・ファンフルンス
フェン選手でした。この選手、シドニー、アテネ、そして北京
と三連覇とのこと。本当に性別は関係ないんですね。

日本選手は、馬術には向いていないのかな、と思ったら、馬術
の金メダル選手が過去にいたのですね。バロン西こと西竹一。
1932年のロサンゼルスオリンピックでは、愛馬ウラヌス号と
ともに馬術大障害飛越競技に参加し、金メダル獲得。快挙でし
た。この西さん、実は硫黄島で戦死しているのです。

映画『硫黄島からの手紙』をご覧になった方は覚えておられる
かもしれませんが、井原剛志さん演ずる西竹一中佐がこの人な
のです。映画の中でも馬に乗っているシーンが出てきますが、
負傷したアメリカ兵の若者に、自分がロサンゼルスオリンピック
でメダルを穫った人間だと告白したり、アメリカの若者の母親
が書いた手紙を読み聞かせるシーンが印象的です。目を負傷
した彼が洞窟で自決してしまうのは、何とも残酷ですが。

今うちの会社の仕事で、香港でCMを制作中ですが、その主役が
偶然にも馬。撮影はすでに終わり、今最後の仕上げの最中です。
撮影では、スタジオに作った円形馬場で、前足を上げる演技を
させようとしたら、一度失敗して、それから後はかなり恐怖感
を持ってしまってうまくいきませんでした。馬って本当に
繊細なんだなあとその時思いました。しかし、馬の姿は美しい
ですね。今回、何時間も近くで眺めていてそう思いました。