大学のワンゲル同期で年に数回周り番で、誰かの家に集まっていた。
それがコロナ禍になってリモートお茶会(飲み会?)に変わって……。
それでも去年は4月と9月にTさん宅やMちゃん宅に集まったりしていた。
今日はちょっと趣向を凝らして、迎賓館赤坂離宮見学に行って来た。
たまたまMちゃんのご主人が迎賓館赤坂離宮で、ガイドの仕事をされていたのだった。
今日は私達5人の為に、特別専任ガイドをやってくださったわけ。
四ツ谷駅に集合し、ユリノキの並木通りを歩いて、いざ迎賓館赤坂離宮へ。
話には聞いていたが迎賓館に入るまで、今日は長蛇の列で40分待ちだった。
空港のセキュリティチェック同様の厳しい荷物検査あり。
ようやく解放されてT氏の案内の元、本館内へ入場できた時11時半になっていた。
本館内は一切写真撮影が禁じられていたし、国宝なので一切物に触れる事も禁止。
なので入場の際には立派なパンフレットが貰えた。
迎賓館は明治初期(M42年)に建築・美術界の総力を結集して、東宮御所として建設された国宝。
また外国からの賓客を接遇する社交の場でもあり。
正面玄関・大ホールはじめ、朝日の間、彩鸞(さいらん)の間、花鳥の間、羽衣の間と見てまわった。
豪華絢爛たる部屋の装飾やシャンデリア、天井画等、目を見張った。
今までフランス・ベルサイユ宮殿やシュノンソー城、
ドイツ・ノイシュバンシュタイン城、リンダ―ホーフ城等たくさん見て来た。
そんなヨーロッパの城の内部の装色に引けを取らない位立派だった。
どの部屋にも西洋の建築様式の中に、日本的要素がどこかに散りばめられていたし。
たとえば日本刀とサーベルという具合に。
T氏の博識ぶりを聴きながら驚くばかり……。
他の見物客も我ら5人の傍で耳をそばだてて、T氏の説明を聴いていたりしてた。
正面玄関の鉄扉、上部に菊花と扉左右に桐の紋章あり。
大ホールのイタリア製大理石、8本の大円柱にもビックリ仰天。
高校の時だったか柱の建築様式が3種類あって、ドーリア式→イオニア式→コリント式と習った。
なんで未だに覚えているか?、先生がこの柱の様式はドイコ?と覚え方を教えてくれたから。
佐賀弁でどいこ?はどれ?という意味で……。
朝日の間は部屋の名前の由来の天井画とシャンデリアが印象的だった。
燭台や長椅子はフランスから輸入された金糸を使ったそうで、お金がかかっている~。
彩鸞の間は大鏡が印象に残っている。
10枚もの大鏡によって奥深い空間を作り出していた。
またT氏が話してくれなかったら気付かなかったが、椅子の脚がライオンの脚の形だったり。
花鳥の間は晩餐会が催される部屋だそう。
割と落ち着いた雰囲気の部屋だったが、驚きだったのは壁に七宝30枚が飾られてた事。
たとえばヤマガラに芙蓉やアカゲラに檜、鳩に紅葉等。
また天井にも油彩画が24枚あり、上ばかり見ていて首が痛くなった部屋。
羽衣の間は私が一番気に入った部屋。
オーケストラボックスがあって、壁には和洋の楽器のレリーフ。
舞踏室とかつて呼ばれていた部屋だそうで、今でも年に数回演奏会がある事も。
本館を約1時間かけて見てまわり主庭に出たら、創建当時からの噴水があった。
アメリカのフォード氏の記念樹がハナミズキで、ゴルバチョフ氏がフエボダイジュの木。
初めて見るがフエボダイジュの木に小さい黄色い花が咲いていた。
本館から前庭へ行って、本館を前から横からとくまなく見てまわり。
中門を通って正面出口へ行った頃にはごご1時半になっていた。
迎賓館赤坂離宮内部と外の庭の散策に2時間程かかったわけだ。
だんだんと遠ざかる迎賓館赤坂離宮を振り返って。
もうお腹ペコペコでガラス張りのレストランでランチタイム。
ワンゲルらしく(?)昼間からビール付で。
話が途切れる事なくおやつタイムもしっかり。
3時間も長居してしまった。
明日から雨になりそうだという今日の晴れ間、ワンゲル時代雨女だった私なのに……。