自然のシャワーを浴びながら:パート2

定年後の主人と晴歩雨読の日々。同じタイトルのニフティのブログ の続きです。

房総半島・富山

2019-01-31 | 登山ハイキング
山好きなら誰でも知っている田中陽希は100名山も200名山も300名山もないのに最近房総半島を歩いて1周した。
確かに房総半島には高い山もないが富山(とみさん)や伊予が岳などの登りたい山がある。
伊予が岳はバス便が悪いから富山へ登ることにして館山にやってきた。
館山駅から岩井駅にて下車し車道を歩くこと40分程で登山口の福満寺に到着。
途中の道すがら鉄塔のある双耳峰をもつ富山が見えていた。
富山は滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」の舞台となった山だそうだ。
また房総半島で2番目に高い山で、特に北峰は十一州一覧台と呼ばれ見事な展望の山。
近くにはスイセンロードもあるようだが、至る所に水仙が咲いていて春を感じさせてくれた。
福満寺からスタートの表参道は1合目毎に道しるべが立っていた。
面白いことに4合目から5合目まではずっと下りだけの道で、5合目から先は階段状の登りが続いた。
1時間ほどでまず南峰342mに到着したが、あいにくと展望は全くなし。
続いて尾根歩きで北峰へ向かったが、とても素晴らしい展望が開けていた。
てっきり山頂だと思ったいたらまだ先だった。
途中には愛の鐘があったが、平成11年に皇太子ご夫妻が登られて以来、愛の山としてカップルが多く登る山になったとか。
そんな山とはつゆ知らず……。
展望台が造られている場所に到着したので山頂だと思っていたが、実はここでもなかった。
でも展望台まで上がったら館山湾が眼下に望めたが、富士山は見えず残念。
目を移すとさっき登ってきた南峰と太平洋が見渡せた。
山頂を示す道標がないと探していたら、も少し行った所にあった。349,5mの富山山頂。
今年一番のスミレの花を発見し、春が確かに近づいているのを感じた。
下山は裏参道を使ったが、あっという間に下りて車道歩きが長かった。
途中伏せ姫籠窟(ふせひめろうくつ)という史跡があり、一体どんなところなのかと長ーく続く石段を登って行った先に……。
なーんだ洞窟じゃないかと。
でもこの洞窟は伏姫と八房がくらしたとされる洞窟らしいが、伏姫伝説を知らない私には……。
岩井駅まで戻り今日のハイクは3時間半で、昨日とは違って風がなくてよかった。
帰りは電車でのんびりと青海原を見ながら帰ってきた。
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房総半島・館山

2019-01-31 | 国内旅行(温泉)
寒いこの時期暖かさを求めてここ数年房総半島や伊豆半島へ。
一昨年鴨川へ行ったが今年は館山へ行き、崖観音にお参りしてきた。
バスタ新宿から高速バスで一路館山へ向かうと、海ほたるから後方に富士山がぼーっと見えていた。
館山駅からバスで15分くらいの崖観音のある大福寺に行ったら、バス停からでも遠くからでも崖の上の観音堂が見えていた。
高い場所にあるので覚悟していたが、思ったより階段が少なくてなーんだって感じだった。
船形山の崖に建つ朱塗りの観音堂まで上がると、館山湾が一望だった。
パワースポットだけあって寒い中外人さん達も来ていた。
とにかく風がきつくて長居できなかった。
再び館山駅に戻ったが、館山駅から海を臨むとちょっとスペイン風の建物と街路樹が南国ムード。
あまりの風の強さに出歩く気にもなれず早々に海の傍のTホテルへ。
何でも館山は午後から風が強いことが多いらしい。 館山温泉で冷えた身体を温め、やっぱり冬は温泉が一番。
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原町田7福神

2019-01-27 | 登山ハイキング
1月は毎年のように7福神巡りをしているメンバー5人で、今年は原町田7福神へ行って来た。
去年は八王子7福神で距離が長かったし、私と相棒はすでに13か所の7福神巡りをしているから、今回はまだ行ったことがない7福神にした。
まず地図をゲットして10時過ぎから賑やかな街中を歩きだした。
町田ってこんなに町だった?と人の多さと飲食店の多さに驚きながら、まず福禄寿を参拝。
お寺なしの福禄寿だけがポツンと設置してあったのにはちょっとガッカリ。
続いて線路を渡って宗保院にある布袋尊へ。
このお寺は立派だったが周りはビル群で味気なかった。
次なる恵比寿神は町田天満宮の中にあって、この神様も寺がなくて神社に居候というもの。
再び線路を渡って向かった寿老人は勝楽寺で、一番印象的なお寺さんだった。
というのも門構えからして由緒あるお寺に見えたのに、中に入るとエレベーター式の9階建て納骨堂があった。
今からの時代お墓よりこんな納骨堂が流行るのかもしれない。
一番遠い弁財天も地図では遠そうに見えたけど思ったより近くて、ここも小さな母智丘(もちお)神社に間借りしている神様だった。
再び街中に戻って賑やかな原町田中央通りの毘沙門天を見つけた。
本当にお寺や神社にあるのではなかったので、えっというような街角に立っていた。
7つみんな探してお参りしても2時間もかからず、駅近でお昼を食べて、さて4時の居酒屋オープンまでどう過ごす?か協議。
みんなまだ歩き足りないというので、八高線小宮駅で下車して多摩川沿いに拝島まで歩くことに決定。
多摩大橋を渡る時は冷たい風がモロ当たって寒かった。
日曜日にチャリできた大神公園も通って川上に向かって2時間ほど歩いた。
うまい具合に4時頃に拝島のいつもの居酒屋に到着して乾杯!
私の感想:平成20年に町田に作った7福神だそうで、何だか無理無理作ったようだった。
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銀河を渡る

2019-01-24 | 日記
お天気がいいとやることが多くてなかなかまとまった時間が取れない。
雨でも降ればそれこそ「晴歩雨読」で長編ものでも読めるのだが……。
というわけで今読んでいるのは沢木耕太郎のエッセイ集。
エッセイだから目次を見て自分が心惹かれたタイトルから読み始めた。
「白髭橋から」というタイトルがあって、たまたま先日隅田川テラスを歩いた時、白髭橋の手前の橋を渡り白髭橋まで行かなかった。
なのでちょっと気を魅かれて読み出すと、山野井康史さんと妙子夫妻の事が書かれていた。
偶然にも随分前だが元ワンゲルのコーチが山野井氏と懇意の中で、彼の講演会に相棒と行ったことがあった。
山野井ご夫妻はクライマーで世界の名だたる山に登り、二人共凍傷で足や手の指を失っている。
特に妙子夫人はドラえもんのような手になってしまっていた(10本全部が付け根からない)
そんな彼らの壮絶な登攀を沢木氏が本にした「凍」を読んだこともある。
「銀河を渡る」は第5章まであり、それぞれ20編くらいずつのエッセイがたっぷりと収められている。
次に選んだタイトル「心を残してモロッコ」はモロッコ旅行を思い出しながら読んだ。
あちこち放浪の旅をしてきた沢木氏のエッセイらしく、目次を見てるだけでもアテネとかマカオ、ニューヨークなど出て来る。
空いた時間にちょこちょこと気になったタイトルから味わって読み進めようと思う。

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凧あげ大会

2019-01-20 | イベント
去年の内からこっちゃんが凧あげ大会にばあばも来てと電話してきていた。
ならば行かぬわけにはいかぬというわけで、昭島の大神公園までの約9キロをチャリで行って来た。
多摩川沿いのサイクリングロードは、以前しまなみ海道75キロ走破の練習に何度か走ったことがある。
朝からサイクリストやウオーキングしている人たちが、意外や意外、結構いた。
東京地方は去年12月からずっと雨が降っていなくて、多摩川の水もすごーく少なかった。
睦橋近くの桜並木はよくお花見する場所だが、もう蕾ができていた。
思ったより早くて1時間くらいで大神公園に10時には着いてしまった。
こっちゃんはーちゃんはまだ到着せず、30分くらいウオーキングしながら待った。
こっちゃんは自分の新しいチャリで、はーちゃんはまだ補助輪が付いていて、ママのチャリの後ろに乗ってやってきた。
10時半からの凧あげ大会は昭島市の小学校別に受付して、市長や各小学校の校長の挨拶などが……。
この日あいにくと風が弱くて、初めて自分で作った凧をあげたこっちゃんは、うまく風に乗れなくて失速。
はーちゃんはこっちゃんが折り紙で作ったというチビ凧でも、嬉しそうに走って凧あげ気分。
市内の3つの小学校の生徒と保護者が集まって、親子であーでもないこーでもないと飛ばしていた。
凧の病院があって専門家がバランスが悪いとか、いろいろアドヴァイスしてくれていた。
私も試しにやってみたがそんなに簡単なものじゃなかった。
とにかく風任せだから風が吹かないことには話にならず……。
河川敷だからもっと風があると思っていたのに……。
というわけで1時間半ほどしてもうお開きになった。
大会最後に6年生の子たちが審査員からうまく凧をあげていた子なのか、凧の絵がうまかった子なのかよく分からないが、表彰されていた。
そしてみんなでうどんを食べて解散だったが、昼過ぎから風が出て来てまた凧をあげだした子供もいた。
昔は凧揚げというと男の子の遊びのように思っていたが、意外にも女の子の参加が目立っていた。
それもイノシシの絵がうまい子とか、やはり絵が素晴らしい凧があがっているのが見ててよかったかも。
私はまた多摩川沿いの9キロの道を羽村に向けて戻ったが、子供の頃やらなかった凧あげができて、それなりに楽しかった。
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