自然のシャワーを浴びながら:パート2

定年後の主人と晴歩雨読の日々。同じタイトルのニフティのブログ の続きです。

月間最多

2021-01-31 | 登山ハイキング
今日で1月も終わるが、今月は浅間岳へ21回登っていたから、今までで最多記録だ。

稜線上を歩いていたらガサゴソ音がしていたので、何だろうと音のする方を見たらメジロだった。
落ち葉をひっくり返したりして、何だか楽しそうに見えたが、餌でも探していたのかなー。
野鳥に詳しいEさんと歩いていると、ちょっとは鳥さんに興味が湧いて来る。
でも動きが速くて写真に撮るのはもちろん、どこにいるのかも発見できない事も。
でもでもたまたま写真が撮れたという事でハッピー。

235mの山頂とは思えないほど、富士山やちょっと下の神社からは日光方面の山が望める。
山頂から小作方面の尾根道を向かう朝もあれば
山頂から福生方面への尾根道を歩く朝もある。
お天気がよければ迷わず、眺望が得られる福生方面へ行って富士山を眺めて戻る。
明日は習い事で来れないという日は、トレーニングを意識して小作方面へ。
というのも階段が多くて(48段 62段 89段)いい運動になるから。

最近山頂仲間で話題騒然だったのが、あの白い雪を被った山の名前は?
浅間神社の展望台から見えるのだが、浅間山というグループと男体山というグループあり。
なかなか決着が付かなくて、Y氏は市役所の観光課に電話して聞いたという。
大方の見方では男体山ではないだろうか……という事で、一件落着。

今月は日課のように歩いたが、Y氏のように年間300日位登っている人に比べれば、足元にも及ばない。
けれども今年もコロナ禍が続きそうだから、足腰が弱らないようにせっせと登って歩こう!
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霞丘陵

2021-01-30 | 登山ハイキング
1月中に塩船観音寺にお参りしておこうと思った。
今日は去年コロナ禍中に何度かチャリで行って、塩船観音寺から霞丘陵へと歩いたコース。
珍しく相棒も行くというので、チャリは止めてバスで。
樹齢千年を越えた杉木立に囲まれた「花と歴史の寺」であり、また約2万本のツツジで有名だ。
相棒にとっては数年振りなので、本堂、薬師堂、阿弥陀堂など、みーんな片っ端からお参りしてまわった。
特にボケ封じのご利益のあるお堂では真剣に。
ツツジの頃は人が多くて落ち着かないが、今は富士山以外見るものもないし、コロナ禍でもあるし。
人もまばらで、坂道を登って行くと、お参り最後の観音様。
ツツジ山全体を見渡せる高い場所に、柔和な表情で立っていた。
高台にあるので、いつ行っても富士山がよく見えて嬉しい。
特に冬場はクッキリハッキリ。

観音様の裏手から霞丘陵ハイキングコースへ。
ちょっと歩くとゴルフ場越しに奥多摩方面の山が見えて来た。
さらに歩くと霜柱がビッシリの斜面で、おっかなびっくりでザクザク音をたてながら。
キーンと冷えた大気の中を歩いていたら、カナダのフェアバンクスにオーロラを見に行った時の事が蘇った。
昼間は夜に備えてゴロチャラしてたが、零下10度の中みんな(後輩3人と)でお酒を買いに行く事に。
まつ毛まで凍って来て、目玉がカチコチになりそうで、そんなの初体験だった。

途中から立正佼成会の敷地内になり、春は桜並木遊歩道があっていい感じ。
私は愛宕山グラウンドのゲートから、何度も来てるからすぐ左手からの山道コースに入って歩いた。
相棒は普通の並木道コースを歩いていたので、時々上から「お~い」と上から目線で。

ゲートの出口近くに希望の丘という表示があったので、気になって行って見たがガッカリ。
何歩も歩かないうちに、行き止まりになり希望の鐘があっただけ。

ゲートを出てからはいったん岩蔵街道に出て、さらに山道へと入って7国広場へ。
7国峠は青梅市と飯能市を結ぶ峠で、今日もハイカーはいなかったけど、サイクリストたちが数人いた。
とても広々とした広場でそこから薬王寺へと下りた。
そして峠下バス停から小作駅に戻った。
今日のハイクも2時間ちょっとで、12時前にはいつものように家に到着した。
ツツジで有名な2つの寺を結んで歩く霞丘陵ハイク、ツツジの頃には絶対行くべし。




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雨上がりの朝に

2021-01-29 | 登山ハイキング
コロナ禍で日課になりつつある浅間岳、今日は雨上がりの朝に。
滑らないようにと気を付けながら、周りにも気を配りながら歩いていたら、雨粒が陽の光を受けて。
先っぽに垂れ下がって、まるでイヤリングをしているような……。
他にも葉っぱのチリチリした細部にわたって、雨粒がビッシリと。
人間技ではない自然がなす技なり。
滅多に見られない自然美に見とれてしまった。
小作方面の森は歩く人が少ないからか、いろんな発見がある。

陶芸サークルで仲の良いNさんが「今日が一番若い日だよ」と最近よく話している。
だから今日という日を大事に生きようねといいたいのかも……。
確かに今日という日から、生きとし生けるものすべて、最終ゴールの死へと向かっているのだから。
それが生きとし生けるものの、自然界の定めなんだから。

自然の中を歩いていると自然に圧倒される事もある。
自然の中を歩いていると自然から教えられる事もある。
そして自然の中を歩いていると哲学的になったりもする。

新しい芽吹きや生え出した草木に出会ったり。
はたまた咲き終わって朽ちかけた花があったり、消滅していくキノコがあったり。
万物流転。
私にとって歩く事と同時に、森の中の変化を楽しむ事も大事だ。
だから一風変わった木とか探したり、ちょっとした発見が嬉しい。
だから山歩きはやめられない!
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自己満足の世界

2021-01-28 | 日記
男性には過去の栄光なんてものがあるようだが、今までほぼ専業主婦に近かった私にはそのようなものがない。
最近山道を歩きながら、考え事やら昔の事を思い出したりしている。
それだけたくさん生きて来たからなのか、はたまた年を取ったからなのか。

思い返せば自分の中では、よくやったと言えるイベントがいくつかあった。
奥秩父七峰縦走ハイキング大会(平成13年)がそれだ。
フルマラソンと同じ42,195キロの距離、それも7つの峰々を越えて歩く大会で過酷だった。
初めて参加した時はタイムアウトで山を下され、2回目の翌年は歩きながら食事をしたりして、10時間かけて完歩した。

多摩川50kmを1日で完歩した、多摩川ウオーキングフェスタ第2回(平成21年)も頑張ったと言える。
羽村の堰の玉川兄弟の像の前からスタートして、多摩川河口のガス橋近くのゴールまで8時間かかった。
翌年相棒たちと懲りずに31キロに参加して完歩したっけ。
山登りとは違った筋肉が疲労して翌日は大変だった。

2006年シンガポールに住みだした当初は、コンドミニアム内にプールがあって、毎日泳いでいた。
そのうち飽きて来て今度はコンドミニアム内のジムで走っていた。
でもベルトコンベヤーの上を走っていても景色は変わらないし、つまらなくなってきた。
そこで涼しくなった夕方から近くの公園や、カナールに沿った道を走りだした。
そしたらシンガポールマラソンがある事を知り、1年目に10キロマラソンに出場して完走。
2年目はハーフに出て完走した。
3年目にはフルに挑戦するつもりでいたが、帰国する事になり実現せず。
もしシンガポールで暮らしていなかったら、マラソンとは出会っていなかったはず。
帰国後も第7回南アルプス桃源郷マラソン(平成21年)など大会のいくつか走った。
でも今はハイキングオンリーになった。

山に関していえば私の中のベスト5はまず3776mの富士山(1996年)で、1回でご来光も拝めた。
そして剣岳、槍ヶ岳、穂高岳、標高第2位の北岳となる。
番外でマレーシア・ボルネオ島のキナバル山(4095、2m)登山も。
登ったのは相棒と、まだシンガポールに住みだして日も浅い2006年。
山頂途中の山小屋に宿泊して、翌朝ピーク目指して歩きだしたが、朝から雨だった。
ガイドが雨だったら行かないと言ってたが、そこをなんとかと拝み倒した。
ガイドなしでは登山の許可が下りないので、ガイドが見なかったことにすると言ってくれて。
というわけで途中からガイドなしで、二人だけでピークまで登ることになったが……。
メチャ嬉しかった!!
私にとって4000m越えの唯一の山がキナバルで思い出深い。

それから瀬戸内海のしまなみ海道約75kmを、Iさんとチャリで完走した事も。
2泊3日で観光を兼ねての走破だったけど、雨にたたられて……。
それでも楽しかった!

特に自分が何をしたわけでもないけど、ヨーロッパ大陸最西端に行った事も私の中では一大事。
2013年ポルトガル旅行の時のロカ岬がまさにそれ。
「陸尽き、海はじまる」と詠われ新世界を求め、未知の海へと繰りだした航海者たちの信仰心と冒険魂が
今尚脈打つ所」というのがロカ岬だった。
果てしないロマンを感じた岬だった。

日本一の富士山はやはり1合目から登ってこそ……とずっとこだわっていた。
1996年に登った時は5合目から歩き出し、山小屋に1泊して翌朝山頂へ。
その後はもっぱら富士山は眺める山になっていたが、2015年に1合目の富士吉田口から6合目まで歩いた。
これで1合目から山頂まで完璧に富士山を制覇したと言えるかなー。

どれもこれも自己満足に過ぎないけど、そんな自己満足の世界が持てて幸せかも……。
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世界地図を塗りつぶしながら

2021-01-24 | 日記
コロナを全く意識せずヨーロッパに出発したのは、2020年1月15日の事だった。
それが帰国した31日の成田空港では、地上勤務のスタッフみんながマスク姿だらけに変わっていた。
それからコロナに明けて暮れた1年。

片付けをしていたら地図が出て来たので、行った国を色鉛筆で塗りつぶしてみた。
私の最初の海外旅行は大学のワンゲル仲間5人とのアメリカ・カナダ2週間の旅行だった。
今でいう所の卒業旅行のようなものだけど、卒業してから2年後の事だった。

その後ドイツ・ミュンヘンに滞在中の8年間で、ヨーロッパのほとんどの国を廻った。
一番最初にドイツへ渡った時(1976年)はまだアンカレジ経由で、ものすごく時間がかかった。
滞在中はとても小さいリヒテンシュタイン公国、モナコ公国、サンマリノ共和国、バチカン市国、ルクセンブルク大公国などへも。
帰国後はワンゲル後輩たち3人とヨーロッパ、中国の黄龍、ニュージーランド、ネパールトレッキング、オーロラを見にカナダへ等。
シンガポール赴任の3年間は近場のアジアの国々、タスマニアなどへ。

相棒のリタイア後はペルー、家族5人でのヨーロッパ(ドイツがメイン)、次女の結婚式でみんなでニューカレドニアへ。
子供たちとは相棒がリタイアしたら、3人が生まれたドイツへ行こうという約束があった。
次女の結婚前には彼女と昔のユーゴスラビアの5カ国へ。
スロベニア、クロアチア、セルビア、モンテネグロ、ボスニアヘルツェゴビナの5か国。
しばらく相棒との旅行はブランクあり。
だけど相棒の母が101才で亡くなった後、相棒との旅行開始で北欧4カ国、バルト三国、アメリカ西海岸などへ。

ここ10数年では一番多く海外旅行をしたのは、今は長野県在住のSちゃん。
スペインのサグラダファミリアは建設途中を2回見ている。
だから完成したらもう一度見に行こうと言ってる。
主にヨーロッパの国々へ何度も一緒に行ったが、オーストラリアや地中海の島々へも。
日本が冬の時期に行くので、どうしても暖かいシチリア島、カプリ島、マルタ島、キプロス島などとなった。
エーゲ海に浮かぶ島も魅力的で、ミコノス島、ロードス島、サントリーニ島などは相棒と。

かれこれ長く生きて来た分、海外旅行で訪ねた国も59カ国になった。
果たして今年か来年には海外への旅の再開ができるだろうか。
世界地図を塗りつぶしながら思った。
1日も早く再開したいものだ。







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