自然のシャワーを浴びながら:パート2

定年後の主人と晴歩雨読の日々。同じタイトルのニフティのブログ の続きです。

ハロウィン

2021-10-31 | イベント
巷では様々なコスチュームに身を包んだ若者たちが溢れる日、ハロウィン。
でもそんなハロウィンの光景が見られるようになったのは、ここ数年来の話。
私が40数年前に住んでいたミュンヘンでは、ドイツ語でFasching(ファッシング)と言っていた。
今と同じようにみんないろんなコスチュームを着て、仲間内で楽しい1日を過ごしていた。

今でこそハロウィンの仮装は、悪い霊から実を守るためのものと分かっている。
でも当時は仮装の意味も分からぬまま、息子の幼稚園の今でいうママ友たちと楽しんでいた。
息子の仲のよかったダニエルがロビンフッド、ティナがピエロ、息子はベイビー。
そしてダニエルのママのドーリーが魔女で、相棒は……?
ミュンヘンの町に繰り出して、ファッシングの雰囲気を味わった思い出の写真。
相棒の会社でも毎年ファッシングが開催されていた。
私が参加できたのは子供が生まれる前の1回だけだった。
確か6時位から始まって、何と6時の朝食付きのパーティだった。
さすがに朝4時頃にはもうグロッキーで自宅へ退散したが……。

今でもドーリーとは年に数回、メールのやり取りや家族写真の交換をしている。
息子とダニエルの生年月日が一緒という縁(えにし)を感じて、今も尚繋がっている。
相棒の定年退職した年に家族5人でドイツ旅行の時会って以来、写真でしか会えていない。
もう一度ドイツに行って、当時の友人達と会って、再会の美味しいビールが飲みたいな。
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オカリナコンサート

2021-10-30 | イベント
今年5月から始めたオカリナ、初めてのコンサートの舞台に立った。
まだまだヨチヨチ歩きのオカリナサークル「あんだんて」のメンバー10人の晴れ舞台は快晴に恵まれた。

3歳からバレーを習っていたからか度胸が付いていて、舞台に立つと気分いいと感じていた。
それは二胡のコンサートでも同様で、大勢を前に演奏すると、言うに言われぬ快感を味わったものだ。
オカリナコンサートでも吹いている自分の音色に酔うというか、とにかくハッピーな気分になれた。
果たして聞いてくれていた人たちも、ハッピーな気持ちになって頂けたか……。
幸いすり鉢状のふれあいステージだったので、音響効果がよくていい音色の響きになったのでは……。
相棒が聞きに来てくれて撮った写真をアップ。
私もN先生のように独奏して、コンサートではなく登った山頂で、自分のオカリナ演奏に酔いしれたい。
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捨てられない写真

2021-10-29 | 日記
思いもかけず1週間という時間が与えられたので、有意義に過ごしたいと思った。
周りの友人達の中にはすでに写真を処分した人(遺影用を残して)もいたり。
そうだ! 私もメッチャたくさんの写真が詰まったアルバムを何とかしよう。(ライン川のパンフ)
ところがどっこい、見ているうちに走馬灯のようにいろんな事が思い出されて来た。
アルバム整理は年毎にバッチリできているのだが、アルバムの中の写真の処分ができず……。
とりあえず、ドイツ時代8年間のそれらを処分する事から始めた。(ライン川の地図)
アルバムに挟んでいた諸々のパンフレット、街の地図、泊まったホテルのパンフ、レストランのレシート等々。
想像以上の写真の多さに加えて、旅先での思い出のものがてんこ盛り。
それも嬉々として進まず……。(国際免許とドイツの免許証)
滞独8年の間に北欧4カ国と東欧以外、ヨーロッパのほとんどの国を旅した証だったから。
リヒテンシュタイン公国、モナコ公国、バチカン市国などの、メチャ小さい国への旅も捨てがたい思い出。
だが感傷に浸ってばかりはいられず、8年間の思い出をたったの2時間で闇に葬ってしまった。
そうだった! 私は過去を振り返らない女だった(自称)。
普段から物より思い出と言ってたが、その思い出までも、ものの見事に捨ててしまった。(JALでの帰国便のチケット)
でもヨーロッパの風景の中に溶け込んだ家族みんなの写真はまだ捨てられない。
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パズル

2021-10-28 | 日記
3番目がまだ1歳にならない時に帰国命令が出たので、帰国準備があまりできないままミュンヘンから戻って来た。
その為子供たちのオモチャなどはそのままバサッと、段ボールに詰め込んで持ち帰って来た。
暇に任せてボケ防止にとドイツのパズルをやってみたら、意外と楽しめた。
まずパズルの題材が日本とは違っていて、パズルに描かれた風景が懐かしかった。
上の子が幼稚園に通っていた頃、ドイツの子供たちと息子との色使いの違いに気が付いた。
たとえば地面だが我が子は茶色で塗り、ドイツの子は緑色だった。
なるほどほとんどの家の庭には芝生が敷かれていたからだった。
また太陽も我が子は赤でドイツの子はどの子供も黄色で描いていた。
そんな違いもものともせず育った息子だった。
ところが小学校1年で帰国後、しばらくは日本の教育に馴染めず困った。
というのもみんなで一斉に何かをするという事に、慣れていなかったからだった。
そんな事を思い出しさせたドイツのうん十年前のパズルだった。
孫達もこのパズルで遊んだし、そろそろお払い箱にしてもいいかな。
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1週間カンヅメ

2021-10-26 | 日記
秋空が広がっているというのに1週間もの間、旅行・運動・アルコール禁止とは、まるで牢獄。
今週予定していた霞ケ浦サイクリングも、ピンコロシスターズとの山もすべてオジャン。
嘆いていても仕方ないので今までの人生で、山との関わりについて振り返ってみた。
こんなに山が好きになったキッカケとか、思い出深く忘れられない山とか……。
記録ノート10数冊を紐解いて見たり、子供の頃の事を思い出したり…。
思うに山との最初の出会いは小学校のお別れ遠足にあるように思う。
卒業シーズンになると故郷佐賀・日の隈山(158m)に、1年の時から6年生まで登らされていた。
きっとみんなでワイワイ言いながら登って、景色を眺めお弁当食べて楽しかったのだと思う。
渓流釣りが趣味だった父の影響か、家族で佐賀県内の山を登るようにもなった。
春の基山(404m)での草スキー、唐津の鏡山(284m)からは雄大な玄界灘が見えた。
八幡岳や黒髪山、多良岳(996m)などにも登った。
天山には高校時代の友人達と登ったりもした。
高校時代山岳部があったが女はダメと言われた事が、大学に入ってワンゲルに入部したのかも知れない。
でも山岳部の飛び入り参加で長崎・雲仙岳に、樹氷を見に行った事は忘れない。
木々に積もった雪がダイヤモンドのようにキラキラと輝いていた。
結婚してミュンヘンに住んでいた8年間も、ドイツ最高峰はじめスイスの山々へ子供たちとお気軽ハイクをした。
帰国後3年経った1987年から記録ノートが始まっていた。
最初に登ったのは3歳の末っ子を連れての高水三山だった。(上2人は小学校)
以後結婚20周年記念・相棒と富士山、50歳の誕生日記念・相棒と雲取山など
ワイン1本をリュックに入れて、雲取山で祝ったのがつい昨日のようだけど……。
数々の山を登って来たけど印象深いのは、2000年の白馬三山縦走。
大学3年の時我らが学年が企画した夏合宿の白馬岳が、大雨で2日停滞しても登れずに撤退した。
その時の悔しい思いを胸に相棒と登り、ついでに杓子岳と白馬鑓ヶ岳を縦走した。
ノートを見ていたら思い出が次々と蘇って来た。
この際だから1週間かけて振り返って見ようと思う。




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