自然のシャワーを浴びながら:パート2

定年後の主人と晴歩雨読の日々。同じタイトルのニフティのブログ の続きです。

前菜盛りのお皿2点

2014-06-23 | 陶芸
月に2回の陶芸教室。いろいろあって休むことが多いのですが、本焼きに出していたお皿二枚が焼きあがっていました。
ともにたたらというやり方で作ったもので、前菜盛りなどに使う予定でいます。

白いお皿は家で飼っている金魚を描いたのですが、以前お皿を焼いた時は赤い色が出なくて茶色になって仕上がってきました。
今回も同じ下絵具を使っているのに赤い色がちゃんと出ていて金魚に見えて、魔訶不思議。
欲を言えば藻の緑色もちゃんと緑色に出て欲しかった……。
下絵を描いた後、絵が生きるように透明3号を吹き付けて焼いたものです。

もう1枚は粘土は赤土で釉薬は松灰を吹き付けたのですが、イメージではもっとメリハリがつくように吹き付けたつもりでしたが……。
模様ももっとはっきりと出したかったのですが……。
でも柔らかい縁取りのフォームは気に入っています。
ただでさえ食器棚がいっぱいなのにこんなかさばる物ばかりを造って……と言われそうです。
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2014-06-23 | 日記
亡くなった父へのお悔やみの気持ちで、友人が花を送ってくれました。
思ってもみなかったのでちょっとビックリしました。
ワンゲル後輩のFさんとIさんからで、彼女らとはもう長い付き合いになります。
確かに生花は人の心を癒してくれる効果があると思います。
旧友に感謝です。
天国の父へも思いが届いたことでしょう。
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お別れ

2014-06-20 | 日記
主人の父 私の母 そして今回の私の父と 3回目の葬儀を終えて東京へ戻ってきました。
肺水腫と感染症によって肺炎になり、結局敗血症で亡くなったという知らせを受けた時には、朝一の飛行機のチケットを取っていましたが、間に合いませんでした。
救急センターに入院して2週間足らずでした。
佐賀にいる弟も妹も臨終には間に合わなかったと聞き、ひとりで寂しく旅立っていった父が哀れです。
母が突然死して10年。
半分の5年近くは医者の弟が自宅でみてくれていたので安心していたのですが、ひとりでの入浴が困難となった時、ホームへの入所を余儀なくされて、それがわずか8か月前のこと。
今年4月には一緒にお花見もしたのに、こんなにあっけなく逝ってしまうとは想像だにしていませんでした。
よく聞く話ですが、ホームへ入所した途端にどんどん弱って来るという話、まさにその通りだと思いました。
入所する時はしっかり歩いていたのが、数か月後には車いすになっていて、表情も乏しくなっていて……。

通夜・告別式は産婦人科医の弟の関係で、多くの花輪や弔電をいただきました。
同窓生で医者になっている人も多いので久しぶりの再会でしたが、こんな事で……と。
スクリーンに映し出された若かりし頃の父の姿や孫たちに囲まれたイベントの写真を見ていたら、父の人生はこの先もう少しは楽しめたかもしれなかったのに……と悔し涙が溢れるのでした。
でも母亡き後90歳まで頑張って生きてきたし、最後の10日余りは人工呼吸器と多くの管に繋がれて、とても苦しそうで話もできなかったから、もうお疲れ様でしたというしかないのかもしれません。

今頃あちらの世界で母と再会しているでしょうか。
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スケッチ旅行の時の水墨画

2014-06-13 | 水墨画
スケッチ旅行時に描きかけていた絵を水墨画教室に行って完成させました。
先生が真面目に描いていたからと、その時の様子をいつの間にか写真に撮ってくれていました。

実は左の木は2本が仲良く重なったように並んでいたのですが、うまく描けなくて1本のようにも見えます。
最初から分けて2本の木にして描いておけばよかったと後悔。
初めてのスケッチ旅行だったので、実写にこだわったあまり……。
やっぱりその場に行って描いた方が空気感とか表現できると感じました。
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佐賀の町

2014-06-10 | 日記
父の見舞い2日目も午前中は会えないため、実家が市内の県庁などの近くにあるので、妹の案内で県庁の12階にある展望室へ。
佐賀県の木「クスノキ」を子供の頃からたくさん見てきましたが、巨木に育ったクスノキはやはり堂々畏怖としていて、夏には大きな木陰を提供してくれます。
12階からの佐賀の町はまっ平らで、あいにくPM2,5や黄砂でぼんやりとしていて、脊振や天山などの山は霞んでいました。
真下に見える佐賀城を取り囲むお濠と楠の青葉がきれいでした。
父の容体は一進一退ならぬ一進二退の状態で、依然として危険な状態ですが、3日過ごした佐賀からいったん東京へ戻ってきました。
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