自然のシャワーを浴びながら:パート2

定年後の主人と晴歩雨読の日々。同じタイトルのニフティのブログ の続きです。

北壁に舞う

2019-09-30 | 日記
茅野でのワンゲル50周年記念パーティの時、長谷川恒男氏の遺品などを展示した記念館を見た。 その中に彼の著書「北壁に舞う」が目に付き、帰宅後早速地元の図書館へ。 ところが40年も前の本故に図書館にはなくて、他の市の図書館から借りてくれた。 ちょっとかび臭い感じあり、でも目次からして読みたい衝動に駆られる。 何のことやらわからないカタカナ文字(レビュファ・クラック)の目次もあるけど。 たとえば孤独というタイトルの目次に、ひとつの苦しい経験があれば、それ以下の苦痛には耐えられるとある。 彼と同じように山が好きといってもスケールが違いすぎるけど、読み進めてみよう。
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サンマ皿-2

2019-09-30 | 陶芸
前回作ったサンマ皿2枚に続いて、大きめのサンマ皿2枚を作った。
粘土がひとり2キロづつなので、きっちり粘土2キロを使い切って、大小4枚できた。
前回と同じように果物袋を両側に斜めにあしらった。
というのも反り具合の調整中に、強く押した為1枚の端っこが割れてしまい、どべで応急処置をしていた。
その部分をうまくカモフラージュする為に、模様を施したわけ。
ところが全く予想外なことに、焼きあがって来たのを見てガーンと来たが、もう1枚の方にヒビが入っていた。
今までタタラ製法で何枚もお皿を作ってきたが、ヒビが入ったのは初めての事。
W先生曰く、タタラはリスクが大きいんだって。
素焼きの時に割れたりヒビが入ったり、本焼きの時にも同様な事が起きたり‥‥。
葉っぱ模様は山に行った時、どんぐりの葉を拾って押し葉にしたものを置いて、上から釉薬をかけただけ。
意外と素朴な感じに仕上がってよかった。
そして白タルクマットの釉薬をかけたのにも関わらず、白くないのはなぜか?W先生に聞いてみた。
やはり釉薬のかけ方が薄かったようで、でも下地の粘土の色が少し出て私は気に入っている。
早速サンマを買ってこなくちゃと相棒に言われた。
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帰国

2019-09-29 | 海外旅行
ワルシャワ空港で待ち時間にI夫人と記念写真撮影。
あっという間の正味6日間の東欧旅行だった。
3日目のリトアニアのシャウレイで十字架の丘へ行った際に、Gパンの裾を濡らしてしまって引いた風邪を持ち帰ってしまった。
ワルシャワ空港を飛び立ってしばらくしてから上空から。
今回の旅を振り返る暇もなく、帰路もずっと寝ないで映画を観ていた。
ひょっとして往きも帰りも30時間くらいぶっ通しで起きていたかも。
バルト三国はそれぞれ自国の言語を話し、中世の街並みを保存しつつ、暖かく観光客を迎え入れてくれていると感じた。
それに3カ国共にユーロだったから買物もしやすかった。
食事もリトアニアはポーランドに近いからポーランド料理の影響を受けているようで、エストニアはフィンランドに近いからフィンランド料理に近いかも。
機内食も美味しかった。

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ポーランドとバルト三国の旅ー7日目

2019-09-29 | 海外旅行
いよいよ8日間の旅の最終日となった。
ホテル出発前にもう一度旧市街へと足を運んだ。
というのも昨日夕食後旧市街のライトアップを見に行くつもりだったが、午後4時頃まで石畳を歩いて思いの外、足裏が疲れて行かなかったから。
フライトの関係で朝7時にホテル出発の為、またまたサンドイッチなどの朝食。
いよいよお別れのタリンの空港からも、タラップ利用で機内へ。
ところが私たちが乗る飛行機がまだ到着していなくて、結局1時間半遅れで出発した。
空港に木でできたラケット(ラバーなし)が置いてあって、卓球ができるようになっていた。
始めは相棒とやっていたが、見ていた若いパキスタン女性がやりたいと言ってきて……。
バルト海に面したエストニアのタリンから一路、海外訪問国55か国目のポーランドのワルシャワに入国。
ワルシャワのショパン空港に着いた時、遅れて到着したものだから、果たして観光できる時間があるか心配だった。
何とすっかり忘れていたが、ワルシャワはバルト三国と1時間の時差があったから、12時到着でもまだワルシャワにでは11時だった。
というわけで乗り継ぎ時間を利用して、バスに乗り込んで観光へ。

ワルシャワ歴史地区も中世の街並みが忠実に復元されていた。
ユネスコ文化遺産に登録されている旧市街は、復元された世界文化遺産の都市。
14~19世紀には北のパリとも言われた美しい町並みだったそうだが、戦争で跡形もなく焼けてしまったそうだ。
駆け足での散策40分しかなかったけど、文化科学宮殿や昔の宮殿を見て廻った。
私たちがミュンヘンに住んでいた1976年より数年前、I夫妻は4、5年ワルシャワに住んでいらしたので、きっと懐かしく感じられたのでは。

私たちが降り立ったショパン空港はもちろんかの有名なピアニストであり作曲家のショパンから。
日本との国交100年の記念すべき年が来年であり、ショパンコンクールが開催される年でもあり。

有名なポーランド人というと、ニコラス・コペルニクスやキュリー夫人、ヨハネ・パウロ二世など。
ポーランドの首都ワルシャワの名前の由来は、ワルツ+サワという童話からとは日本語ペラペラのポーランド人女性ガイドの話。
王宮広場は観光シーズンでもあり、多くの観光客が来ていた。

お土産物やというとバルト三国同様に琥珀のショップが多かったし、オランダのデルフトブルーのような色使いの陶器もあった。
ワルシャワの街で素敵な看板を掲げた店が目に付いた。     

王宮広場から人魚姫広場へと歩いたが、バルト三国は建物の色がパステルカラーだったけど、ポーランドの建物は色が濃くて、色合いロシア的だと感じた。
これらの建造物は14世紀のものが第二次世界大戦で壊滅して、同じように立て直しされたものだ。     

人魚姫広場の中心の人魚姫を角度を変えて3枚撮ってみました。
            

観光用の馬車もあった。
やっぱりワルシャワ王宮が一番インパクトがあったので、帰りにもう1枚パチリ。
王宮広場から見る景色も1枚。
あたふたとバスの乗り込んでワルシャワ空港へ、そして機上の人となった。

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ポーランドとバルト三国の旅ー6日目午後:タリン旧市街散策

2019-09-29 | 海外旅行
解散後腹ごしらえが優先というわけで、I夫妻と旧市庁舎周辺がレストランが多かったと思いだし、探しに向かった。
旧市庁舎のある広場・ラエコヤ広場からは四方八方に道が伸びていて、あちこちの観光名所につながっているが故に、方向音痴の私はとにかくレストランらしき建物を見つけながら歩いた。
やっとドイツレストランで折り合いがついて入った。
相棒はオクトーバーフェストという料理をオーダーしたら、ドイツにいた頃よく食べたアイスバインという料理だった。
豚のすね肉がドーンと来てあまりのボリュームにビックリだった。
私たち残りの3人もボリュームある肉料理とドイツビールのランチを楽しんだ。

解散後再び聖ニコラス教会へやってきた。
死の恐怖を描いた「死の踊り」があり、ガイドブックには必見と書いてあったが。     
教会周辺は花もきれいでお天気もよく快適な午後となったが、ちょっとビールを飲み過ぎて眠くなって……。
路地という路地がどこも絵になる光景で、写真撮りまくりだった。

再び城壁のある場所へ。
城壁の上を歩くだけでよかったけど、10ユーロで博物館とセットになっていた。
城壁の上に上がったらこんな洒落た感じになっていて、椅子に座って旧市街の景色が見れた。
上からみるタリンの街並みはドイツのローテンブルクみたいに、赤レンガの家々と教会が印象的だった。
博物館はキーク・イン・デ・ショク要塞博物館だった。
旧市街のケh式を楽しみながら町の城壁に沿って歩いて行ったら、要塞の建物の中にいろんなものが展示されていた。
タリンの街並みの模型を見て、町の様子や位置関係が手に取るように分かった。

再びラエコヤ広場の旧市庁舎前を通ってウィル門を目指した。
途中のヘッレマン塔付近ではお土産物屋さんが並んでいた。
タリンの城壁に沿ってウィル門に辿り着いた。
花屋さんとかが軒を並べていた。
朝入場したスール・ランナ門に戻って来て、顔の表情が可愛らしいふとっちょマルガリータとまたご対面。

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