懐かしい山川が…
原発事故後、南相馬市に移住した作家の柳美里。月1回「しんぶん赤旗」に地元の様子を報告している。この1月で20回目だから2年近くになる。マスコミ報道とは違って、市井の暮らしや住民の思いがじんわりと伝わってくる。特に山、川、海が出てくるとかつての懐かしい風景が目に浮かぶ。
南相馬市(原町駅)から小高駅間の常磐線周辺は、一面田んぼが広がっていた。遠くには海岸の松林が見えた。震災・津波、原発事故で一変してしまったが、私の記憶は穏やかだったときのままだ。
「南相馬に暮す人が3月11日のことを話し出すと止まらない。まだまだ皆さんのお話を聞きたいと思い、移住を宣言しました」。事故後、一旦は鎌倉から大阪に子どもと共に避難した柳さん。作家としての覚悟の移住と思われる。これからも普通に暮らす人々の心を伝えてほしい。
原発事故後、南相馬市に移住した作家の柳美里。月1回「しんぶん赤旗」に地元の様子を報告している。この1月で20回目だから2年近くになる。マスコミ報道とは違って、市井の暮らしや住民の思いがじんわりと伝わってくる。特に山、川、海が出てくるとかつての懐かしい風景が目に浮かぶ。
南相馬市(原町駅)から小高駅間の常磐線周辺は、一面田んぼが広がっていた。遠くには海岸の松林が見えた。震災・津波、原発事故で一変してしまったが、私の記憶は穏やかだったときのままだ。
「南相馬に暮す人が3月11日のことを話し出すと止まらない。まだまだ皆さんのお話を聞きたいと思い、移住を宣言しました」。事故後、一旦は鎌倉から大阪に子どもと共に避難した柳さん。作家としての覚悟の移住と思われる。これからも普通に暮らす人々の心を伝えてほしい。
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