府中市議会議員 目黒重夫昨日・今日・明日

周囲の出来事を思いつくまま

茨城県東海村を訪ねる

2016-08-29 22:12:06 | 震災・原発
原子力関連施設が集中する村
27日から1泊2日の東海村訪問に参加した。参加者は総勢13人、府中本町から「青春18きっぷ」を使った贅沢な旅だった。武蔵野線から常磐線に乗り換え、土浦、水戸など私にとって懐かしい駅が続く(帰郷の時は常磐線を利用していた)。東海駅で2日間案内をしてくれる前村会議員Iさんと合流、3台の車に分乗し原子力関連施設が集中する海岸方面に向かった。整備された道路には「原研通り」「原電通り」「動燃通り」の名がついている。最初に日本原子力研究開発機構前で説明を受け、次に原子力科学館を訪問。当然、原子力がいかに安全で人類の役に立っているかのPR館だ。ただ別館では99年に起きたJCOの臨界事故は模型を使い詳しく説明していた。
次は目当ての東海原子力発電所だった。発電所ゲート前の道路は障害物があり、自動車教習所のようなジグザク走行だ。ゲートも一台ずつしか入れてくれない、なんとも物々しいのだ。一般の人が入ることができるのは敷地内のテラパークというPR館。目の前には廃炉が決まっている日本で最初の東海原発、そして停止中の東海第2原発。撮影禁止でカメラ類は受付で預けなければならない。台風接近で風が強かったが、屋上にあがり敷地内を一望する。第1号原発は外壁がコンクリートむき出し、チェルノブイリ原発を想起させる。このあと村役場とモニュメントを見て初日の日程を終えた。
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グリーンプラザが廃止へ

2016-08-26 14:01:56 | 議会
9月議会に「廃止条例」出される
これまで何度も話題にしてきたグリンープラザ問題。9月議会に、ついに廃止条例が出された。平成30年3月いっぱいで廃止とのことだ。そのあとは「公民連携」と称して民間事業者による活用で、にぎわいを創出となっている。言うまでもないがグリーンプラザは駅直近でもあり、全市民を対象にした活動には最適だった。開設36年で社会教育、コミュニティ施設として定着していた。市は今後も続けて使用するつもりだったはずだ。おかしくなったのは再開発ビルの保留床購入を決めてからだ。床購入を決めたのはいいが何に使ったらいいかわからない。時間をかけ出されてきたのが「市民活動拠点施設」、グリーンプラザと変わらないものだった。
結局、同じような施設が重複しているとなって、グリーンプラザは古いからと廃止になってしまった。ようするに60億円も出して必要もない床を買わなければ、こんなことにはならなかった。再開発の“犠牲”になったといってもいいのだ。
明日から2日間、茨城県・東海村に出かける。東海村は日本で初めて「原子の火」が灯ったところだ。研究所や原発もある。東海原発も津波に襲われ、あわや福島と同じになりかけたという。その後、前村長が「脱原発」をかかげ注目を集めている。原子力関係の施設見学や市民グループとの交流が予定されている。
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委員協議会始まる

2016-08-22 22:01:49 | 議会
いつの間にか、もうすぐ9月議会
台風9号が関東地方を直撃、朝から土砂降りが続いた。そんな中今日から委員協議会、9月議会は2日から始まる。長い選挙があり田舎に帰ったり大分のんびりしたが、気持ちを入れ替えなければならない。総務委員協議会には「資産活用基本方針」が出された。これまで未利用地の活用方針はあったが、今回のは公共施設も含めた方針だ。市は公共施設マネジメントに基づき施設の統廃合を進めている。その際、まだ使える施設はどうするか、あるいは施設を撤去した跡地はどうするか、という方針だった。総論的には理解できなくはないが、個別問題になると簡単ではない。早速明日はグリーンプラザについての考えが出される。あんなに使い勝手がいい施設が、民間活用されようとしている。それもこれも再開発事業での保留床購入のためだ。今後さらに地域プール、庭球場などが続き、悩ましい対応が迫られる。
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新地町の復興は

2016-08-18 10:06:13 | 日記
常磐線は駅舎の完成を残すのみ
津波で流された新地駅と常磐線、線路を山側に移動し工事が続けられてきた。といっても被害のなかった新地付近以外の線路はそのままなので、思ったほどの移動ではなかった。すでに新地駅の両側(仙台方面と相馬方面)の線路は完成していた。残すのは新地駅で年内には完成とのことだ。(新地駅が完成すれば仙台~小高間は復旧するが、小高から南は原発事故の影響で復旧の見通しは立っていない)駅舎の工事に合わせ駅前の造成工事も行われていた。近い将来、住宅、商店、企業などが立ち並ぶことになる。海岸付近は人が住めなくなり防潮堤と公園が建設中だ。津波で家を流された人たちのために、内陸部には新たな集落ができていた。5年5カ月が経過し見た目には新地町は復興に向かっているようには見えた。
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常磐自動車道を走る

2016-08-15 17:08:31 | 日記
原発事故から5年5カ月の小高区で
8月11日、2年ぶりに故郷に車を走らせた。渋滞が心配されたが、首都高を過ぎ常磐道に入ってもこれといった混雑はない。東北道などの渋滞がしきりにラジオから流れているが、常磐道は避けられているのだろうか。広野を過ぎ富岡に入ると道路脇に線量計が設置されている。線量計の数値は北上するごとに上がり続け、大熊町付近では3.9μ㏜を示した。周りの風景は一変し、田畑や家々は夏草で荒れ放題の状態が双葉、浪江と続く。
浪江インターで高速道を降りた。7月に避難指示が解除された南相馬市小高区(旧小高町)と再開した小高駅を見たかったからだ。浪江はまだ避難が続いている。幹線道路以外は閉鎖され車は入れないようになっている。小高に入ると少しは生活の営みが感じられるが、戻れるようになったとはいえまだ閑散としている。開通した電車も原町方面のみで待合室には乗降客は見当たらなかった。
50年前、この駅を利用しこの街を歩き通学した。この先、どこまで復興はあるのだろうか。感傷に浸る時間もなく車を新地に向け走らせた。
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