目黒重夫昨日・今日・明日

周囲の出来事を思いつくまま

2年ぶり福島に帰る③

2018-08-31 13:56:49 | 日記
国道6号線を走る
明日から9月というのに猛暑がぶり返している。福島から帰ってバタバタしているうちに議会が始まった。一般質問は図書館を予定している。ふるさと紀行を書いていたが、最終日(3日目)が抜けていたので報告する。

実は昨日印刷を終えた「萬歩記」にも載せたので、同じ内容になる。

3日目、午前中に実家を出発。相馬、南相馬と南下する。浪江を過ぎると原発事故後初めて入る双葉、大熊になる。まず、「これより先は期間困難地域」の看板。さらに2輪車、歩行者通行禁止。唯一車だけが停止しないことを条件に通行できるのだ。
 
かつて帰省の時は、ほとんど6号線を利用していた。沿線の風景は今でも記憶にある。あれから7年余、道沿いのガソリンスタンド、ラーメン屋、民家はすべて入り口が封鎖されている。さび付き朽ちた建物が車窓を流れる。

よく休憩がてら立ち寄っていた相馬焼の店も雑草に覆われていた。相馬焼は浪江町の大堀に窯があったが、原発事故で中通りの方に避難したという話を聞いた。
 
6号線を走っていて原発が近づいた目印は、「原子力運送」の大きな看板だった。今回は撤去されたのか文字が剥げてしまったのか確認できなかった。看板を過ぎるといよいよ原子力発電所への入り口となる。標識は昔のままだが、色褪せた印象で入り口もひっそりしていた。

私は6号線を通過しただけで沿線しか見ていない。その何倍もの広大な地域が時が止まり取り残されている。東京にいるとアジア大会、ラグビー、オリンピックと華やかなことばかり。でも、あの光景を忘れてはならない。
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2年ぶり福島に帰る②

2018-08-21 11:36:01 | 日記
生まれ変わった新地駅
田舎に帰ってまず行きたかったのが新地駅。前にも何度か書いたが、新地駅は津波で流され、停車中だった電車の残骸や折れ曲がった跨線橋がテレビにも映し出された。

その後、線路を山側に移し昨年ようやく復旧した。駅は町役場から500mぐらいのところに移っていたが、それほど山側に移動した感じではなかった。

驚いたのは駅舎と駅前広場である。およそ田舎の駅とは思えないような造りで周囲には全くマッチしていない。駅周辺を開発し将来は多くの住宅などが建設されることを期待しているのかもしれない。

駅から海岸方面は人が住めなくなった。海岸線は例によって堅牢な防潮堤が建設された。かつて集落だった地域には防潮林、公園、スポーツ施設が造られる予定。

さらに山側には土盛りをした道路が造成されていた。二重の防御線で津波から駅や町を守る計画のようだ。高くなった道路に立って山側を見ると、津波直後にガレキに埋もれていた田んぼに青々とした稲が復活していた。

前日見た浪江、南相馬の田んぼは除染した黒い袋が山積みになったり、背丈まで伸びた夏草に覆われていた。原発事故の影響が復興の度合いを分けているのは歴然としていた。
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2年ぶり福島に帰る

2018-08-17 16:08:36 | 日記
なんと古稀同級会
13日から3日間、福島に帰郷した。目的は同級会なのだが、小高にオープンした柳美里さんの本屋「フルハウス」や浪江町のその後も訪れたかった。

常磐道でいわきを過ぎたあたりから、道路わきに放射線量が表示される。2年前よりは低くなっていたが、大熊町辺りでは2.7μ㏜。依然として帰還困難地域になっている。

浪江は一部が帰還地域になったが、高速道を降りてしばらくは幹線道以外は封鎖されている。事故後2年目に浪江の請戸港を訪れた。津波のあとのガレキがそのままになっていた。帰還困難地域になっていたからだ。

当時、港にはもちろん漁船はなかった。崩れた防波堤に立つと遠く(10キロぐらい先)原発の排気塔が見えたが、今回はガレキは撤去され防潮堤の工事が行われていた。

新しく生まれ変わった母校も訪れた。前回来たときは雑草に覆われていた校庭などもその面影はない。玄関前のモニタリングポストがなんともやりきれない。

帰還が始まって2年は経っているはずだが、駅前通りは人の気配が少ない。駅員さんに尋ね「フルハウス」を探した。駅の近くにもかかわらず、たどり着くのに時間を要した。それなのにドアには「20日までお盆休み」のおしらせ。

ようやく来たのにと思いながら、新地へと向かった。

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翁長知事が急逝

2018-08-09 12:23:13 | 日記
最期まで不屈の精神と気概
沖縄県知事翁長氏が亡くなった。闘病中ではあったが、先月27日には、辺野古新基地建設に関する埋め立て承認を撤回する手続き開始の記者会見を行ったばかりだった。

知事になって4年、政府を相手に苦闘の連続だった。翁長氏を支えたのは「新基地は許さない」民意だったと思う。府中の議会でも「県民の意思を反映せよ」と何度か意見書が出されたが、その都度否決された。

もともと保守本流だった翁長氏。その翁長氏を最期まで国と対峙させた気概はなんだったのだろう。権力をカサに不条理を押し付ける国への抵抗、それとも埋めがたい本土との意識のズレに対してだったのだろうか。

翁長氏はオール沖縄の象徴でもあった。野党共闘を目指す共産党にとって、まさに沖縄は「小異を捨てて大同につく」見本。志なかばの急逝、これまでの闘いに感謝と敬意を表したい。
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第31回平和まつりへ

2018-08-02 14:02:16 | 日記
実行委員会スタート
連日猛暑が続いている。さすがに今年は警報が出されているためかサッカーの試合は中止が続いている。何かあったら自己責任とも言ってられないしね。

暑い熱い言っている間にもう8月になった。これから秋にかけ市民活動は忙しい、来月は青年劇場の府中公演がある。今年は原田マハ原作、高橋正圀脚本「キネマの神様」。名画座の支配人と映画好きのお客たちが織りなす人情喜劇。青年劇場には珍しい軽妙な芝居らしい。

10月は31回目の府中平和まつり。前夜祭の企画が見所、今年は夫婦漫才のおしどりマコ・ケンと交渉中。脱原発をテーマにした掛け合いが見ものだそうだ。


アベNO府中は8月も休まない。先日の台風で7月のデモは中止になったが、原発イヤだ府中も続いている。いま熱中症対策として積極的なクーラー使用が呼びかけられている。それでも電力には余裕があるそうだ。節電と再生可能エネルギーの拡大が要因という。原発再稼働の根拠は過去のものとなりつつあるのだ。

今年は10年ぶりに故郷で同級会がある。わずかな間だが田舎の景色を眺め旧友に会い、秋の陣に備えたい。
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