原発事故から5年5カ月の小高区で
8月11日、2年ぶりに故郷に車を走らせた。渋滞が心配されたが、首都高を過ぎ常磐道に入ってもこれといった混雑はない。東北道などの渋滞がしきりにラジオから流れているが、常磐道は避けられているのだろうか。広野を過ぎ富岡に入ると道路脇に線量計が設置されている。線量計の数値は北上するごとに上がり続け、大熊町付近では3.9μ㏜を示した。周りの風景は一変し、田畑や家々は夏草で荒れ放題の状態が双葉、浪江と続く。
浪江インターで高速道を降りた。7月に避難指示が解除された南相馬市小高区(旧小高町)と再開した小高駅を見たかったからだ。浪江はまだ避難が続いている。幹線道路以外は閉鎖され車は入れないようになっている。小高に入ると少しは生活の営みが感じられるが、戻れるようになったとはいえまだ閑散としている。開通した電車も原町方面のみで待合室には乗降客は見当たらなかった。
50年前、この駅を利用しこの街を歩き通学した。この先、どこまで復興はあるのだろうか。感傷に浸る時間もなく車を新地に向け走らせた。
8月11日、2年ぶりに故郷に車を走らせた。渋滞が心配されたが、首都高を過ぎ常磐道に入ってもこれといった混雑はない。東北道などの渋滞がしきりにラジオから流れているが、常磐道は避けられているのだろうか。広野を過ぎ富岡に入ると道路脇に線量計が設置されている。線量計の数値は北上するごとに上がり続け、大熊町付近では3.9μ㏜を示した。周りの風景は一変し、田畑や家々は夏草で荒れ放題の状態が双葉、浪江と続く。
浪江インターで高速道を降りた。7月に避難指示が解除された南相馬市小高区(旧小高町)と再開した小高駅を見たかったからだ。浪江はまだ避難が続いている。幹線道路以外は閉鎖され車は入れないようになっている。小高に入ると少しは生活の営みが感じられるが、戻れるようになったとはいえまだ閑散としている。開通した電車も原町方面のみで待合室には乗降客は見当たらなかった。
50年前、この駅を利用しこの街を歩き通学した。この先、どこまで復興はあるのだろうか。感傷に浸る時間もなく車を新地に向け走らせた。
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